1999年9月



30日(木)

 今日はもう、この話題しかない。

 近鉄のドラこと山本和範が対ダイエー戦で、無敗の守護神・篠原から福岡ドームのスタンドにライナーで突き刺さる決勝ホームランを放ち、優勝ボケの王ダイエーに冷水を浴びせかける。

 骨を埋めるつもりだったホークスから、まさかの自由契約。石もて追われるように近鉄に移ったのが4年前。移籍当初こそ古巣への意地で打ちまくり、オールスターにも出場したが、ここ2年ばかりは佐々木監督にほされ、今年は最後まで一軍にあがれずじまい。さきごろ戦力外通知を受けたものの、まだまだ現役続行に意欲的な球界最年長選手。最後の花道にと土壇場になって一軍昇格、古巣の福岡ドームでのダイエー戦にスタメン出場、自分を見捨てた王ダイエーへの意趣返しと、現役続行へのアピールは、今季初ヒットがホームランという、最高の形で結実したのである。

 いやぁすごい。最高。まさにプロ。その場に居合わせなかったのがたまらなく悔しい。ニュースを聞いたとき、思わず鳥肌が立ったぜ。これぞプロの中のプロ、男の中の男である。その瞬間だけ、福岡ドームは大阪球場のようだったにちがいない。今リスペクトする男をひとりだけあげるとすれば、誰がなんと言おうとドラ山本である。優勝ボケの王ダイエーの全選手が束になっても足元にも及ばない、逞しくしぶといプロ根性の塊である。ほんと最高。


29日(水)

 ミュージックマガジン記事のため、元ミュージックライフ編集長の東郷かおる子さんに取材。実は東郷さんの編集長時代のMLには書いたことがなく、おつきあいいただくようになったのは、彼女がシンコー・ミュージクを退社されてフリーになったあとである。いろいろ興味深いお話を聞かせていただくが、なかでも彼女が高校生だったころのお話はめちゃ面白かった。。ちょうどそのときビートルズが来日したのだが、とにかく世間のビートルズ・バッシングがものすごく、武道館公演を見に行くなら勘当・退学を覚悟の上だったという話である。まぁそういう類の文章はときおり目にすることはあるが、いざ当事者の口からお聞きすると、ものすごくリアル。女子高時代、ビートルズ・ファンはクラスに彼女ひとりしかおらず、「ビートルズなんか音楽じゃない」と言い張る教師を相手に1時間論争した話など、実に面白かった。極端にいえば、ビートルズなどロックンロールを聴く子供にとって、大人はみんな敵だったのである。「ビートルズなんか聴いてるのは人間のクズだなんて言ってた有名人がたくさんいたわよ。いつかそんな大人を見返してやるって気持ちだった。あのときビートルズ・ファンだった女の子はみんなそう思ってたと思う」と東郷さんはつい昨日のことのようにおっしゃる。ぼくがロックを聴きはじめた70年代初頭には、そこまでロックを敵視する風潮はなかった。たった数年で状況は激変したわけだ。いわばそのとき、ビートルズを、ロックを聴くことは世間の、大人のモラルや常識や規制に対する闘いだったのである。ビートルズの優れた音楽性を語るのはもちろん結構だけれども、それだけでは不十分なのだ。ロックはそもそもそういう危険な音楽だった。危険だからこそ、魅力的だったのである。いま、そんなロックがどれだけあるだろう。

 夜は音楽ライター講座。半年間の講義もこれが最後である。終わって飲みに行きたかったが、余裕がなく即帰宅、ずっと原稿。


28日(火)

 またも一日原稿執筆。ジョー・ストラマーの10年ぶりの新譜のライナーを書いていたんだけど、なかなか進まず結局丸一日かかってしまった。ジョン・ライドンやポール・ウエラー同様、この人について本腰入れて書くとなると、あれこれネタがあがりすぎて整理するのに苦労する。音楽の中身のほうは、10年たっているとはいうものの、前作『アースクエイク・ウエザー』の延長にあると言える内容。まぁいまさらこの人にパンクっぽいものを期待する人はいないと思うけど、でも、クラッシュ時代からまったく断ち切れた内容かといえば、そうとばかりも言えない。詳しくは日本盤買って読んでください。10月にエピックから発売予定です。


27日(月)

 ここのとこ日記の更新が滞りがちで申し訳ないです。単に仕事が詰まりまくって余裕がないからなんだけど、それ以上に日々の生活が単調で書くネタがないってこともある。一日中パソコンに向かってカタカタやってるだけの毎日だもんなぁ。それでも余裕があれば、日々思うことなどを書きつづるんだけど、いまはそれもままならないし。

 その代わり、いくつか暖めているネタもある。ひとつは、読者の方からの提案でもあり、ぼく自身も漠然と考えていたもので、「無人島に持っていく10枚のレコード」。まぁありがちな企画ではあるけど、ネット上でやれば不特定多数の人が気軽に参加できるし、面白いものになるのではないかと思っている。投稿者の年齢、性別、職業別のデータをとっても面白いかもしれない。これに関しては掲示板形式にするか、READER'S FORUMと同じ投稿形式にするか検討中。「こうしたらいいんじゃないか」というアイディアや意見を、ぼく宛のメールか、BBS1の方に書き込んでください。

 それからもうひとつはぼくの書くコンテンツで、「LOOKING BACK 30YEARS」というもの。過去30年ぐらいの年度別アルバム・ベスト10をコメント付きで選出することで、20世紀後半のポップ・ミュージック・カルチャーを振り返ろうという企画だ。まぁそういうとおおげさになるが、要はぼく個人の音楽ファンとしてのこれまでを、世紀の切れ目の前に総括しようというものである。もちろんぼく個人が耳にしたものなど、音楽シーン全体からみればごく一部でしかないが、このHPに来ていただいている方なら、少しは興味持って読んでいただけるかもしれない。これも希望があれば、読者の方の投稿を受け付けることになるかも。

 ぼくが小学生ぐらいだったころ、21世紀の到来なんてものすごく遠い先のような気がしていた。そういう記念すべきモニュメンタルな瞬間に、自分が若者ではないということが若干悔しくもあった。でも世紀の変わり目なんて、まさに歴史の転換点の現場に立ち会うようでワクワクするるし、ましてぼくが小学生のころなんて、まさに高度経済成長の真っ最中で、テクノロジーの発達がもたらすバラ色の未来を誰も疑ってはいなかった。親の世代より自分たちが豊かになることが自明のことだった時代である。ところがいざ自分がオッサンになってその時を目前にしてみると、とてもじゃないが来世紀が明るい希望に満ちあふれたものになるとは思えない。ロックンロールのここ30年ばかりの歩みは、世界が希望を失っていく課程と軌を一にしているのではないか、という気もする。そんなロックンロールにつきあって人生の大半を過ごしてきたのが、ぼくの30年間でもあったわけだ。


26日(日)

 FIヨーロッパ・グランプリ。トップにたったクルマが次々とアクシデントにあったりリタイアしていくとんでもないレース。フレンツェン、クルサード、ラルフ、フィジケラ。ハッキネンは5位、アーバインは入賞もできず。なんと1位はハーバート、2位はトゥルーリ、3位はバリチェロという、競馬で言えば10万馬券コースの大荒れだった。強い馬がアクシデントにあうと荒れる可能性が高いけども、F1もシューマッハひとりがリタイアすることで、大荒れになってる。つねに万馬券決着を望むワタシとしては、F1もこれぐらい荒れた方が面白いです。いつもマクラーレンとシューマッハじゃ、おもしろくないしね。

 ここのところずっとシンコー・ミュージックから出る洋楽ディスコグラフィ本の執筆が忙しい。昨日はほとんど仕事にならなかったので、そのぶん今日は根を詰めた感じ。ツェッペリン、イギーときて、今日はドアーズのアルバムを一日聴いていた。もっとも愛着のあるバンドだから、書きたいことはたくさんあるけど、いざとなると筆がなかなか進まない。


25日(土)

 福岡ダイエーホークス優勝。決まるのは日曜日以降と思ったが、西武が崩れてあっさり最後まで行ってしまった。

 試合展開が試合展開だったのでゲームの最中は結構燃えたし、決まった瞬間はうれしかったけども、その後のスポーツニュースや、翌日の新聞を見ていたら、シラケたというのでもなく、なんとなく醒めてしまった。

 予想通り優勝はすべて国民栄誉賞監督の功績になってしまっていたが、これはまぁスターらしいスター選手のいない九州のローカル球団なんだから、マスコミ的にいえば仕方ないと言えば仕方ない。王さんの談話に故根本球団社長の話が一切出てこなかったのは意外というか薄情というか、この人の本性を見た思いがしたけれども。

 ただ否応なく現実に気づかされたのは、「球団創設11年目の勝利」「チャンピオンフラッグが関門海峡を渡ったのは36年ぶり」という言い方はされても、「ホークスとしては26年ぶりの優勝」という言い方がほとんどされなかったということ。ほとんどのマスコミはダイエーを南海の後身ではなく、「西鉄ライオンズのあとを継いだ九州の球団」と認識しているということで、これはちょっとショックだった。南海ホークス・ファンだったぼくとしては、当然いまのダイエー・ホークスは南海ホークスの延長だと思っていた。確か南海電鉄がダイエーに球団を売却する際の条件のひとつがホークスという名前を残すことだったはずで、つまりそれは南海ホークスの魂をホークスの名に託して残したということにほかならない。だからこそぼくもダイエーの球団経営にさんざん文句を言ってきたんだけど、そんなぼくの思いこみを取り残して、ダイエー「ホークス」は南海「ホークス」とは関係のない、いわば西鉄「ホークス」の生まれ変わりとして、まったくちがう球団へと変わってしまっていたわけだ。まぁそんなこと、当たり前と言えば当たり前で、気づかなかった(気づこうとしなかった)ぼくがバカなだけだが、いわば、ずっと自分のものだと信じていたオンナが、いつのまにかほかのオトコに寝取られ、そのオトコ好みのオンナに変わってしまい、周りも全員それを知っていたのに、自分だけ知らなかったとか、そんな感じ(笑)。ぼくの見た限り、南海のことに触れていたのは日刊スポーツのみ。その日刊スポーツ・コムのなにわWEBには、「浪速のタカ・ファンは複雑な気持ち」とあった。ぼくも同感だ。どっかの新聞には「九州のファンは、かって西鉄ライオンズの宿敵だったホークスが九州に移ってきたことに複雑な気分だった」とあったけども、南海ホークス・ファンが同じ気持ちでいたことに、どうして思い及ばないのだろうか。いや、思い及ばないのではなく、身売りされ九州に移った時点で、もうわれわれ旧南海ホークス・ファンとは関係のないモノになってしまったということなんだろう。同じなのは「ホークス」という愛称だけで、そこには「南海ホークスの魂」などなにひとつ継承されてはいない。今回の優勝にあたって、南海最後の監督でありダイエー初代監督でもあった杉浦さんや、南海最後の優勝監督である野村さんのコメントが、妙に醒めていたのに対し、元西鉄の稲尾さんらのコメントが熱かったのが、すべてを物語っている。ぼくはダイエー・ホークスの監督には杉浦さんや野村さんがふさわしいとずっと主張してきたけれども、ふさわしいのは稲尾さんや中西さんだったのだ。いずれにしろ元読売の4番打者じゃないことは確かだけど(笑)。

 なんか、憑き物が落ちた感じだ。南海ホークス消滅から11年、ようやく現実に、平常心に戻れた気がする。自分のなかでようやくケリがついた、そういう感じだ。もうぼくは昨日までのようにいまのホークスを語ることはないだろう。他のパ・リーグ球団より関心も、知識もあるが、ぼくがもうホークスという名にかってのような屈折した愛着を持つことはない。数あるプロ野球球団と同じである。たとえダイエーからほかの企業に身売りしたとしても、ね。王さんもいつまでもご健在で、監督をおつとめください。

 それにしても、いろんな自称ホークスファンの芸能人がコメントを寄せていたけど、一番腹が立ったのは武田哲矢とテリー伊藤。さっさと目の前から消えてくれ。


24日(金)

 一日原稿。野球もなく、なにもない一日だった。つぅか、なにをしていたか覚えていない(笑)。


23日(木)

 松中の決勝ソロホームランで延長戦を制し、西武が負けたためついにマジック2に。最短で25日(土)に福岡ダイエー・ホークスの優勝が決まる。ここまでくれば、さすがに決まりだろう。12安打も打って2点しかとれない打線は相変わらずだらしないが、投手陣は本当によく踏ん張っている。もちろんこれは監督の功績でもなんでもなく、今年から就任した尾花投手コーチの力である。

 旧南海ファンとしては、いまの親会社の体質・体制には大いに不満があるし、もちろん宿敵・読売の元4番打者である王監督のもとで26年ぶりの優勝とか言ってもシラけるばかりではある。この優勝がすべて無能・無知・無恥な元読売の国民栄誉賞カントクの功績となるのかと思うと、杉浦さんや穴吹さん、広瀬さん、野村さんの苦労はなんだったのかという気にもなるが、やっぱ今世紀中に見られるとは到底思えなかったホークスの優勝が紛れもない現実として間近に迫ってきたとなれば、やはり落ちつかない思いである。とりあえず土日は自宅で静かにその時を待つとしよう(残り試合全敗して優勝できなかったりして。そうすりゃ監督の責任問題となるだろうし、それならそれでいい)。優勝して商品価値を高めてアサヒビールかなんかに身売り、監督は勇退というのが理想ですな。

 南海ファンなら涙なしには見られないページ。26年ぶりの優勝を誰よりも喜ぶであろうこの人に、監督として優勝の美酒を味あわせてあげたかった、ほんとに。


22日(水)

 渋谷のBMGジャパンで殿下のニュー・シングルの試聴。ミドル・テンポの歌メロのポップな小品で、久々に本気で売りに出たことがわかる曲。ストリングスの使い方はアラビックというか、日本の歌謡曲っぽいのがおもしろい。

 そのあと六本木に飲みにいったのだが、久々に歩いた夜の六本木はすっかり水商売っぽい街になっていた。至るところにスカートの短いケバい女性や黒服っぽいロンゲの男が客引きをしていて、通行人の数より多いぐらい。前はこんなにひどくなかったよねぇ。それだけ不況で水商売も大変なんだろう。なんだか「高級な歌舞伎町」といった感じで、かっての若者の街といった印象はまったくない。むかし「クライマックス」や「玉椿」といったニュー・ウエイヴ・ディスコに通うため毎週末六本木で夜明かししていたころは、もはや歴史の彼方という感じ。


21日(火)

 朝起きたらメーカーのサポートからFAX。なんと、ウインドウズではSCSIカードをふたつつけることができないのだそうだ。まったくなんたる初心者な勘違い。ぼくのパソコンは古い98なので、バス・スロットは98独特のCバスとPCIバスがついていて(当然USBなんて気の利いたものはない)、現在の古いHDはCバス経由のSCSIカードで繋いでいる。最初はそこに新しいHDも繋ごうかと思っていたのだが、いま使っているSCSIカードでは大容量HDは使えないと聞き(おとといの勘違いはこれだった)、それならひとつ残っているPCIスロットに新しいSCSIカード経由で繋げばいいじゃん、オレって頭いい〜〜とかオロカにも思いこんでいたのである。まったくなんたる初心者ぶり。早速古いHDをSCSIカードごとスロットから外したら、あっさりと新しいHDを読みこみ、フォーマットもあっという間に終わる。ああ、たったこれだけのためにこの2日間苦しんでいたのか(泣)。

 午後からまりんこと砂原良徳の取材。というか、ソニーからアート・オブ・ノイズの新譜がZTT時代の旧譜とともに発売となるので、そのライナーのための対談である。自宅近くのバス停でいきなり電気グルーヴ脱退を告げられて以来の対面だ(4月21日の「DIARY」参照)。最近スタジオを作り、そこに一日こもって仕事することが多いというが、つまんない頼まれ仕事も多いらしく、金儲け最優先の業界事情に相当鬱屈がたまっているようで、言葉の端々がやけに攻撃的なのにびっくり。電気加入当初は、あんなにおっとりとしたおぼっちゃんだったのにねぇ。もっともプロになって何年もたつのに、いまごろそんな青臭い(考えようによっては)言葉を吐くあたりは、別の意味で「おぼっちゃん」ぽいのかもしれない。マネージャー代わりとなっているキューンの担当者に、独占インタビューを申し込んでおいた。以前会ったときは、自分のプロジェクトが目処がたつまで取材は受けたくないと言っていたので無理かもしれないが。

 さて、この2〜3日のパソコン騒動だが、得たものは金を出して買ったハード環境だけ、でも失ったソフト環境はすごく大きい。
  1. 蓄積していたデータ。一番大きいのは毎日欠かさず巡回していたニフティサーブのログ。パソコンを始める以前からワープロでニフティをのぞくようになり、パソコンを買ってからもずっとつきあってきただけに、初代のパソコン時代からのログも含め、情報の蓄積はものすごく多い。これがHDの容量を圧迫していたのは確かだし、そもそも過去ログを閲覧することなど滅多にないからさっさと削除してしまえばよかったのだが、できればずっと保存しておきたかったのだ。会議室のログなどはいつでもアーカイヴでダウンロード可能なのだが、ある意味でここ数年のぼくの歴史の一部であったことはまちがいなく、やはりこういう形で失われてしまったのはすごく悔しい。
  2. それからここ2年ばかり、スケジュール・ソフトで日々の活動を管理するようになり、手帳は打ち合わせ等のメモ用になっていたので、今回の一件でスケジュール関係のデータが過去・現在・未来とすべて失われてしまったのはものすごく痛い。細かい原稿の締切などもコンピューター管理していたので、とにかく極端にいうと、あしたなにをしたらいいのかわからない状態。
  3. 同じく、ここ2年ばかりずっとつけていた出納帳ソフトのデータも消えた。まぁただの家計簿ソフトなのだが、これがあると確定申告がすごくラクになるのだ。また来年になると領収書の束との格闘が始まるかと思うと頭が痛い。
  4. 一部の人のメルアド。常用のメーラーに記憶してあったものはかろうじて無事だったが、最近新しいものに乗り換えたため、まだアドレス帳を移しきっていなかったのだ。だからいまは、その人たちからメールがあるか、掲示板へ書き込んでくれるのを待っている段階。当然、乗り換える前のメーラーに残っていたメールはすべて失われた。
  5. ネスケのブックマーク。これは見事に消えました。まぁこのHPのリンク集で一部残ってはいるんだけど、当然ながらリンク集に載っていないものの方が圧倒的に多い。これはもう、地道に拾っていくしかない。
  6. でも一番大きかったのは、数年かけてコツコツとカスタマイズして、ようやく使いやすくなっていたデスクトップ環境が、失われてしまったことだろう。いろんな細かいフリー・ソフトやシェア・ソフト、こつこつと集めてきた壁紙、スクリーンセイバー、アイコンや、ふだん滅多に使わないような些細な調節を繰り返してきて築き上げただけに、これが全部リセットになったのはすごく痛い。まさに自分の過去の努力を全部否定された思いだ。

 逆に失われずに済んだのは、過去の仕事(原稿)のテキスト・データ。これはワープロ時代から全部フロッピー保存にしていたので助かった。それから競馬関係のデータベース。JRA−VANから有料でずっとダウンロードしてきたデータベースは、外付けのHDに保存してきたので、今回の事故からは無事だった。それからこのHPのデータもね。あと、一部のシェア・ウエアlやフリー・ソフトが消えてしまい、どこから落としてきたのか覚えていないようなものは失ったうちに入るだろうが、まぁこれは些細なものだろう。

 とにかく疲れた。繰り返すけど、これが仕事が立て込んでいる時期だったらとぞっとする。

 教訓・バックアップはマメにとろう。


19日(日)〜20日(月)

 午前中からハードディスクの増設作業にかかるが、なかなかうまくいかない。コンピューターがハードディスクを認識してくれないのだ。休みだからメーカーのサポートもやっていないので、やたら分厚いが何度読んでもさっぱりわからない取り説を読むと、ウインドウズ95では大容量のハードディスクの使用に制限があると書いてある。げげ。これがうまく接続できない原因なのかと思いこみ(実はそれは大まちがいだった――後述)、あわてて近所のヤマダ電器へ、絶対買うつもりのなかったウインドウズ98のアップグレード版を買いに走る。これが悲劇の始まりだった(泣)。

 帰宅して早速ウインドウズ98のインストール開始。ところが始まってすぐ「ハードディスクの容量が足りません」と出て中断してしまう。説明をみると275MBの空き容量が必要とある。うっかりしていた。ハードディスクを増設したい一心で、そんなとこまでまるでアタマが回らなかったのである。MOなんて気の利いたものは持ってないし、フロッピーでバックアップしたってとてもおっつかないから、ファイルを削除しなければならない。しかし、そもそもハードディスクの空きが少なくなったことが今回の一件のすべてのきっかけなのに、なんでここでハードディスクの中身を捨てなあかんねん(怒)。もちろん、新しく買ってきたハードディスクにファイルを移せればそれですべて解決するし、実際それは可能だったのだが――あとで判明したとこによれば――、そのときはそんなことなど思いも及ばず、悪戦苦闘してファイルの整理に数時間。ノートン・ユーティリティを駆使して無駄なファイルを削除、奥の手として市販のパッケージ・ソフトをすべて削除(あとでインストールし直せばよい)、ええいとばかりに、滅多に使わないシエア・ウエアの類も削除、やっと空きスペースをひねりだす。すぐさまウインドウズ98のインストール。30分〜1時間ほどで終わるということで、階下でテレビなど見て時間をつぶし、頃合いを見て様子を見て戻ると、画面がフリーズしている。まぁよくあることなのでまた放っておいて1時間ほどして戻ると、まだ同じ場面でフリーズしている。さすがにこれはおかしいと思いあれこれいじるが効果なし。さらに30分ほど粘るが変わりなく、仕方なくリセットボタンを押す。やれやれ、やり直しか。ところが……ウインドウズが立ち上がらない。何度リセット・ボタンを押しても、時間をおいていろいろ試してみても、無駄である。DOS画面で「このヴァージョンのウインドウズはMS−DOS V-7.00以前では作動しません」と出てそれっきり。??????あれこれ資料をあたり、さらには本屋に行ってMS−DOSの解説書を見たりするが、さっぱりわからない。どうやら作業の途中でリセットしてしまったので、ウインドウズが中途半端にアップデートされてしまい、ウインドウズを起動するためのDOSとかみ合わせが悪くなったらしい(推測)。まぁこっちが悪いといえばそうだが、1時間半以上もインストールの途中で止まってりゃ、誰でもリセットすると思うんだけど。

 そのまま夜遅くまで悪戦苦闘。事態はまったく進展なし。奥の手のセイフ・モードでの起動もできず、ノートン・ユーティリティーも効果なし。当初はどうにかなるだろうとたかをくくっていたが、数時間の悪戦苦闘に、さすがに焦り出す。このままでは仕事に差し支えるし(というか、不可能)、HPの更新もできない。この日記を楽しみにしてくれる全世界の方々に申し訳ないではないか。で、ここはぼくの悪いとこなのだが、夜があけりゃメーカーのサポートも始まるし、販売店にも相談できる。世界中にウインドウズのインストールでつまづいている初心者なんて何千万人もいるわけだし、きっと自分と同じような症状の人もたくさんいるだろうから、なんとか救済措置もわかるだろう。だからそれまで待とう……とは絶対考えられないのだ。とにかくせっかちというか貧乏性というか、気になることがあるとすぐさま解決しないと気が済まない。拙速という言葉はよーく知ってるけど、とにかくさっさと結論を出さないとイライラしてなにも手につかなくなるのだ。さっさとあきらめて一杯ひっかけて寝て、翌朝のメーカー・サポートを待てばいいものを、いっそハードディスクをイニシャライズしちゃおうか……と考え始めたのである。

 確かにハードディスクをフォーマットしちゃえば、こりゃラクである。なにも考えなくていい。しかし、曲がりなりにもコンピューターを導入して数年間のデータの蓄積があるわけで、それがすべて失われてしまうのである。ここで冷静に考えれば、やっぱり翌朝まで待とうということになるのだが、疲労と錯乱でショートしているアタマは、理性などとうに吹き飛んでいる。さっそくイニシャライズ。作業はあっという間に終わる。時に夜中の12時を過ぎている。コンピューターの前に張り付くこと13時間。さすがに虚脱状態に陥るが、もう後戻りは利かない。さっそくウインドウズ95をインストールし直そうとするが、インストールに必要なインストール起動フロッピー・ディスクが見つからない。確かいまのパソコンを買ったときに、最初に作成したディスクだ。だがもう数年間使用していないので、どこにあるのかわからない。フロッピーがないとOSをインストールできない。OSがなけりゃこのパソコンはただのハコだ。つまりこの状態ではなにもできないのだ。かといって後戻りもできず、状況は最悪。あしたの朝、メーカーから有償で起動フロッピーを購入するしかない。そんなことするぐらいなら最初からイニシャライスしなきゃいいわけで、どうせなにもできないまままんじりともせず朝を迎えるぐらいなら、いっそ新しいコンピューターでも買うかという恐ろしい考えが頭をちらつき始めた。いま振り返ってみても、もはや完全に正気を失っていたのがよくわかる。もし先日CPUとメモリを乗せ換えてなかったら、ほんとに買っていたかもしれない。

 しかし2時間ほど家捜しして、ようやくフロッピーを発見。なんと、なくしちゃいけない大事なものということで、特別にブック式のフロッピー・ケースに入れていたものを、ケースの存在ごと忘れていたのである。とにかくこれでハードディスクのフォーマットが終了、OSもインストールし直して、なんとかコンピューターは復旧した。ネスケを入れ、続いてメーラーを立ち上げようとしたら、シェアウエアのため試用期間が切れていて使えない(メーラーの本体は別の外付けHDに入れていたのだが、OS再インストールのためレジストリの情報が消えてしまったらしい)。間の悪いことに登録用のパスワードも控えていない。エディタはなんとか再インストールできたが、いずれにしろパスワードをソフト制作者にもう一度問い合わせなきゃならない。早速ニフティサーブ経由で問い合わせのメールを送る。幸い急ぎの原稿はなく、せいぜいあしたの取材の下準備だけ。これが締め切り地獄の真っ最中だと完全にパニックとなるとこだが、不幸中の幸いだった。まぁそんな時期にHDの増設だのOSのアップデートなど、しないだろうけど。

 必要なソフトのフロッピーやCD−ROMを探したり、シェアウエアをダウンロードしてきたり、デスクトップ回りを元通りにしようとあれこれいぢっているうちに、いつのまにか夜が明けてしまった。カラダはぐったり疲れているが、アタマの方は興奮で冴え冴えとしていて、全然眠くならない。仕方ないので徹夜のまま作業を続ける。ウインドウズ98も、今度は無事インストールできた。しかし相変わらず新しいHDは認識してくれない。メーカーに問い合わせのFAXを送り、一段落ついたところで翌日の取材準備。完徹なんて数年ぶりだが、まさかこんなことになろうとは。あ〜あ。

 夜はリキッド・ルームでコーネリアスとゆらゆら帝国のライヴ。日本では10ヶ月ぶりとなるコーネリとゆらゆら。どう考えても唐突で、接点などありそうにない組み合わせで、おそらく小山田の方がゆらゆらを気に入って声をかけたのだと思われるが、意外にも先に出てきたのはコーネリの方。昨年末の恵比寿ガーデンホールのときより、さらに引き締まったタイトでソリッドな演奏。メリハリの利いたギター・リフとビートで押しまくる。最近あまり見ないぐらい、ロック・バンド然としたライヴで、えらくカッコいい。そう、まさかあのネオアコ番長の音楽に「かっこいい」などという形容詞を使うとは思わなかったが、とにかくロックしていた。おそらく小山田的にはいま、生涯はじめての「バンド・ブーム」「ロック・ブーム」なのだろう。ヴォーカルもほとんどとらず、かっての彼の良さである「歌メロの良さ」みたいなものはほとんど感じ取れなかったが、それでもとびきりポップで人なつっこい。バッファロー・ドーターも言ってたが、こういう資質こそは小山田ならではのものなのだ。いや、さすがでした。

 で、ゆらゆら帝国であるが、見たのは数年ぶり。メジャー進出後ははじめてだ。小山守さんをはじめ、受講生の評判がやたらよく、気にはなっていた。アルバムからもある程度想像できたが、インディ時代のドロドロ感が薄くなり、ある意味で聞きやすくなっている。そのせいか、彼ら本来の「日本的な情念」というよりはむしろ日本的ポップさ=「歌謡曲性」が強く出ているように思えたのが興味深かった。

 ……とか、途中まではふつうに見ていたのだが、後半にさしかかるあたりからどうにもならないぐらい眠くなり、崩れ落ちそうになるカラダを支えるので精一杯。当然ライヴ後の最大の楽しみ・ビールなど味わう余裕もなく。終演後はそそくさと帰る。帰宅したらメーラー用のパスワードが届いていた。早速登録してなんとか一息つく。なんとか仕事はできる状態には戻った。いや、元に戻ったならいが、貴重なデータと時間を失い、大幅マイナス地点からのリスタートなのだ。おまけに、すべての原因でもある新しいHDは使えないままなのである。どうにもならない虚脱感。もう一度、あ〜〜あ(;_;)。


18日(土)


 青山のワーナーでボアダムスの取材。当然こっちはフールズメイトのインタヴュー記事が気になっているわけで、新作の出来映えとはまた別に、過渡期にあるバンドの状況を探り出すような内容になった。なんでもあのインタヴューはフジロックのライヴ中に腰を痛め、その痛みが最高潮に達して精神的に相当滅入った時期におこなわれたそうで、かなりペシミスティックな発言になったことはEYE本人も自覚していたようだ。とはいえああいう危機感はバンド全員が持っていたことも確かのようで、そのあたりをEYE、ヨシミ、ヒラが答えてくれた。一応掲載は『uv』の予定だが、あまり文字数がとれないということなので、なんとかロング・ヴァージョンをなるべく早く当HPで公開できないかと交渉中です。あてにしないで楽しみにしてください。

 取材のあとは時間が空いたので久々に秋葉原でDVD、LDの購入。LD『0011ナポレオン・ソロ』のボックスセット2巻各22000円が半額という価格にグラリとくるが我慢、予定通りキューブリックの限定DVDボックス(『時計仕掛けのオレンジ』『シャイニング』『バリー・リンドン』『フルメタル・ジャケット』)と『がんばっていきまっしょい』『ブギーナイツ』『キング・クリムズン/デジャ・ヴルーム』と、予定になかった塚本晋也のLDボックスを購入。LD、DVDは単価が高いのでなるべく安い店でまとめ買いするようにしている。秋葉原はダイナミック・オーディオのほかリバティなど安い店が揃っているので助かる。でもこんだけ買ったのに3日後の今日(21日)になっても1枚も見ていません。

 そのあとパソコン・ショップをぶらぶらしていたら突然ハードディスクが増設したくなり(笑)、I−Oデータの13Gを購入。といっても内蔵1.6G、外付け1Gのハードディスクはもう満杯に近く、はやく増設せねばと思ってはいたのである。これで画像も扱えるわいとホクホクしながら、次の予定の宴会会場である渋谷に向かう。あとで地獄を見るとも知らず……(苦笑)。

 宴会は、元ぴあで、現在はロンドン在住の新藤さんの一時帰国歓迎会。オトコの出席者はオレひとりだったが、みなさまギョーカイ歴の長い貫禄たっぷり、バリバリのキャリアウーマンのおねーさま方ということで、隅のほうでおとなしくしていたら早々に寝入ってしまい、気づいたら宴会は終わっていた。
17日(金)

 ユニバーサル・ミュージックの洋楽コンベンションに出席。ユニバーサル・ミュージックとは映画のユニバーサルと同じ資本で、日本ではポリドール、マーキュリー、キティといったレコード会社を統轄する音楽ソフト会社。いずれそれらの会社は合併してひとつの会社になるらしいが、詳しい業界事情はよく知らない。間違ってたらごめん。マスコミ、ディーラーあわせ大変な出席者だったが、中身もなかなか豪華だった。スティング、ジェーン・バーキンに加え、ポール・ギルバートほかメタルの人たちのセッション・バンドと、生出演&生演奏あり。スティングは新作『ブラン・ニュー・デイ』からタイトル曲と、「Every Breath You Take」の2曲を弾き語る。後者は一番盛り上がる展開部のキーが高くなるパートをはしょっていた。みっともない。だったら最初からやらなきゃいいのに。ホントに高い声は出なくなってるみたい。ジェーン・バーキンは今年53歳だそうだが、着古したジーンズと男もののワイシャツを無造作にはおり、床に座り込んで歌う姿は確かに若いし、魅力的。今井美樹とカヒミ・カリィの母、パティ・スミスの姉という感じ。司会者は「自然体の魅力」を強調していたけど、いやいやどうして、計算し尽くされたオシャレという感じでした。秋からの野島伸司のドラマ(田村正和、常磐貴子出演)に彼女の曲(もちろんセルジュ・ゲーンズブールの曲)が採用されるらしい。ポール・ギルバート、ザック・ワイルドほかのメタル・セッション・バンドはザ・フーの曲ばかり(正確にいうと1曲はエディ・コクラン「サマータイム・ブルース」)4曲演奏。「サマー〜」「マイ・ジェネレーション」「ロング・リヴ・ロック」「無法の世界」。あと1曲なにかやったような気がするが忘れた(→思い出しました。「ピンボールの魔術師」)。ギターがシンプルにリフを刻む「マイ・ジェネレーション」のような曲でもピロピロピロ……とついつい余分な装飾音を入れてしまうのが、いかにもメタルの人たちという感じだが、もちろん演奏技術はしっかりしている人たちばかりだから、意外に楽しめた。ていうか、楽曲の良さを痛感。このへんの60年代の人たちはほんとにいい曲を書いていたと思う。ギルバートさんたちも、このへんのスタンダード曲はとくに学習の要もなくさっさと合わせられるんだろう。そういう文化的蓄積の差は結構感じた。ヴォーカリストがヘボで全然魅力なかったのが惜しかったねぇ。終了後は懇親会だったが、顔見知りもほとんどいなかったので、さっさと帰る。レコード会社も人の入れ替わりが激しくて、この日も知らない人ばかり。


16日(木)

 自宅近くの喫茶店でミュージックマガジン大田辺誠一副編集長様と次号特集記事についての打ち合わせ。洋楽業界が空前の不況だという話になる。具体的な数字はよく知らないけど、外資系以外のレコード会社は次々と洋楽部門から撤退しているし、外資系の大手会社も洋楽部門からは次々と人が辞めている。リリース点数もめっきり減った。去年「ミュージック・ライフ」が休刊になったのをはじめ洋楽を扱う雑誌もどんどん減っている。ぼくの同業者にしても、洋楽専門でやってる人は大変だと思う。ただ、そんななかでもジャミロクワイみたいにドカ売れしちゃうものもあるわけだし、ぼくなんかが専門にしているようなマニアックな洋楽を聴いてるような人の数はそんなに変わらないような気もするのだが、どうなんだろう。国内盤はそうであっても輸入盤の売れ行きをあわせれば(都内の輸入盤屋の多さをみると、洋楽不況という声はピンとこない)総体として洋楽を聴く人の数はそんなに減っていない気もする。一方で、特に地方に住んでいる子たちにとってのむかしの洋楽の役割を、コーネリアスとか電気グルーヴみたいなバンドが果たしているという説もある。グレイやビーズやラルクを聴いてる子が洋楽など全然関心ないというのはわかる気もするが、といってスーパーカーとかグレイプバインみたいなバンドのファンがブリット・ポップを聴くのかといえば、そうでもないようだし(つまり洋楽の代用として聴いているわけでなない)。う〜〜〜ん、よくわからん。


15日(水)

 だいぶ前から犬を連れて遠出をする予定だったが、台風の襲来で断念、一日自宅で原稿。このクソ忙しい時期に丸一日つぶれるのは痛かったので、犬には悪いが助かった。原稿を書きながらボアダムス新作をずっと聴いていたが、例のフールズメイトのインタビューのことがアタマにひっかかっていて、なかなかのめり込めない。すごいんだけど、完璧なんだけど、あまりに完全な球体でありすぎて、聴き手の心にキズを残すような、そこから弾け飛んでいくような、ぶち破って飛躍していくような、そんな爆発力に欠けるような気がしないでもない。ちゃんとした感想はもう少し時間をおいて書きます。

 以前高橋健太郎氏が「タダで情報聞きだそうとするヤツが多すぎる」と書いていたことがある。つまり情報提供を生業とする者に対してちゃっかりタダで情報を聞き出そうとするヤツが多いってこと。どんな文脈でそう書いていたのか、よく覚えていないのだが、このHPをやるようになって、ときどきそれを実感する。自分は一銭も払わず、なんのリスクも背負わず、それでメシ食ってる相手にそれなりの情報を要求する奴。それでもきちんと礼儀作法を守って質問、あるいは希望を言うならまだしも、自分がどこの何者かという自己紹介もなく、いきなり理不尽かつ傲慢な要求を突きつけたり、ぶしつけな質問をよこしたり。自分から情報収集するという努力もなしに安直に相手に頼ろうという態度。せっかくこのHPを訪問してくれる人だから、できるだけ質問には答えてあげたいし、本業の仕事に差し支えない程度には、希望にも応えたいとは思うけど、そんな無礼な奴ばかりだとホントにうんざりしてくる。もちろんネット上の情報はタダが原則だし、ぼくだってそれを十分承知のうえでこのHPを運営している。できる限りの範囲内でではあるが、情報の出し惜しみもしないようにしているつもりだ。けど、タダである以上、情報はギヴ&テイクが大原則だろう。せめて、自分がどこの何者であるのか、HPをみてどんな感想を持ったか、あるいは管理人のふだんの仕事ぶりについてどんな印象があるか。それぐらいのこと書くのが、質問なり希望なり要求しようとする者の最低限の礼儀なんじゃないの? そう思いませんかみなさん?


14日(火)

 ここ2〜3日、また原稿地獄でまたまた日記の更新が滞ってしまった。まぁ仕事があるということだからフリーランスとしてはいいことなんだけど、ちょっと余裕のない生活になってると思う。もともと貧乏性のほうで、余裕をもった生活というのがなかなかできにくいタチではあるのだが。

 元NEWSWAVEのスタッフで、現在はフリーのライター/エディターとして活躍している吉村栄一は、知る人ぞ知るデヴィッド・ボウイ狂で、自ら超マニアックかつパラノイアックなボウイのHPを開設しているほどのマニアだが(今度復刊される「DIG」誌のボウイ特集でも執筆しているようだ)、一方で大変なYMO研究家でもある。編集者としてYMOの単行本を何冊も手がけているぐらいだから、プロの研究家と言っていいかもしれない。その吉村が、『YMO live period The chemical experiments』という、YMOの全コンサートのデータを記録した本を自費出版した。78年9月、たった13人の客を相手に池袋のヤマハでやった幻のファースト・コンサートから、93年6月11日、再結成ツアー最後の東京ドームまで、判明している限りの全曲目、雑誌や新聞の評、スタッフ用の機材リストやセット・メニュー表、知りうる限りの演奏の様子までくまなく網羅、さらに松武秀樹のインタビューまで、まさにマニア向けの1冊。海外ではビートルズ、ジミヘンなど同種のものがあるが、日本人アーティストでここまで徹底した資料集はおそらくはじめてではないか。特定のアーティストにここまでマニアックにのめり込むことのない(できない)ぼくなど、その熱意にはただただ驚くばかりだが、さらに驚くことに、これは吉村自らマッキントッシュDTPを駆使してレイアウトから原稿執筆、完全版下まで作った私家版であり、限定230冊を関係者に配布して終わりの「NOT FOR SALE」本なのだ。通常の仕事もこなしながら、一文にもならないこの作業。いやはや脱帽である。

13日(月)

 そういえば昨日からじゃがたらの再発CDをずっと聴き続けていて、柄にもなくあれこれ考え込んでしまったのは、なにかの兆候だったのかと因縁めいたものを感じずにはいられない。あまりこんなことは書きたくないのだけど。

 元ミュージックライフ編集部の三ツ木彩子さんがこの日はやく、亡くなった。享年25歳。ミュージックライフ在籍時に体調を崩して入院したことがあったが、そのときと同じ症状だったらしい。最後に会ったのは、確か昨年春の彼女の送別会だった。その後、体調もよく元気だと噂には聞いていたのだが、あまりに突然のことだった。

 彼女がMLにいたのは、ほんの1〜2年に過ぎなかったと思う。ぼくが彼女と頻繁に関わっていたのも、その間だけだった。ブリット・ポップ好きの彼女とぼくは音楽の趣味はいまひとつ合わなかったから、実際に彼女と仕事をしたことも2〜3回しかない。でも電話をするたび、編集部を訪ねるたび、笑顔で応対してくれ、なにこれとなく気を遣ってくれる三ツ木ちゃんを、ぼくは大好きだった。真面目で礼儀正しくて気だてがよくて、お酒とカラオケに目がない三ツ木ちゃんが、大好きだった。一回だけ彼女とサシで飲んだことがある。なにかの取材かコンサートの帰りだったと思う。新宿のDUGだった。とりとめもなく話した雑談の内容は、好みの異性のタイプとか、そんな話だったように記憶している。今度デートしようねと約束して別れたのだけど、結局はたすことはできなかった。

 葛飾の下町にある彼女のお宅にお邪魔してきた。棺のなかの彼女はまるで眠っているようで、なにかから解放されたような穏やかな表情をしていた。大好きだったスウェードのバーナード・バトラーとの記念写真と、10月20日発売のバーナードの新譜のテープと、やっぱり大好きだったSMAPの中居くんのポスターが棺の上に置いてあった。結局彼女はバーナードの新譜を聴くことも、今夜の「スマスマ」も見ることもできなかった。この先も、ずっと。

 やっぱりさぁ、おかしいよ。25歳だぜ。まだ人生1/3しか行ってないじゃないか。俺みたいに人生後半戦に突入した年寄りが先に死ぬのが自然の摂理というものだろう。こんな不条理な、残酷なことってないよ。

 手向けというのでもないけど、三ツ木さんとの最後の仕事となった昨年春のミュージック・ライフの原稿を再掲しておく。こんなときには相応しくないおふざけ原稿だけど、冗談好きで、いつも笑っていた彼女は、きっと喜んでくれるのでは、と思う。

 チョコレート業界の販促戦略に過ぎな
いのは明らかなのに、聖ヴァレンタイン
なる記念日に一喜一憂する善男善女は星
の数ほどいる。さしずめ本誌読者など
「お年頃」が多そうだから、贈る側も受
けとる側も悲喜こもごもであろう……な
ぁんてオヤジ臭い言い回しをするのはも
ちろんぼくが、そんな青春的イベントか
ら遠く離れてしまったからである。数年
前までは唯一ツマがお義理によこしたも
のだが、「何もお返しがないから」とい
う、打算丸出しの理由で突然の打ち切り
となり、それ以来まったく縁がない。

 そんな中、編集M崎熟女から「小野島
さんにチョコあげたいんだけど……」と
電話があったときは「いや、ボクにはツ
マも子も(犬だけど)いますから」など
とウロたえつつもその気になってしまっ
たのだが、よくよく聞いてみると、「恐
怖の甘味地獄」の実験台なんだとさ。ヴ
ァレンタインの当日チョコを食いまくり、
おまけにML編集部選りすぐりのアイド
ル・ポップスのCDを聴きまくるという
ダメ押し付き。

 実をいうとこの連載企画、そもそもぼ
くが発案したものなのだ。そのときはか
のネオアコ系評論家M子K眞氏を密室に
閉じ込め一日中デス・メタルを聴かせる
という血沸き肉踊る案だったのだが、な
ぜか実現せず、最終回の今回になってい
きなり当の発案者であるぼくに回ってき
たのだから、これも何かの因果か。嗚呼。

 甘党辛党というけど、酒好きのぼくも
甘いものはまったく苦手というわけじゃ
ない。家族が買ってくるケーキやドラ焼
きのひとつやふたつ、ペロリと平らげる
ことだって珍しくない。

 しかしこの日はいかにも条件が悪かっ
た。まず前夜の深酒で帰宅は朝の5時半。
昼過ぎに編集三ツ木嬢の電話で叩き起こ
されたときは、完全無欠の二日酔い状態。
オマエは一年中そうじゃないかと言われ
れば返す言葉もないが、とにかくアタマ
はズキズキ痛み、胃はムカつき、顔はパ
ンパンにむくんでいる。ふつうの食事で
さえ受け付けそうもないのに、チョコだ
のケーキだの、想像しただけで恐ろしい。

 しかしそんな惨状のぼくにまったく頓
着なく、わざわざ自宅までチョコを届け
てくれた三ツ木嬢、両手に抱えた大量の
チョコ、菓子パン、アイス、ケーキの類
いをひとつひとつ指差しながら「コレは
朝食、コレは夕食、コレはオヤツ」など
テキパキと指示を出す。とどめに「飲み
物もコレにしてください」と「練りココ
ア」なるシロモノを差し出されたときは、
いつもは天使のように可愛い三ツ木嬢の
口が、耳まで裂けているように見えた。

 早々にお引き取りいただき渋茶とソバ
でもすすろうと思ったが「朝食」を平ら
げるのを確認するまで帰りそうもなく、
仕方なく覚悟を決め、「オトモダチ」な
る名前のタヌキを模したチョコ・ケーキ
2個を摂取。三ツ木嬢の地元では評判の
味らしいが、一口食べただけで吐き気が
こみあげる。これはマジヤバイ。それで
も死ぬ思いで胃袋に収めていると、隣で
はツマと三ツ木嬢が「スマスマ」がどう
のシンゴがどうのナカイクンがどうのと
うるさい。まったく気楽なもんである。

 それからあとのことは思い出すだに恐
ろしい。特に問題の「練りココア」がス
ゴかった。それだけで何も食べる気がし
なくなるほどヘヴィ。テイク・ザットだ
のヒューマン・ネイチャーだのボーイ・
ゾーンだのロビー・ウィリアムズだの
マーク・オーウェンだのを立て続けに聴
きながらひたすらチョコを食べ、テレビ
の画面はなぜか競馬中継。胃にもたれる
とはこのことだ。もちろんこんな状態で
馬券が当たるわけもなく、見事全敗。日
が落ちて、ツマに通常の夕食を作るよう
懇願しても「仕事でしょ」の一言で却下。
コメの飯と焼き魚、味噌汁、煮物という
平凡きわまりないメニューがこれほどう
まそうに見えたことはかってなかった。

 青息吐息のまま夜中の12時となり、渋
茶と梅干し、明太子ををなめるようにい
ただく。生きていて良かったと痛感した
のだった(ちなみに競馬は翌日も惨敗)。


 さようなら、三ツ木ちゃん。俺もすぐ行くからさ。また会おう。


12日(日)

 今日の札幌競馬6R4歳以上5百万下で、我が愛馬ロードキーロフが単勝一番人気1.3倍に応え、後続に半馬身差をつけ快勝。鞍上は横山典弘。6月27日に未勝利を勝ちあがったロードプラチナムに続く愛馬の勝利だが、キーロフは5歳未勝利であとがなく、去勢手術までして挑んだ、まさに背水の陣だっただけに一安心である。つうか、さすがに有力馬が鈴なりになってる藤沢和厩舎だけあって、馬房の関係であとまわしにされ、必要以上に待たされた感あり。ふつうの厩舎所属ならとうの昔に勝ちあがっていたろう。去勢手術後の復帰戦、しかも未勝利からの格上挑戦となった先週のレースで3着に入り、確勝を期しての連闘だった。藤沢のことだから、このあとまた放牧に出してしまう可能性があるが、できればこのまま中央場所に戻り、準オープンぐらいまで出世してほしいものである。4回阪神の終わりにはプラチナムも復帰しそうだし、秋競馬は楽しめそうだ。できれば来年の安田記念にキーロフ、秋の天皇賞にプラチナム参戦、てなことになれば理想的なんだけど。

 浅田彰・田中康夫『憂国呆談』(幻冬社)読了。クルマ雑誌『NAVI』に連載中の対談の単行本化。バブルが崩壊し不況が深刻化しはじめた94年から昨年までの時事ネタを語り合っている。同世代最大の論客であり行動家であるふたりの該博と洞察力にはいつもながら感服します。勉強になりました。『NAVI』の鈴木編集長がやめ、この対談も連載終了らしい。残念なことである。

 『レコード・コレクターズ』のレコ評のため、一日BMGから再発されるじゃがたらの旧譜をまとめて聴いていた。いろいろ思うことあるも、ありすぎて、ここでは書ききれない。


11日(土)

 アナーキー、ロン・セクスミスと都内各所でライヴ。ぼくは日比谷野外音堂でギターウルフを。どうせいつみても同じだし、1回ぐらいパスしたっていいとも思うが、一応あのウルフが野音である。鑑賞というよりは見学に行ってきた。なんでもこの日は別のとこでマッド3やギョガンレンズもやっていたそうで、客はだいぶバラけているはず。それでもかっこはつく程度の入り。内容はもちろん毎度おなじみではあるが、ギターウルフのロゴをかたどった巨大電飾など、それなりに舞台装置にも凝っているのが微笑ましかった。アンコールに2回も応えたのはびっくり。そんなもったいぶったことせず、そのぶん本編に組み込んで、「キック・アウト・ザ・ジャムズ〜ランブル」のおなじみのメドレーで精も根も尽き果てたほうが彼ららしいのに、と思う。

 帰りに渋谷HMVのDVDコーナーに行ったら、「イエロー・サブマリン」とキューブリック4タイトル収録のボックス・セットが。かなり迷うが、やっぱり10%引きで買える秋葉原ダイナミック・オーディオに行くまで我慢我慢。キューブリックは2500セット限定なのですぐにでも売り切れる危険性もあるが、ま、そのときはそのときだ。


10日(金)

 昨晩の飲み過ぎで二日酔い気味。あれこれ雑用を片づけながら新譜テープやCDを聴きまくる。なかでも楽しく聴けたのが殿下(プリンス名義)のワーナー未発表曲集『ザ・ヴォルト〜オールド・フレンズ・フォー・セイル』。割合ポップな、肩の力の抜けた小品を集めたアルバムで、大文豪の筆のすさびの随筆集みたいな趣。ジャズ色濃い曲が多いのがおもしろい。

 ところで、私が講師をつとめる「音楽ライター養成講座」10月期受講生を募集中です。詳細はここを参照してください。6時からと8時からの回があり、講義内容は基本的に同じですが、若干のちがいもあります。

6時の回……はやく始まるので、時間を潰す必要がない。はやく終わるので、夜を有効に使える。比較的若い人が多い。女子率も若干高い。新規受講者が割合多い。

8時の回……遅く始まるので、会社や学校の終わりが遅い人、場所が池袋から遠い人もラクに通える。講義終了後はほぼ例外なく講師もまじえた酒宴があるので、親交をふかめやすい。比較的年齢層が高い。継続受講者が多い。

 講座出身者でプロとして活動中のライターも何人かいらっしゃいます。場合によっては講師が既存の音楽誌などにライターとして紹介することもありえます。また文章修業というだけでなく、音楽について情報交換したりフラットに語り合える仲間を得られるというメリットもあるみたいです。開講は10月6日です。たくさんのお申し込み、お待ちしてます。


9日(木)

 渋谷の喫茶店でビデオアーツ・ミュージックの丹野さんと打ち合わせ。この秋以降にリリース予定のジャック・ケラワックの「路上」の作家自らによる朗読アルバムとか、フランク・ザッパ7回忌記念の編集盤などについてあれこれ。丹野さんはフリクション『ゾーン・トリッパー』のA&Rだが、レック御大の近況はといえば、新ドラマーは決定(佐藤稔ではない)、現在ギタリストを探してあちこちのライヴ・ハウスに出没しているとか。一応本人はやる気満々なので、ギタリストさえ見つかればすぐにでも活動を再開したいらしい。つぅことは来年にもフリクションの新作登場か? いやいや、あてにしないで待ちましょう。

 そのあと下北沢に移り、ポリシックスのPOLY−1号にインタビュー。彼にインタビューするのは2度目だが、とにかく素直でカワイイ。すれたところのないいい子。ポリシックスのセカンドは10月22日発売だが、メンバー・チェンジをへて、以前よりはるかにバンドっぽく、パンクっぽくなってかっこいい。ファーストがプラスティックスなら、今回は初期のP−モデルってとこか。ライヴにより近い作りと言えるかも。なおPOLY−1号という芸名はやめることにしたそうで、今後はハヤシ・ヒロユキ君と呼んであげましょう。

 さて、ズボンズ担当の東芝黒田さんからまたメール。ご本人の了解を得て、また転載させてもらいます。

 小野島さん、こんばんは。

 先日はズボンズライブご来場頂きありがとうございました。
 私はやむをえない事情で欠席したので、お会いできずすいません。残念です。

 3日のライブは、かなり不出来であったと連絡を受けています。
彼らのライブを担当になってから20本ほど観ていますが、出来不出来の落差が激しく、アベレージを計れないのを常々惜しく思っています。機材や自分たちのコンディション、ハコの鳴り、客のテンション、PA、諸々全てに影響を受け過ぎてしまうのは、私は精神面の問題と受け止めていますが、これからの課題であると大きく思っています。

 アメリカでは今までエンペラーノートンからリリースしていましたが、先日キャピタルのオデオンレーベルと正式契約が完了しました。アルバム「Bomb Freak Express」が来年春先に全米(一部ヨーロッパも含むらしい)リリース、それを受けて全米ツアーの予定です。キャピタルは私個人の私見では、女性もののイメージが強いのですが、オデオンレーベルという括りで新人バンドを国内外やりたいという意志があるらしく、楽しみにお手並み拝見といった感じです。

 ズボンズとしては、この秋はイベントや学園祭などでライブの修行を重ねつつ、10月にレコーディング、年内には新作シングルを発表の予定です。年末にはまた小規模なツアーも予定されています。今後とも宜しくお願いいたします。

 小野島さん、フジロック目撃者や雑誌関係者によると、相当ポップにお酒を飲まれるとか。私も肝臓を休める暇なく日々飲んでいますが、今度そちらもご一緒できることを願いつつ。
 それでは!!

黒田康子



 「フジロック目撃者や雑誌関係者」って、いったい誰やねん(笑)。「ポップな飲み方」って一体?!


8日(水)

 ほんとに久しぶりに急ぎの原稿がなく、あしたの取材の下準備、たまっていたDIARYの更新、まったくの思いつきの新コーナー「俺に関する噂」(もちろんこのタイトルのオリジナルは筒井康隆。トゥルーマン・ショーじゃないよ)の設置などしてのんびり過ごす。

 東芝アフターサービス問題は週刊文春によるバッシング記事以来、論点が東芝のサービス体制の是非ではなくAKKY氏の素性の問題にすり替えられてしまい、そのAKKY氏が沈黙を守っているため(最近、ベスト電器への返品は6万円であるという内容の文がアップされた)、あまり進展がなく、どうやら東芝も問題をうやむやにして逃げ切りそうな気配。それに代わってトヨタの修理工場問題とか松屋牛丼カエル混入問題とか、いろいろ起こっている。トヨタ問題はいかにもありそうなことで、クルマ持ちとしてはいや〜〜な感じにさせられる話だし、事件の性質が性質だから深刻だし金銭的被害も大きいが、もっとイヤなのは松屋問題。オレは松屋のお得意様なのだよ。池袋西武の隣の松屋ね。いつもライター講座のときに使っていたのさ。キムチ牛丼は食ったことないけど。やだぞぉ! 食用カエルっているけどさ。いくら食用だってカエルはカエルじゃないか。まして食用じゃないカエルを食べさせられるのだけはぜったいイヤ! あー想像するだけで本当にイヤ!

 なお企業や警察、役人等による暴言などの音声ファイルのリンク集があります。これもなかなか強力。


7日(火)

 久々に友人と飲みにいく約束があったのだが、なかなか仕事が終わらず待ち合わせの時間ギリギリまで粘って、なんとか完成させ送稿。ほんとは月曜中には楽勝で終わっているはずが、NINの原稿に手間取り遅れに遅れてしまったのだ。約束を水曜日に延ばそうとも思ったのだが、それをやっているとキリがない。

 文章を完成させるということは、一種の妥協にほかならない。ふつうの作業なら、これさえあげれば終わりという区切りがはっきりしているが、文章にはそんなものはない。プラモデルみたいに「これが正しい」というような一定の明確な完成型があるわけじゃないから、せいぜい「まぁこれでいいだろう」と自らに言い聞かせて終わりにするしかないのである。推敲を重ねてどんどん完成度を高めていくことはもちろん職業ライターとしての最低限の仕事だが、それはしばしば、たとえば締め切りであったり、あるいは本人の根気であったり、あるいはライター自身の才能の限界だったり、いろんな事情で中断される。その多くは「やれるだけのことはすべてやった。もうこれ以上の原稿にはならない」というギリギリの結論ではなく、「ま、こんなものでしょう」という妥協の産物である。もちろん客観的にみて足りない原稿は編集者に指摘され、書き直しとなったりするわけだが、そうでない場合は、本人の妥協点がそのまま原稿の完成型になる。

 この日の原稿も、もう少し推敲すればもっと完成度の高いものになる可能性もあったかもしれないが、時間の制約もあり、最低限職業ライターとして責任を果たしたものになったと判断したので、一応完成型として送稿したわけだ。まぁ編集者からは「これでOKです」というGOサインが出たから、その判断はまちがっていなかったということではあるんだけど、でもこれが本当に、ギリギリの作業のはて、これ以上のものはできないというものだったかどうかは、正直言ってよくわからない。また、推敲を重ねればいいというものでもないのだ。度重なる推敲によって文章の完成度を高めることで、最初にその文章を書くにあたってのモチベーションや、勢いみたいなものが薄れていく可能性もある。最初にガーッと書き殴った時の勢いの方が文章としてインパクトがあったということもあるので、判断がむずかしいのだ。そこらへんはミュージシャンはレコードを作るときの葛藤と似ているかもしれない。時間がもっと欲しいと思うときもあるだろうし、かといってダラダラと時間の制約なしに作業を続ければ必ずよくなるという保証があるわけでもないのだ。

 で、この日記の文章はどうかというと、はっきり言って一筆書き。推敲などほとんどやってないに等しい。だから文章自体はめちゃくちゃだし、テニヲハがおかしいことも、ままある。それはタダ原稿である日記にそんなに時間をかけるわけにもいかないということなのだが、その日思ったことや感じたことを一気に書くことで、文章に勢いやリズムが出るし、またリアルタイムな臨場感が出るという狙いも、若干ある。まぁ成果があがってるかどうかは、読者の判断に委ねるしかないのだけど。

 理想をいえば、過去自分が書いた文章に、時間の制約でできなかったさらなる推敲を加えて、このHPにアップできればいいのかもしれないが、正直言ってそんな時間はないし、それに最近わかってきたのだが、どうもぼくは自分の過去にはほとんど関心のない人間らしく、過去の作品や文章に全然執着がないのだ。だから過去の寄稿文を読み返すなんてことは滅多にしないし、まして推敲なんてかったるくてとてもできない。常に前を見て前のめりに生きてるといえば聞こえはいいが、要は自分の過去に責任持てない性格ということらしい。


6日(月)

 この日はなにをしていたか思い出せるぞ。終日ナイン・インチ・ネイルズの新作『ザ・フラジャイル』(国内盤9/22発売)のミュージックマガジン用レビュー原稿執筆。マガジンの原稿は1本分をだいたい半日ぐらいかけて書くことが多いが、これは丸1日(正確にいうと6日午後1時ぐらいから7日の午前4時ぐらいまで)かかった。それだけ苦戦したんだけど、アルバムの内容もそれにふさわしい力作だったと思う。

 詳しいことはマガジン次号を参照して欲しいが、そこに書ききれなかったことも含めかいつまんでアルバムに関する感想を述べておこう。あのショッキングだったアルバム『ダウンワード・スパイラル』から5年半。先行シングル「ザ・デイ・ワールド・ウエント・アウェイ」を聴いた時点では、「ザ・パーフェクト・ドラッグ」の2番煎じに近いかな、というものだった。あの曲が映画「ロスト・ハイウエイ」のサントラ盤に収録されたのはもう2年半ぐらい前の話で、そこからNINは停滞しているのではないか、ということ。もちろん従来のNINらしさは横溢していたが、要はNINになにを期待するか、という問題である。ぼくの場合、「従来のNINらしさ」というより、それを上回る新しく刺激的な展開を求めていたわけで、「ザ・デイ・ワールド・ウエント・アウェイ」は、めちゃかっこいい曲だし演奏だとも思ったが、ぼくの期待や予想の範疇を超えるものではないように感じたわけだ。で、そこにはNIN、つまりトレント・レズナーが一体なにをモチベーションにして音楽に向かっているのか、という問題も絡んでくる。

 たとえばコーンを例にあげてみよう。初期の彼らがあれだけ衝撃的だったのは、音楽の面白さもさることながら、よく知られているようにヴォーカリストのジョナサンが幼時に父親から虐待を受けたトラウマが、表現へのきわめて強いモチベーションとして働いていたからだ。曲の途中で感極まって嗚咽してしまう「Daddy」なんかは顕著な一例だが、そうしたルサンチマンの強さこそがコーンの表現を、音楽スタイルを超えた破格なものとしていた。初期の彼ら、というかジョナサンは観客に向かって歌っていたのではなく、ただ自分のなかの混沌とした感情を闇雲に吐き出していただけだし、それがかえって聴く者に強烈なインパクトを与えたわけだ。ところが商業的な成功を収め、トラウマも癒えてくると、そうしたルサンチマンは薄れてくる。つまり初期のジョナサンを支えたモチベーションは否応なく低下していく。そこでジョナサンはどうしたかといえば、はじめて観客に真正面から向き合い、自分の歌を観客と共有しようと考えた。その結果が先日の来日公演だったわけだ。それは言ってみれば、単なるエンタテイメントだったわけで、それをたとえば石井恵梨子さんのように「堕落した」ととるか「開かれてきた」ととるかはその人次第だろう。さらに彼らの場合、ジョナサン以外のメンバーは、才能には恵まれているけど、ジョナサンのような文学的契機を一切持たない職人ミュージシャンの集まりなわけで、ジョナサンの文学的契機が低下すればするほど、他メンバーによって支えられるコーンのきわめて音楽的な側面がクローズアップされてくる。その結果が3枚目のアルバム『フォロー・ザ・リーダー』なわけだ。要はそれまでの彼らと、現在の彼らを別物として捉える一種の割り切りがあるかどうかで、現在の彼らを評価する基準も異なってくるわけだ。

 で、ぼくの立場はといえば、『フォロー・ザ・リーダー』はきわめてよくできた作品と思うし、観客に真正面から向かわざるをえなくなったジョナサンの心情も理解できるが、ファーストやセカンドのような思い入れはできない、というところ。となると、今後のコーンはどれだけその叫びが聴き手の深層に食い込んでくるかというより、いかにかっこよく刺激的なヘヴィ・ロックをやってくれるかという一点にかかってくる。そうなると一種の職人論、技術論の世界なわけで、従来のジョナサンを語るときのような文学論は無効となってくる。それはそれで全然OKなんだけど、語る側の立場からすれば、両方備えていてくれた方がいいに決まっている。

 NINに話を戻すと、トレント・レズナーの場合はジョナサンのような明確なトラウマというより、彼自身が不可避に抱え込んだ本来的な歪みとか狂気性が表現の核になっている。これは売れようが時間がたとうがそう簡単に失われてしまうものではないだろう。さらに、コーンではジョナサン以外のメンバーが担っているきわめて野心的なミュージシャンとしての側面も、トレントは持っているわけで(ジョナサンは音楽面での発言権はほとんどないみたいだ)、つまり両者が弁証法的に止揚したところにNINの音楽の粋はある。技術論/職人論と文学論の双方から語ることのできる数少ないアーティストだったのだ、少なくとも『ダウンワード・スパイラル』までのNINは。

 で、NINの新作である。ちょっと聴いただけで、「これは変わった!」というような明快な変化はない。それは「ザ・デイ・ワールド・ウエント・アウェイ」を聴いたときの感想と同じだ。だが繰り返し聴くと印象は異なってくる。これはマガジンの原稿にも書いたことだが、「堂々巡りというより螺旋階段を猛烈な勢いで駆け登って、とんでもない高みに達してしまった」という感じなのだ。もちろん新基軸がないわけではなく、レズナーの音楽的野心は、レズナー自身が演奏するウクレレ、スライド・ギター、バイオリン、チェロやアップライト・ベースといった弦楽器が大幅に導入され、さらにクラシックやジャズ、民俗音楽、ブルースといった音楽的要素も加わることでさらに火がついて、きわめてハイブリッドかつ重層的な音作りとなって展開されている。そしてすごいところは、そうした多彩な色が加わるとお互い打ち消しあって無難な中間色になってしまいがちなのに、少しもNIN本来の毒は薄れておらず、レズナーの持つ歪んだ狂気性みたいなものはむしろ増強しているように思えることだ。大音量で聴いていると頭がくらくらしてくる。どんなに激しくヘヴィでノイジーな曲でも、聴く者の心をかき乱すような暗い叙情をしのばせているあたりも、さすがと言える。音の悪い試聴用カセットで聴いてこうなのだから、たぶんCDで聴けばさらにインパクトがあるだろう。つまりは5年半たっても依然としてNINは職人論/技術論と文学論を両立して語ることができる希有な存在なわけだ。やはりこの男の才能は並のものではない。

 ぼくはずっと、次のアルバムをもっとも期待するロック・アーティストはNINであると公言してきた。がそれにしても前作から5年半というブランクはいくらなんでも長すぎで、待ちすぎて熱が冷めたという部分も、正直言ってあった。だが、やはり待った甲斐はあった。今野雄二さんはレズナーを80年代のプリンスと比肩すべき存在と言っていたが、確かに音のテクスチュアはちがうにしろ、音の密度の濃さや、たったひとりでなにもかもやってしまわずにはいられないパラノイアックな性向など、よく似ている。これはミレニアウムの終わりにあらわれた90年代の『サイン・オブ・ザ・タイムズ』なのだ。いやもう、脱帽。

 で、もう1枚。クラッシュのライヴ盤『フロム・ハー・トゥ・エターニティ』である。こっちもいいんだよね。思わず一緒に歌っちゃったもんなぁ。まぁ彼らのライヴ音源は海賊盤でさんざん聴き倒しているから、そういう意味での新鮮さや目新しさは全然ないんだけど、それでも楽しい。彼らの気迫みたいなもんがビンビン伝わってくる。クラッシュの場合、1枚目からラスト作まで丸ごと全部OKって人はあまりいないと思う。まぁ『カット・ザ・クラップ』は論外としても、『サンディニスタ』の多彩さや音楽的野心に惹かれる人は、たとえばファーストあたりの稚拙さ、単調さには耐えられないだろうし、逆にファーストこそクラッシュのすべてと強固に思いこんでるぼくのような聴き手からみれば、けっこう甘い曲も多い『ロンドン・コーリング』はセル・アウトともとれてしまうし、『サンディニスタ』の多彩さは単に贅肉が多くて散漫なだけ、一部で熱心な支持を受ける『コンバット・ロック』はストラマーの迷いがモロに出たあやふやな作品ともとれてしまう。まぁ『ロンドン・コーリング』や『サンディニスタ』は見方と立場を変えれば評価できるんだけど(つまりパンク・バンドではなくロック・バンドってことね)、いずれにしろそこに温度差は確実にある。でもライヴだと、細かい音楽性がどうのというより、ストラマーの熱血ぶりとか誠実さがより明確に浮き彫りにされている。たぶん多くの、さまざまなタイプのクラッシュ・ファンが共通して彼らを支持する理由はそういうところにあるだろうし、その意味でこれはすべてのクラッシュ・ファンに薦められる作品なのだ。もちろん演奏はヘタクソですが、そんなこと言ってるようじゃあなたはいつまでたってもロックの真実にはたどり着けないでしょう。大貫憲章さんは「ロンドン・ナイト」でこれをかけまくるだろうなぁ。


5日(日)

 終日原稿。これを書いてるのは8日の午後だけど、家族と昼食をとりに出かけ、帰宅してからず〜〜〜っと原稿を書いていたこと以外なにをして、なにを考えていたのかさっぱり思い出せない。オレはボケ老人か。

 実際、こういう仕事をしていると日々の生活は実に単調だ。取材や打ち合わせ、コンサート以外で外出することは滅多になく、コンピューターに向かってキーボードを叩くだけの毎日。日記のネタを探すのも一苦労だったりして。実際、なにかあればそれを書けばいいだけなんだけど、この日みたいになにもなかったときには非常に困る。日記に書くネタはなにをしていてもつねに頭の片隅にくすぶっている状態なので、たとえば犬の散歩をしている最中に「次のネタはこれだ!」と思いついたら、ヒマだったら即文章にまとめればいいんだけど、ここ1週間ばかりのような忙しい時期だと、どうしてもあとまわしにしてしまうし、その間にきれいさっぱりと忘れてしまうのである。


4日(土)

 終日、広瀬陽一氏宅で雑誌「オートルート」誌用の対談。下町・江東区の川沿いの広瀬氏のマンションは驚くほど大きな高層マンションで、階下には区の図書館まである。周囲も巨大マンションが立ち並び、なんだかブレードランナー的。9Fにある広瀬氏の部屋からは遠く台場の観覧車まで見える。低層住宅しかないウチの周辺とは全然ちがう。東京って広いね。


3日(金)

 青山のエイベックスでユウ・ザ・ロックの取材。挨拶代わりに前作アルバムを高く評価していることを話すと時間に30分ほど遅れてきたユウ・ザ・ロック氏、皆まで聞かずにいきなりとうとうと喋りだし、そのまま50分喋りっぱなし(^_^)。こっちのやったことはテキトーに相づちを打っていただけ(笑)。初対面だったけど、予想通り、期待通りの熱い人でした。

 そのあと新宿にむかい映画『メッセンジャー』をみる。バブル期の象徴的存在だったホイチョイ・プロの出し遅れの証文みたいなバブル清算映画。「昔レースクイーンだったみたいなオバハン」飯島直子のミョーなゴージャスさは映画の内容によくあっていた。肩の凝らない娯楽作だが、この程度の内容ならテレビドラマで十分とも思う。

 映画館を出たその足でリキッド・ルームへズボンズ。ますます引き締まった演奏はさすがだったが、押しの一手すぎてもう少しメリハリが欲しかった感も若干。「モ・ファンキー〜サークルX」と続くグルーヴィな終盤部で、個人的には愁眉を開いた。

 酔っぱらって深夜帰宅したら未読メールの山。一応一通り返事は出しておいたが、ヨッパライなので文面はめちゃくちゃなのだった。


2日(木)

 下北沢シェルターでエレファントカシマシ。ご存じの方もいらっしゃるだろうが、ぼくはむかし雑誌の取材でエレカシ宮本とシャレにならない大喧嘩をやったことがある。たしか「生活」を出した直後のまだいまほど売れてなかった時期だった。いわば下積みの不遇時代である。もう細部のやりとりは忘れたけども、ぼくの訊き方が悪かったということは当然あったろうし、またいまから振り返ってみれば、自らの音楽、表現に対する自信と、それに見合った評価が与えられていないというギャップへの宮本の苛立ちも、その根底にはあったのかもしれない。ライヴを見たのはそのとき以来ということになる。以前のコンサートはとにかくルサンチマンの塊のような乱暴な演奏、曲間になるとなんとも居心地の悪い静寂のなかに苛立ちを隠しきれない宮本の毒舌MCだけが響き渡るという、非常に殺伐とした空気が印象的だったけども、この日のライヴは暖かい声援とノリノリの観客(女子度高し)に包まれ、とても機嫌良さそうに歌い、観客を煽りまくる、以前とはまるで別人な宮本がいたのだった。もっとも目をカッと見開きマイクに噛みつくように歌うそのさまは、かってぼくに罵声を浴びせ睨みつけたあの日の宮本そのものであった。それをみて、なぜかぼくは安心してしまったのだった。ところで宮本ってちょっと町田康に似てるよね。顔も、雰囲気も。

 最後まで見ていたかったが中座、渋谷クアトロに向かいリトル・テンポのライヴを見る。これがじっつに素晴らしい! レコードも今年のベスト10に入りそうな傑作だったが、今日のライヴも今年のベスト・コンサートに確実に入りますね。深く冷たい海の底にどこまでも沈んでいくような美しく静かな、そしてココロの奥底にほんの少しのさざ波を引き起こすような、そんな音楽。めちゃくちゃ精妙に組み立てられた音楽なのに、それを感じさせないナチュラルでオーガニックな流れ。PAの素晴らしさ、出音の質の高さも特筆級。スネアの音なんざ悶絶モンの気持ちよさでしたよ。ゲストにUAや小玉和文も登場。好々爺然とした小玉さんがいかす。この夏4度目の対面となったUAはちょっと影が薄かったけど、いずれにしろ大満足。いや〜〜〜幸せ(^o^)Y。

 殿下情報。以下、「ミュージックウォッチ」より。

◆殿下、ついにアリスタと契約!
 元プリンスがとうとうメジャー・レーベルとの契約を明らかにし、11月には米アリスタ・レコードからニュー・アルバム『RAVE UN2 THE JOY FANTASTIC』をリリースすることを発表した。アルバムには、チャックD、アーニー・ディフランコ、ノー・ダウトのグウェン・ステファニー、メイシオ・パーカー、そしてシェリル・クロウらがゲストで参加している。アリスタとの契約では、レコーディングの際のマスター・テープに関する権利を元プリが持つことになる。元プリは当時を振り返り、自分のアーティスト生命を保つためにどうしても一度はレコード業界を離れる必然性があったとしている。今回のアリスタとの契約では、所有権や長期契約など、問題となっていたことはいっさいないと語った。9月下旬にはニュー・アルバムからのファースト・シングル「The Greatest Romance Ever Sold」がリリースされる。

□love 4 one another
http://www.love4oneanother.com/

 もうひとつ。クラッシュのライヴ盤と、ナイン・インチ・ネイルズの新譜の音が今日到着しました。どっちも超待望作でした。感想をまとめて、なるべくはやくアップします。


1日(水)

 編集者との打ち合わせ、音楽ライター養成講座、終了後の酒宴での受講生との会話と、「音楽ライターとはなんなのか」ということを考えさせられる一日。いまはちょっと多忙な時期なのであまり詳しく突っ込んだことは書けないのだが、音楽ライターといっても、それはイコール職業ライターとは限らないのではないか、ということ。宮子和眞さんと岡村詩野さんの共著「音楽ライターになる方法」によれば音楽ライターはチョーチン持ちライターとそうでないライターに大別されるそうだが、ぼくはむしろ「既存の商業誌に向く人」と「それ以外のメディアで書くべき人」という区別のほうがしっくりとくる。「音楽ライター養成講座」の受講生には最終的には職業ライターとして自立することを目指してほしかったし、そのような講義をしてきたのだが、既存の音楽ライター文をなぞったようなものよりもはるかに表現として美しく個性的で完成度がたかくても、既存の商業音楽誌ではなかなか居場所がないような、そんな文章を書く受講生に何人も出会うことで、そういう人がむやみと職業ライターを目指すあまり自分の個性や純粋さや素直さを失ってしまっては元も子もないのではないか、と思うようになった。そして、今までだとそういう人がいくら素晴らしい文章を書いても、現実にそれを公に発表する機会はなかったわけだが、インターネットというメディアの普及が、それを可能にしたわけだ。もちろんミニコミだってそれは可能だが、ある程度以上の規模でやろうとすれば小遣い銭程度では済まない出費と、片手間ではできない手間がかかる。インターネットのお手軽さは、そうした商業メディアからはみ出すような個性に対しても公平に門戸を開放している。音楽について思うところ、感じたことを書き、発表する機会は誰に対しても公平に与えられる。少なくともネット上では情報発信の機会は対等である。そこに求められるのは文章としての質の高さだけだ。つまりそこでは、「職業ライターでない音楽ライター」という存在が成立し、場合によっては既存の職業ライターや音楽誌をはるかに上回る影響力や浸透力を持つ可能性があるわけだ。もちろんこのサイトを見ているような人には、そんなことは自明のことだろうけども、おそらく既存の音楽誌編集者や職業ライターの大半は、そのことに気づいていない。