1999年9月
| 30日(木) |
| ディキシータンタス |
| 渋谷のオンエア・ウェスト。セカンド・アルバム『ニュー・ルーツ』を出した彼らにとって、初の単独ライヴなのだとか。そのせいか最初あがっている感じもあったけど、多岐に渡る米国黒人音楽の知識/愛着が奥に横たわる、ポップでもあり粋でもある、意気に長けたそのビート・ミュージックには抗しがたいものをぼくは感じてしまう。うーん、ぼくは本当にファンなんだよなあ。 |
| 29日(水) |
| キザイア・ジョーンズ |
| 渋谷のオンエア・イーストにて。日本人バンドの前座あり(MCで自分たちのバンド名ぐらいは言ってほしかった)。なんと知り合いがバック・コーラスやってて驚く。キザイアたちも、2階からその演奏を一部見てたりしましたね。 その後、キザイアたちが登場。例によってトリオ編成にてのライヴ。キザイアはステージに出てくると、すぐにバック・メンバーの名前を紹介する。はーあ。だが、それはパフォーマンスを見ているうちに、本当に今キザイアが望むんでいる人材を得てライヴをやっているからこそなんだナというのが分かる。だって、これまでと比較にならないぐらい、彼らはバンドとしての強固な演奏を聞かせようとしていたもの。 まあ以前から彼はバンドだっていう意識を持っていたのかもしれないが(かつて、インタヴューやるときに、キザイアはバンド全員でのそれを求めていると聞かされたことあった。結局、単独での取材となったのだが)、やっと求めていたのが今のバンドで出来ているという手応えを彼は持っているのかもしれない。そして、それによって倍加したのが、キザイアの快楽性。彼特有の負の情念表出が減じたのは少し残念ではあったけれど。それから、新作ではドラムンベースを取り入れるなど新しいことをやろうとしていたが、ライヴではそっち方面への目配せはなし。彼がレコーディングとライヴを完全に分けて考えているのが確認できた。 |
| 24日(金) |
| マサダ |
| ジョン・ゾーンが中心となるカルテット、マサダの公演は、30年前は東京唯一の高層ビルとして持て囃された(んだったよな?)虎の門・霞が関ビルの1階にある霞が関プラザホールにて。うーぬ、これがただの会議やるような普通の広めの部屋。天井の高さも普通のオフィスと同じ。当然、照明も音響もあったものではない。事実、本当はライヴ・アルバムを録る予定だったのだそうだが、あまりに音が悪すぎてとりやめになったのだとか。でも、呼んでくれるだけで、有り難い。頭が下がる。 そんなわけなんで、演奏はもちろんノー・PAにて。楽器音どころか、MC(ほとんどしなかったけど)もマイクなしの地声でした。でも、いいのだ。条件が悪くても、やってることが良ければ絶対にその真価は伝わる筈なのだ。と、書きつつ、本人たちも乗り切れていない部分はあったかな。だって、あの会場だとどうしても雰囲気がコンサートをやると言うよりは、生真面目に会合やってる感じになっちゃうから。 ぼくも最初は演奏にはいりきれなった。その雰囲気もそうだが、全然飲み物が売ってなくて。なんかお口潤さないと、パンツ履かずにコンサート見ているような感じで落ちつかない。いかに、普段コンサートとアルコールが対になっているかを痛感する。ごめんよ、俺はそーゆー奴なんだ。 ただ、やっぱりみんな旨いよな。今、NY最良のジャズ・バンドの一つであるのは疑いがない。やっぱり、刺激的な要素はいろいろと投げ出されていたと思う。なお、ジョン・ゾーンは結構太めになり、眼鏡をかけるのを止め、長髪になっていた。最初、誰だか分からなかったゼ。 |
| 23日(木) |
| リアム・オメンリー |
| 渋谷・クアトロでホット・ハウス・フラワーズのリアム・オメンリーのソロ。前日がトラッド中心のセットで、この日はホット・ハウス・フロワーズ傾向の楽曲をやる日だということだが。 先に、一緒にやってきたはみ出し系アイリッシュ・トラッド・グループ、キーラの中心人物ローナン・オ・ノスディが何曲か歌う。なんかグループのときの印象と違っていて、とっても小粒な印象を持った。そして、すぐにリアムが出てきて、ピアノやギターやバウロンを持って、いろんな曲を歌う。バカラック・ナンバーだと猫撫で声で歌うのだが、トラッド曲だととたんに声が朗々とするのが面白い。2部構成で、後半部の多くはヒート・ウェイヴの山口洋がエレクトリック・ギターで伴奏を付けたりも。最後のほうに、ギターの弾き語りで、マイケル・ジャクソン、スライ・ストーン、トーキング・ヘッズの曲をメドレーで歌ったりも。そういう人達とケルトの伝統の間にホット・ハウス・フラワーズの表現はあったということか、な。 ところで、アイルランド関係のアーティストだと、ドリンクのメニューに必ずギネスが加えられるのは、このところのそっちのほうの公演のならわし。リアムの公演もそうだったのだが、ちゃんとギネスの缶ビールが500 円なのは嬉しかった。実はクアトロはあまり大きくないプラスティック・コップ1杯(当然、量は350 m ニの缶よりはるかに少ない)で500 円を取るハコだから。頼む、いつもギネス売ってくれい。おそらく飲み物代を一番落としているだろう人間のお願いです(......ただ、飲み物代はハコの重要な収入源なんでしょ? だったら、もう少し企業努力してもバチは当たらぬとぼくは思うが。なんか、はなっからそれを放棄しているようしにしか思えないんだよなあ)。 |
| 22日(水) |
| ダモズ・ネットワーク |
| 元カンのダモ・スズキ(ヴォーカル)率いるグループ、新宿ロフトにて。彼が見れるとは嬉しい。昨年だか来たときにミスしたんだが、非常に良かったという話を聞いて、ちょっと残念な気持ちあったんだよなあ。 1曲目終わったあと「もしよかっから、もっと皆さん前の方に来ていただけると」と、ダモ・スズキは丁寧な日本語で言う。なるほど、日本人なんだァと納得させられる。 ギター2本、ベース、ドラムス、パーカッション(アフリカ出身者?)を率いてのもの。乱暴に書けば引きずるようなリフ一の繰り返しを基調、そこから生まれる各種<記号>を延々と連ねていくという感じの実演。どの曲も10分以上はあった。スタイルは見事にオールド・スクールなんだが、なんの打算もなく自分たちのやりたいことをやってやるという、反骨精神にも重なる、澄んだ情感がうれしいぐらいに横たわっているので、けっこう刺激的なものとして接することができる。長さも気にならないし、聞きづらさもなく、なんの疑問もなく演奏の波に乗っていけた。曲によっては、ギターがフェラ・クティのような刻みを見せたり、2本のギターがぐちゅぐちゅになって絡むところは電気マイルス・グループを思わせるところも。そういう意味では、70年代初頭のピンク・フロイドとマイルスが重なったみたい、そんな印象をいだくときも。ダモの歌は朗々としていた。 精神面でも示唆されるところは多々。見れてよかった。 |
| 20日(月) |
| スウェード |
| 赤坂・ブリッツ。地下鉄の駅出ると、ダフ屋のおっさんたちがいつもにも増して目につく。会場は、“いい子”のファンがいっぱい。従順、批評性もクソもない。って、昨日のアンタはどうなのよ、と自分で突っ込みを入れる。音楽の好みが違うだけで、つまるところは変わらないかもよ。陰影のない、はみ出すことのない、でも手軽にロック的とされる情感を与えてくる(んだろうな、きっと)ちょいグラマラスな英国産バンド。ギターは、この手のバンドには珍しくセミアコを使用。いろいろあらあな。公演中、スウェードに熱狂する娘とTKダンス・ポップに熱を上げる娘、どっち取ると自問したりも。答えは、(きっぱり)同罪。ただし、可愛いけれゃ、罪はない。ようは、対人関係に過度に音楽を持ちこんではイカンということです。右翼にも、いい人がいるように。ジョン・ゾーンのファンにもヤな女はいるだろうし。 |
| 19日(日) |
| LKJ |
| 新宿リキッド・ルームで、英国ダブ・ポエット、リントン・クエシ・ジョンソン。前座はリトル・テンポ。最初リトル・テンポの存在を知ったのも、昔のLKJの公演に前座として出てきたときだったんだよなあ。あれって、何年前のことだったけかなあ。ちょっと、回想モードに入る。今回はドラマーと打楽器奏者はムーミンのツアーに参加中とかで、フィッシュマンズのドラマーがトラでたたいていた。 LKJのパフォーマンスは、当然のことながらダブ・マスター、デニス・ボーベル率いるバンド(8人編成だったけかな?)をしたがえてもの。さすがの演奏だが、ボーベルのベース音の軽いこと、ちょっとシクシク。そういやあ、音のほうもそんなにダブっぽい処理は加えていなかったと思う。まず、数曲デニスがベースを弾きながら歌ったあと、御大が登場する。帽子、眼鏡、髭変わらず。淡々とマイペースに、グルーヴィなビートに乗って言葉を投げ出していく。変わんないなあ。でも、やっぱいいなあ。批評性には欠けるが 、そんな感想が酒に酔った頭のなかに広がっていく。 LKJの大まかなスタンスとかは分かっているつもりだが、個々の曲の細かい内容などは分かりもしない。デモ、ソレデイイノダ。肉声に、音に在る強さや緊張や揺れを感じ取れれば、そしてそこから自分なりの問題意識を持てれば....そう思いながら身を揺らす。実は、前に“フリー・ファンク”というコンピレーション・シリーズを組んだとき、そのマーキュリー編のなかに彼のジャズ・ブルーズ調の曲「Wat About Di Workin' Claas」(『メイキング・ヒストリー』収録)という曲を入れるかどうかギリギリまで悩んだことがあった。結局、抱えている問題の重さをないがしろにしちゃうような感じがして、入れるのを止めたのだが(でも、本当にカッコいい曲で入れたかった)、それで良かったんだろうななんてもぼんやり思う。明日から、デニス・ボーベルはスカパラと、スカパラのシングル用にスタジオに入るという。ボーベルの要求は、古いニーヴ(卓のことですね)のあるところ、だそう。 |
| 18日(土) |
| デイヴィッド・ポー、ビル・ボンク |
| 渋谷・ツインズヨシハシで、米国のシンガー・ソングライターを二人。東京で3回やるとはいえ、あらら観客は30人強ぐらい(か?)。むーん。 ぼくのお目当ては、最初に出てきたデイヴィッド・ポー。だって、彼が97年にエピックから出した同名作(T・ボーン・バーネットのプロデュース。マーク・リボーも参加)はなかなかなんだもん。その実演を見て、まず痛感させられたのは曲がいいということ(当然のことながら、弾き語りのパフォーマンスではCDにおけるさりげないながら的を得た音作りは味わえないわけであるが)。半分は、ブラインド・フェイスの「キャント・ファイド・マイ・ウェイ・ホーム」(作曲は、スティーヴ・ウィンウッド)みたいな、不思議な広がりと陰りを持つ曲なのだが、それが相当にいい。それに比して、歌はヘタではないのだが丹精すぎて魅力にかけるところがあって、彼が多大な支持を集めていない要因を無理に探すとしたら、そのあたりか。とにかく、米国メジャーからアルバムを発表し、ちゃんと日本盤も出ているアーティストとしては、<日本で、最も少ないオーディエンスを前にして演奏した人>とポーはなるのではないのか。残念ながら。でも、ポーさんはそんなこと気にする様子もなく、誠心誠意歌っていた。それが、またぼくの心を揺らしてくれたんだよなあ。 今回は同行しなかったが、ロン・セクスミスのバッキングで日本のファンに知られるようになったビル・ボングは、今回のセクスミス来日公演に同行しそのまま居残ったドラマーを従えてのもの(デュオによるパフォーマンス)。曲作りの手腕はポーのほうが上だと思うが、なるほど歌はまだ彼のほうが訴求力がありますね。どちらにせよ、彼も好演。....16日手の記述を一部訂正したい。二人とも、どうしようもないぐらい謙虚な人達でした。おそらくこの場に集まった熱心な聴き手のなかで、ぼくが一番彼らの表現に接してない人だと思えたが(ボンクに関しては、CDさえ持っていない)、でも十分に堪能した。年間ベスト10だと無理かもしれないが、ベスト20という括りだったら、今日の公演は入るかもなあ。 |
| 16日(木) |
| ミージア、カルメン・リナーレス |
| 非米英のいろんな音楽を紹介しようとする(というのが趣旨だと思う)“フェスティヴァル・コンダ・ロータ”のなかの一つ、<イベリア半島編>を見にいく。会場は渋谷・東急文化村シアターコクーン。出演者は、ポルトガルのファドのミージア、そしてスペインのカンテ(歌)・フラメンコのカルメン・リナーレス。もちろん、ぼくは両者のCDを聞いたことは一度もない。どんな経歴を持つ人かも知らない。音楽に対する好奇心、それのみでぼくは行ったわけである。 最初に出てきたのはミージア。なんか清潔感のなかに妖艶さがあるというか、どう形容していいか分からないのだが浮世離れした女性。ギター、ヴァイオリン、ベースなど弦楽器中心(音楽監督はオコーディオン奏者)のサウントに透明感のある歌をのせる。かつて一度だけファドの男性シンガーを聞いたことがあったが、結構そのときの印象とは違う。曖昧な印象を書かせてもらえば、フォークロア歌謡を清新に広げているという感じか。バックの音はちょっとショーロとの関連性があるのでは、と思わすところも。歌の浮いているところも、どこかブラジルの天衣無縫な感覚と繋がっているところあるのかなあ。南米でなぜブラジルだけがああした音楽を作り出したのか? この前、アート・リンゼーはその問いに関して、「ポルトガル語だってことが大きいんじゃない」と答えてくれたが、ふむ。探究心の強いブラジル音楽愛好者は彼女をチェックしても良かったのでは? ポルトガル語の語感を楽しみながら、いろいろと空想をたくましくする。それにしても、日本語、英語、ポルトガル語を混ぜてのMCには心が温められた。日本の人達の前で歌えて本当に嬉しいってことがよく伝わってきて。こういうのに触れると、ポップ系の外タレは謙虚さが足りん、わな。 続く、カルメン・リナーレスはミージアほど楽しめなかった。数年前にスペインに行っていらい、なにかとスペイン贔屓のワタシではあるのだが(スペイン・ワインに限っても年間消費量は50本を越える? 対価価値の高い、赤の“(金)牛さん”は輸入元がサントリーにもかかわらず良く飲んでるよなあ)。なんか演奏がこじんまりとしているとともに、歌もいまいち突き抜ける力がなかったような。やっぱ、フラメンコの歌は青筋立てた男に限る、なんてことも少し思った。 |
| 14日(火) |
| 映画「アシッド・ハウス」/リチャード・ウッド |
| 六本木・ギャガ試写室で映画「アシッド・ハウス」をまず見る。「トレイン・スポッティング」を書いたアーヴィン・ウェルシュの同名短編集を映画化したもの。プライマル、ケミカル、ザ・ヴァーヴらによるサントラはすでに出ていますね。3部構成、結構目茶苦茶で、歪んだお話。スコットランドのイタい若者事情および環境はそれなりに伝わる、か。やっぱサッカーとパブかいな。訛りのきつい言葉は全然わからん。ロケ地はエンジバラとグラスゴーってクレジットされていたと思う。これも年末ぐらいの公開になるとか。7点。 そのあとカナダ大使館に、フィドル奏者のリチャード・ウッドを見にいく。簡単に言ってしまうと、やはりカナダ出身のアシュレイ・マクアイザックみたいなスタンスを持ち、ケルトを根に持ちつつ年齢相応に今の呼吸の仕方も見せるという方向性を見せる人。音楽自体はまくアイザックほど飛躍していないが、外見は彼のほうがもっと今っぽい。実演はキーボード奏者とギター奏者を従えてもの。思ったほうどはケルト色は強くなく、三分の一くらいはニュー・エイジ・ミュージックぽいほうに流れていたりもする(まあ、海外のケルト系のコンサートではニュー・エイジ・ミュージック系のCDもよく売られているのだが)。ただ、はったりの聞いたしぐさとか、格好(黒いフェイクのレーザー・パンツに、光沢の効いたグレイのシャツ等)とか、ダンス・ナンバーにおける乱暴なステップとか、笑える要素もそれなりに。実は彼の来日の主目的は、やはり来日中のカナダ首相が開くパーティの音楽の出演者としてのためとか。もし、厳粛なそれで今日と同じパフォーマンスをやるなら、日本のスクエアで気取った来賓連中はどんな顔をするのか。それを考えると、楽しくてしょうがなかった。 |
| 13日(月) |
| 映画「奇人たちの晩餐会」 |
| 京橋・メディアボックス試写室で映画「奇人たちの晩餐会」を見る。ブラックなユーモアが効いたフランス産コメディ映画。6点。チラシによると、今年ヨーロッパではかなりヒットしているそうな(スピルバーグはハリウッド版リメイク用の権利を取ったとのこと)。なるほど、かなり見ながらゲラゲラ笑った。ただ、臭くもある。もともとはと演劇用のストーリー/脚本がもとになっているらしく、そういうほうの匂いも多々。話はほとんど主人公の部屋のなかだけ進んでいったりするしね。年末渋谷シネマ・ソサエティ他で公開予定。 ところで、試写室に行くとき、皇居横を通ったが“緑色”だらけで、やっぱでかい。立派ね。浮いてるワ。で、その周りの歩道を汗だくになってジョギングしている人の多いことにも驚かされる。どっから沸いてきた? ちょうどお昼どきだったのだが、近所に勤めに来ている会社員も走っていたりするのだろうか。あれだけ数が多いと、結構異様な(そして、美しくもない)光景ではあった。思わず、これから見る映画のタイトルが頭に浮かぶ。でも、熱心な右側の人って、あの光景は不敬なものには映らないのか。意外に太っ腹なんだナとも思う。だったら、お掘のなかも走らせちゃえばいいのに。とにかく、普通街中にあんな汗だく集団がゾロゾロいたら白い目で見られること間違いない。ああ、あの周りの道路も日常から隔絶された場となっているんですか? |
| 12日(日) |
| 村田陽一オーケストラ |
| 数少ないメール友達である村田陽一の誘いを受けて、彼のオーケストラを見に新宿ピット・インに行く。かつて、じゃがたらやオルケスタ・デ・ラ・ルスでトロンボーンを吹いていたこともある村田は、今、日本のポップ系(渡辺貞夫とかジャズのほうもやってるけど)のホーン(ときにストリグスも)・アレンジの第一人者といっていいか。彼はもっとファンクっぽいほうを狙うソリッド・ブラス(ホーン隊+ドラムスという編成)というグループを組んでいたりして、そちらはビクターから4枚アルバムを出しているので、知っている人もいるだろう。 この日の半数近くはエキストラとかで、どっちかというカチっとした譜面で成り立っている曲を中心に取り上げたとか。なるほど、とはいえどれもソロイストにもたっぷりとしたスペースを与える各曲はどれも10分以上あったろうけど。マイルス、モンク、ジョン・クラーク曲他を優れたソロが浮かび上がるのを前提として、10ピース強分の譜面で編み上げていく作業....。巨大なパズル表現、分かりやすくデフォルメして言うと。大雑把なオレとしちゃあ、気が遠くなっちゃう作業でもある。しかも、彼は音楽大学ではなく、一般大学を出て(つまり実践で多くを学びながら)そういうことを今やっているのだから、感心しちゃうよなあ。 普段はパーカション専任の人がドラムスをたたくなど片肺と言えなくもない設定ではあったのだろう。だが、不完全ゆえの流動性やスリルもまた確かにあったと思う。そういえば、村田と一緒にトロンボーン・セクションをやっていたのはスカパラの北原雅彦。彼も初めての参加だったそうで、アンサンブル取っているときなんかは結構緊張している様子も伺えたが、ときにフィーチャーされるソロとかはなり聞かせた。スカパラのファンも少しは見にきていたようだったが、とっても新鮮に聞こえたんじゃないかな。だって、スカパラ(そして、ソリッド・ブラスもそうだが)はガチっとした枠を作り、そのなかでの反射を楽しんだり、枠にぶつかって変形させるのを楽しむものとしたら、このオーケストラは最初から巧みにスペースを作っておいて、ソロイストはどんどん開いているスペースを求めて流れていく(なんかコレ、サッカーのFWの戦術書いているみたいだナ)、そんな面白さを受け取るべき表現だから。で、スペースを生むべき概略の与え方がアレンジャーの腕の見せ所というわけ。そして、それがきちんとしていていれば、少しレギュラー・メンバーが変わってもなんとかなるし、その日の気分でプレイヤーはどうにでも動き回れるというわけなのですね。 |
| 11日(土) |
| ロン・セクスミス |
| 渋谷・クラブクアトロにてロン・セクスミス。前座あり。なんとかスチュアートという人。休憩時間に“フォーク好き”のオカムラに聞くと、ドッグス・アイ・ヴューにいた人ですよとさらっと言う。ふーん。でも、凛としていて、非常にまっとうな才を持っている人物。もうちょっと聞いてもいいナと思った。なんせそのときは、セクスミスよりいいんじゃないかなんて思いがぼくの頭のなかをかすめたぐらいだから。というので、ぼくは世評ほどセクスミスを買っていないというのが分かりますね。 でも、セクスミスはそれとは重ならない方向で、ちゃんと自分の味を出していた。いつものように、ベースとドラムスを従えてもの。それに彼を加えての三者の無理のない重なりのなかから、彼ならではの個性をふんわりと浮かび上がらせていく。直線的というか、ストレートにならざるを得ない先のスチュアート弾き語り表現を先に聞いたからこそ、その“ほんわかな協調作業”はセクスミスが狙うところの(弾き語り表現を核に置きつつも)弾き語り表現の先に求めるものを、あららっていうぐらい分かりやすく浮上させていた。スチュアートさん、ベストな助演でしたね。 とかなんとか、なんか新鮮に聞けた。セクスミスは過去二回見ているはずだが、前のことって、ぼんやりとしか記憶に残ってないんだよなあ。でも、今日のライヴはそれなりに覚えていると思う。たぶん。あ、それから、なんとなくキブンで丸一週間ライヴ関係に行くのをヤメていただけに、それもいいほうに働いていたかも。人間の印象なんてそんなもんですね。 |
| 4日(土) |
| ズボンズ |
| 新宿・リキッドルーム。7時ちょいに着くと、あららズボンズの演奏はとっくに始まっている。前座もあるはずなのに....うーむ、土曜日だから始まる時間が早かったのか。それ以外、考えられないよな。てへへ。 で、ズボンズだが、前回とけっこう印象が違ったなあ。曲目を変えているところもあったし、後半松明(たいまつ)みたいのをたいたり(ハッタリ効かせたい飲食店が店の入口に出してそうなやつ。消防法ギリギリ?)と、ステージのお膳立てを変えている部分もあったし。また、前回よりバンドのコンビネーションがさらに良くなっていたのは間違いない。安易に常套句並べるが、強く、逞しくなってたもの。それと、新加入のドラマーはいい。今回、本当にいいと思った。ときおり見せる、素晴らしい瞬発力。昔、ブンブンサテライツのサポート・ドラマー見て感激したのと同様の感興を覚えた。どんなドラマーが好きな人なのかなあ。 前回見たのは、1ヵ月半前。さすがのぼくも当初、今回のライヴは行くつもりはなかった。ところがレコード会社の方から電話で丁重なお誘いを受け、ついでにこの<ライヴ三昧>も楽しみに見てますなんて言われたら、行くしかないではないか。オレ、基本的に男気の人だから(カンケーないか)。でも、誘ってもらって良かったと思いましたね。バンドは生き物、ズボンズも日々動いているってのがきっちり判ったもの。とにかく、そうした成長なり変化をきっちり出せるというのは,バンドとして風通しじか良くてまだまだ伸びしろがある、非常に好ましい状況にあるということ。いくら大好きなバンドでも、1年半後のライヴがほとんど同じ(ちょっと新曲が増えたぐらい)みたいなのもあったりするからなあ。 本編の締めくくりは、ザ・ローリング・ストーンズの「ティル・ザ・ネクスト・グッバイ」(『イッツ・オンリー・ロックンロール』収録)。ぼくはその曲のオリジナルを死ぬほど聞いていてミック・ジャガーの声が頭のなかにこびりついているにもかかわらず、マツオの歌も首を傾げず聞けてしまった。前回のリポートで歌が弱いと感じたと書いたが、この日はそれほど気にならなかった。また、同様に歌のコール&レスポンスのレスポンスが弱いとも書いたが、今回は返しの声も少しデカくなってるように思えた。なんかチョーシ良く取っているかなあ、でも本当にそう感じたんだもん。 ところで、なんで会場はあんなに暑かったのダ。まるで、エアコン切っているみたいに蒸し風呂状態。松明が炊かれるあたりから、少しエアコンが効き出したような感じもあったのだが、それ以前はワザと切っていた? まさか。ぼくは本当に閉口しましたよ。何度か、健康のため帰ろうかと思ったもの。話は飛ぶが、去年の渋谷クアトロのライヴに、ズボンズが面倒見ている(って聞いたような聞かないような)ぶっこわれ系女性バンドが前座として出たことがあったけど、あのバンドどうなったかなあ。オレ、すごく気に入ったんだけどなあ。 1度目と2度目のアンコールの間にトイレに行くと、この前(8月3日の項参照)ロンドンで会ったネイザンとばったり会う。うわあ。ロンドンで会ったとき名刺持ってなくて、彼らのホームページ経由でメールでも打つよとか言ったような気もするが、暑いのとかなり多忙だったもので、送ってなかったんだよなあ。そういや、そのとき彼は日本に行くと言っていたようないないような。ともあれ、結果オーライ。後日、ちゃんと会うことになる。いいなあ、なんか毎日ハプニングしていて。飽きません。 |
| 2日(木) |
| カサンドラ・ウィルソン |
| 98年11月の来日公演同様、『トラヴェリング・マイルス』に基づくライヴ。なんか、軽く流していたような、いないような。少なくても、かつての歌のワン・センテンスだけで聞く者を射抜くような、静かな攻撃性のようなものは減じていた。それと、少し太りましたね。前回の公演見たときに、“うわあ、こんな人いたんだ。現代最良のブルーズ・ギター弾きだあ”(カサンドラ自身もそれには同意)と感激させたシカゴ出身マーヴィン・スーウェルの神通力も減ってきているような感じがして、少し悲しかった。 「ライト・ヒア・ライト・ナウ」だっけか1曲だけ、彼女はギターを手にして歌ったりも。これは目新しい。かつてフォーク・シンガーみたいなパフォーマンスやってたときも、こんな感じだったのかとか、想像力をくすぐられました。それと、やっぱり大型ジャズ・フェスとは多少進め方変えているナ。あっちのほうは、もっとニホン語を発して不特定多数とコミュニケートしようとしていたりとか、してました。 |