4月


30日(金)

 アイス・キューブじゃないが「今日は何もない平和な日だった」。ドッグフードを買いに出たほかは丸一日、ゆっくりと原稿書きに費やす。

 イラストレイター/ライターの切石智子さんから電話。例によって、なにか用事があるわけでもなく、しばし雑談。ひどい風邪をひいて、喉が痛いという愚痴と、「ミュージック・マガジン」のクロス・レヴューでソウル・スクリームを聴いたけどおもろない、ワタシは文化系の人間やからああいうヤンキー系は好かん、というようなハナシ。

 フィッシュマンズ佐藤君の追悼文を『マーキー』用に書く。なるべく感傷的にならず、きれいごとで済ませず、心して書いたつもり。死後はじめてフィッシュマンズのCDをまとめて聴いたが、やっぱりあまり平静な気持ちでは聴けなかった。

 夜8時過ぎ、サウンドクリエイトの人が品切れしていたLINN LK−140を届けてくれた。これでバイ・アンプ駆動となり、ようやく今回のシステム組み上げは一段落。音が緻密になり、柔軟性が増して、課題だった低域も改善された。うれしくなって、なぜかメルト・バナナの『チャーリー』を繰り返し聴く。う〜〜ん、気持ちいい。次はアース工事か、CDプレイヤーの買い換えか。どっちにしろオーディオの道には果てしがない。

 そういえば広瀬陽一さんから数日前電話があって、突発的なクルマの故障で50万近い出費がかさみ、オーディオ購入は無期延期となってしまったそうだ。う〜〜ん、かわいそうに(>_<)。そのへんの顛末はいずれ当サイトに書いてもらう予定なので、お楽しみに。


29日(木)

 レンチのヴォーカリスト、シゲの取材。媒体は『フールズメイト』。天気が良かったので、取材場所のフールズメイト編集部のある幡ヶ谷までチャリで向かう。5/21にビクターからメジャー・デビューするレンチだが、今回はレンチでの取材ではなく、同じ日にインディから出すソロについてである。AYASHIGE/WHO ME?という名義でゴア・トランスをやっているのだ。

 レンチのメジャー・デビュー作は、90年代のフラワー・トラヴェリン・バンドとも言うべきオリエンタルな香り漂う個性的なハード・ロックに仕上がっていて面白かったが(シゲによると、同じ指摘を元フリクションのラピスからされたそうだ)、ソロの方はわりあい直球な感じの様式ゴア。そのあたりは確信犯のようで、なぜにラウド・ロックから発してゴア・トランスに至ったか、温厚な口振りで話してくれた。

 取材終了後、同誌編集の石井孝浩氏と痛飲。この人ともつき合いが長い。編集者としてはもちろん、書き手としても大変優れた人で、彼の多忙期と重なってしまい、執筆してもらえなかったことが、『NU SENSATIONS』の唯一の心残りである。

 とりとめもなく雑談をあれこれ。いろいろとここでは書けない特ネタも聞く。ところが一軒目の店でヘンなオヤジに絡まれ、閉口。気分直しにともう一軒に向かったが、ペースが早すぎたのか途中で寝てしまい、石井氏に迷惑をかけてしまった。まー毎度のことですが(^^;)。

 店から出ると、何者かの手によって自転車のチェーンが外されていた。幸いすぐ直って自転車で帰れたが、幡ヶ谷ってなんだかトンでもない街だなー。

 帰宅して、録画しておいた『TVチャンピオン』の「大食い選手権」を見る。やっぱこの番組は、こういう力ずくの体力勝負のヤツが面白い。優勝した人が、どこかS−KENさんに似ていたのもおかしい。


28日(水)

 大橋のポリドールでブランキー・ジェット・シティの取材。媒体は『uv』

 この人たちとのつきあいは長い。デビューする数ヶ月前に取材したのが初めてで、それからずっと途切れず、節目節目では必ずインタヴューさせてもらっている。達也とはスタークラブを辞めた直後からの知り合いだから、つき合いだけならもっと長い。ほかにも長いこと取材している人はいるが、デビュー前からずっとというのはこの人たちだけだ。にも関わらずプライベートのつき合いなど今日に至るまでまったくない。酒を飲んだのも、たしか『スカンク』のロンドン・レコーディングの宿舎のフラットを訪ねたときの一回きりである。そのせいなのか、何十回取材しても一種の張りつめた空気がある。ニュー・シングルがとてもいい出来であることを告げると浅井君はほっとした様子で、にこやかに応じてくれた(この人はそういうとこが割と敏感に出るほうである)。ブランキーとしてのニュー・アルバムはまだ先になりそうだが、浅井君のバンド、シャーベットの新作はすでに完成済で、7月に出るようだ。

 ミュージシャンと酒を飲んだりプライベートで遊びに行ったりしているライターや編集者も多いみたいだけど、ぼくにはちょっとマネできない。取材のとき以外に余計な気を遣いたくないし、遣われたくもない、というのもあるが、取材以外の場であれこれ話題を見つけるのが一苦労だからだ。アーティスト以外の人とではそうでもないのに、なぜなんだろうと思う。インタヴューで密度の濃い、深い話をすればするほど、よけいプライベートの会話が身のない、軽薄なものに思えてしまうということもあるだろう。今井智子さんみたいに、すぐアーティストと仲良くなれる人をうらやましいと思うときがないではないが、どうせ自分の柄ではないと思って諦めている。天下の石野卓球に「人見知りするライターって珍しいよね」と馬鹿にされ、あのチバユウスケから「小野島さんて友だち少ないでしょ」とズバリ指摘されてしまっては、一言もございませんです、ハイ。

 「INTERVIEWS」のコーナーにアンダーワールドをアップ。


27日(火)

 たまにはギョーカイ人らしくしようと東芝EMIのプレス/ディーラー・コンファレンスに出席。東芝の今後の押しものが邦洋問わず紹介される。4時間ちかい長丁場は意外に飽きずに興味深く見ることができたが、いかに自分がギョーカイの主流から離れた最末端、離れ小島にいるか実感オレに関係ありそうなのって、ナンバー・ガールとケミカル・ブラザーズとズボンズぐらいだもんなぁ。

 もしかしてギョーカイ的には周知の事実かもしれないが、ズボンズはヴァージン邦楽と契約、現在アルバムをレコーディング中だそうだ。なんとなくこのままクアトロから出し続けるものだと思っていたし、それもまた彼ららしくてカッコいいかな、という気もしていたのだが、ご贔屓のバンドの出世、まずは喜びたい。

 コンファレンスの方はあれこれ盛りだくさんすぎて、最初のほうに見たやつは記憶も曖昧だが、なかでもヴァージン洋楽のオリエンタという女性歌手(日本人?)の新曲「DAWN」(だったと思う)という曲が際だって印象に残った。ミスチルやスピッツ、L−Rのブレイクを予言し、シャ乱Qを無視したぼくのドタ勘をいえば、たぶんこの人はこの1年(もしかしたら半年)以内にブレイクすると思う。

 「INTERVIEWS」のコーナーにパティ・スミスをアップ。佐藤さんのコーナーを更新。それにしてもすごいライヴ鑑賞量である。とてもぼくと同じ仕事をしてるとは思えない。ライヴに行こうと思っても仕事が終わらず断念することが圧倒的に多いぼくにとって、仕事をバリバリこなし、そのうえこれだけの時間が割けること自体が驚異的だ。


26日(月)

 赤尾さんのページを更新。「ARTICLES」のコーナーを「ARTICLES」と「INTERVIEWS」に分け、ジェスロ・タルのイアン・アンダスンのインタヴューをアップ。なぜにイアン・アンダスン?とご不審に思う向きもあろうが、こういう古い人の記事はなかなか雑誌にも載らないので、それなりに貴重だと思うのだ。

 とは言ってもあまりオヤジばかりだと情けないので、もう少し若手のものも今後はアップするようにします。


25日(日)

 このページをオープンするにあたって、プロの音楽評論家の開いたサイトを調べてみたのだが、意外に少ない。目についたのは萩原健太能地祐子花房浩一藤川毅熊谷美広角野恵津子大島暁美青木誠ピーター・バラカン各氏のものぐらい(ほかにもあったら教えてください。リンクさせてもらいます)。ジャンル的にぼくとかぶる人はひとりもいない。一面識もない方たちばかりだが、それぞれに個性があり興味深い。なかでも萩原健太さんの「Kenta's」はさすがに歴史が長いだけあって、内容もデザインも洗練されている。HTMLも全部自分で書いておられるようだが、とくに洒落たデザインは、ページを作って2週間のぼくなど、足もとにも及ばない。つうか、ココより見映えの悪いページなんか全然ないって(-_-;)

 なぜこうも少ないのか。別にインターネット環境にないわけではない(たぶんプロの音楽ライターの7割ぐらいはメール・アドレスを持っている)。忙しいからというのもあるが、そんなことを言い出したら、一般の人たちも事情は大差ない。ぼくもそうだが、ノー・ギャラの原稿が面倒臭いということではないか。誰に頼まれたわけでもないのに、自分からページを立ち上げ、一文にもならない原稿を書こうという気にはなかなかならない。よほど強いモチベーションがなければ、自分からテーマを見つけ、文章を仕上げ、コンテンツを完成させるのは、しんどいというよりは面倒くさいのである。それを乗り越えてまでも発信したいモノがあるかどうか、なのだ。

 ぼくがこのサイトを開設する気になったのは、ひとつに音楽ライター講座の受講生の作品を一般に公開する場を作りたかったことにあるが、直接的には昨年「MUSIC LIFE」誌で連載していた日記の続きをやりたかったからである。また、ふだんの仕事のなかではなかなか書く機会のないテーマについて書いてみたかったという動機もある。たとえば毎月大量に購入する輸入盤について、どこかでまとめて取り上げる機会が欲しいとずっと思っていたし(旧NEWSWAVEでは、買ったレコードは全部レヴューを書いていた)、もちろん試聴用でレコード会社からお借りするテープやCDにしてもそうだし、DVDなど映像ソフトについても同様だ。ライヴを見たあと湯水のように感想が湧いてきて、原稿という形でまとめられないのに悔しい思いをすることも再三あった。

 たとえばこのサイトに協力してもらっている佐藤英輔さん。毎日あれだけ大量のライヴを見ても、実際に原稿という形で発表する機会はたぶん半分もないだろうし、赤尾美香さんのテレビ原稿も同じだ。もともと書くことが好きで、自分のこだわりに対しては一言言いたいタチだからこの仕事を選んでいるわけだし、そこでこういう形で原稿を頼まれたのは、むしろ渡りに船という気持ちもあったのではないかと勝手に思っている(全然ちがったりして(^^;))。

 もちろん、自分の興味や書きたいことがすべて日常の仕事のなかで実現できていれば、こんなことをすることも、タダ原稿を書く必要もない。だが現実にそんな恵まれた環境にあるライターなど、おそらく一人もいないと思う(これは断言してもいい)。音楽誌の編集者は、編集権を持っていて自分で企画を立てられるだけ、まだ近いと言えるかもしれない。だが彼らにしても組織のなかで、さまざまな制約を抱えて仕事しているわけだから、百%自分の意志が反映されている人ばかりであるはずがない。

 そうした不満がたまったときどうするかと言えば、自分でメディアを立ち上げることだ。つまりミニコミである。ロッキン・オンもDOLLもフールズ・メイトもミュージック・マガジンも、出発点はそうだったはずだ。もちろん旧NEWSWAVEも同様だ。現在では佐々木敦さんや伊藤英嗣さんなどがご自分のミニコミをやっておられるが、たぶん動機は同じだと思う。

 だがミニコミといえどお金はかかる。DTPの進歩でむかしのように写植を外注する必要がないから経費的にはだいぶ少なく済むはずだが、それにしたってポケットマネーで簡単に、というわけにはいかない。このご時世でスポンサーが簡単に見つかるはずもない。配本や売り上げ回収などディストリビューションの手間だって大変だ(これが一番大きいかな)。となれば、インターネットのウエブ・サイトはきわめて手軽で有効なメディアとして浮上してくる。インターネット環境にない人を無視するような形になるのは心苦しいが、やらないよりはやった方がマシだろう。

 ウエブ・サイトの有用な点はもうひとつ。自分の過去の作品をもう一度世に出してやれることだ。雑誌や新聞主体で仕事をしていると、自分の仕事が陽の目を見るのは、当該の号が店頭に並んでいる間だけであり、すぐ時の流れのなかに埋もれてしまう。それが悔しいということも大きかった。自信作でありながら、バック・ナンバーの彼方に埋もれてしまった可愛い子供たち(=原稿)に、なんとかもう一度脚光を浴びさせてやりたい、という動機も大きいのである。

 まだ立ち上げたばかりで(というか、現時点では正式公開もまだなのだ)、正直言って試行錯誤中もいいところ。どういうやり方がいいのか迷いもあるし、第一日々の仕事があるなかで、どれだけまめに更新できるかという不安もある。だから、読者のみなさんの意見や感想、提案などがなにより励みになる。ミニコミなら売行きで読者の動向をある程度把握できるが、ウエブ・サイトはよくわからない。アクセス・カウンターはあがっても、それが読者の声を反映しているとは限らないのだ。

 ということで、メール掲示板投稿などどういう形でも、ぜひみなさんの声を聞かせてください。それがサイトを継続していくための最大のモチベーションとなるのである。


24日(土)


 またも朝から雨。やっぱり地球はちょっとおかしくなってるんじゃないか。この調子だと秋にはコメ不足確実だろう。外へ出る気などまったくおこらず、終日原稿。昼なお薄暗い部屋でずっとモニターに向かってキーボードを叩いているのは、あまり精神衛生上いいものじゃない。

 たまっていた輸入盤や試聴用テープを片端から聴くが、あまりいいものがない。特に輸入盤は10枚買って1枚当たりがあるかどうか。もちろん中身がある程度わかっている再発ものなどは別だが、新譜の打率は低い。たまたまそういう時期なのだろう。もしかしたら勘が少し鈍っているのかしら(>_<)。

 ブランキー・ジェット・シティの新曲のテープがようやく届き、聴く。これは驚くほど良かった。というより、浅井健一のヴォーカルの魅力を再認識した。存在自体に不可避の悲劇性を背負った声、とでもいうか。透徹した哀しみを湛えた声とでもいうか。こんなシンガーは日本はおろか、世界中探してもいないだろう。演奏も素晴らしい。いよいよ彼らも円熟の域に入ってきたようだ。

 それから旧NEWSWAVE読者の方にお知らせ。元NEWSWAVE編集部、現在は某レコード会社敏腕(?)ディレクター、あの久保田稔人氏の新連載が近々登場します。タイトルは「黒コートの部屋の逆襲」(笑)。中身はイアン・カーティス・イタコ日記……にはならないと思います、たぶん(^_^;。 



23日(金)

 またも雨。風流なものだと思うときがないではないが、こう頻繁だと滅入る。まして一日2回の犬の散歩を考えると、うんざりしてしまう。

 早朝に「DIARY」をまとめてアップ。ウエブ・サイト開設を思い立って制作に着手したときから昨日まで、約2週間近くの出来事をまとめて書いたので、細部は忘れている。まぁこれからはなるべくリアル・タイムで更新していくようにしよう。

 夜まで終日原稿。一段落ついたところで、ジム・フィータスのインタヴュー完全版をまとめて、アップ。


22日(木)


 白金台のソニー・レコードでケン・イシイの取材。媒体はシンコー・ミュージックの新雑誌『デジット』

 イシイ君に会うのは『メタル・ブルー・アメリカ』のとき以来かもしれない。相変わらず理知的で物静かな話しぶり。この人は話に無意味な間投詞や擬音がなく、理路整然と語るので、文章化するときにとても助かる。

 取材終了後は、ディー・クルップスのベスト盤を買ったとかコワルスキーがどうとか、ドイツでホルガー・シューカイの奥さんと知り合ったとか、ロンドンでブルース・ギルバートと知り合ったとか(白髪のおじいさんだったそうだ)、サンフランシスコでZEVに声をかけられたとか、マイナーなニュー・ウエイヴ話で盛り上がる。

 「なんかおじさん受けがいいんですよね」
 「きっとイシイ君のレコード聴いて思うんじゃない? この日本人はオレに影響受けたにちがいない、って(笑)」。

 こういう話をするときにイシイ君は、一介の元NEWSWAVE読者になっている(笑)。
 
 最近石野卓球もアンダーワールドもそうだが、ニュー・ウエイヴに影響を受けたことを堂々と表明するアーティストが増えてきた。一部の評論家やミュージシャンの間には、自分がむかしニュー・ウエイヴを聴いていたことを、なにか恥ずかしい過去であるかのごとく自嘲して、そういうものの匂いが少しでもある音楽をことさらに嫌悪して否定的になる風潮がいまだまかり通っているけど、自分の過去を否定しなきゃアイデンティティが確保できないなんて情けない限りだ。まぁぼくだって日常的にニュー・ウエイヴものを聴くかといえば、まったく聴かないけれども、自分をここまで連れてきてくれたのは彼らだということに感謝しているし、誇りもある。
 
 帰りは渋谷でレコード&本漁り。ドイツのミニマリスト、CARI LEKEBUSCHの新作など。



21日(水)


 自宅近くでバスを待っていたら、背後から肩を叩かれる。近所に住んでいる電気グルーヴのまりんこと砂原良徳である。

 「あ、久しぶり。電気のレコーディングは終わったの?」
 「あ、聞いてなかったですか。ぼく、バンド辞めたんですよ
 「えっ、ええええ〜〜〜っ?」。

 聞けば2週間ばかり前に正式に脱退したそうだ(あとで電気のオフィシャル・サイトを見たら、4月2日脱退、14日には正式発表になっている)。世事にうといぼくは、全然知らなかった。まりん加入後からずっと見守っていただけに残念というしかない。詳しいいきさつなどは聞けなかったが、表情は明るく、前向きな形の結果であることをうかがわせた。脱退後はソロとしてやっていくようだが、とくに何も決まっていないらしい。電気の後任メンバーについては何もアナウンスはない。当面2人だけでレコーディングもツアーもこなすようだ。さて、どうなるのか。まりんが抜け、電気の音楽面でのハンドルはほぼ卓球ひとりで担うことになる。バンドのあり方も大きく変わるだろう。双方にとっていい結果になることを祈りたいが……。次に彼らに会えるのは、7月2日のイヴェント、WIREということになる。
 
 夜は音楽ライター養成講座。2回分、計3時間喋り通しで疲れた。


20日(火)

 恵比寿のスタジオでイエロー・モンキーの取材。媒体は『ワッツイン』
 
 なんでお前がイエロー・モンキーをやるんだと訝る向きもあろうが、ぼくはもともとこのバンドを評価していた。ミュージック・マガジンのアルバム・レヴューで、インディ時代のアルバムを、確か7点つけて褒めた記憶がある(断っておくが、ぼくにとって7点というのはかなり高い評価なのだ)。それにぼくは、よほど嫌いな、あるいは関心のないアーティストでない限り、インタヴューの依頼を断ることはない。
 
 なんでも前作アルバムのツアーで日本全国百本のライヴをやったそうだ。バッファロー・ドーターの、アメリカだけで百本というのもすごいが、日本だけで百本というのも負けてない。むかしのハウンド・ドッグみたい。
 
 初対面の彼らは、いい意味でオトナの落ち着きと余裕があって、なかなかいい感じだった。自信もあるのだろう。堂々と「オレたちは古いタイプのバンドだから」と言い切るあたり、潔くていい。



19日(月)


 佐藤英輔氏から早くも2回目の原稿が到着。いやはや、ギャラの出る原稿でさえ満足に締め切りを守れないライターばかりなのに、この律儀さはまさに驚異というしかない。ただただ感謝、である。


18日(日)

 朝から、友人で、元クロスビートのロンドン駐在員だった永沼佐知子さんの七回忌法要に出席。もうそんなに時間がたったのかと感慨深い。身近で親しくつきあっていた友人の死に直面したのはそのときが初めてだった。いまでもそのときのことを考えると複雑な思いがある。フィッシュマンズの佐藤君にしろ、自分より若い人が先に逝くのは残念としか言いようがない。法要の席にはDollの相川和義さん、石川真一さん、安斉儒理さん、明石政紀さん、元NEWSWAVE編集部で、現在は某レコード会社ディレクターの久保田稔人などが出席していた。
 
 試験公開してから、毎日少しずつページのデザインを変えているが、今日は工夫が足りないと不評だったタイトル周りのフォントを変え、いろいろ使っていた壁紙を一切取り払い、白バックのシンプルなものに。これ以上シンプルにしてどうすんだ、という声も聞こえてきそうだが、どーせデザインに凝ったページにするセンスも技量もないし、スキャナーもデジカメもないから画像の取り込みもできない。だったらハードに、テキスト主体で徹底して読ませるだけ、という作りにした方が「らしい」という声に従ってみたのである。さて、どうでしょうか。



17日(土)

 「オーディオ / ヴィジュアル」のコーナーの原稿をアップ。オーディオに無頓着な音楽ファンをケイモーするコラムにするつもりが、いきなり初手からオタク丸出しな内容になってしまった。まずいかなー、とも思ったが、まー書きたかったんだからしょうがない。次回はもう少し基本的な内容にするつもり。


16日(金)

 赤尾美香さんの原稿が到着。結局一回も直接話すことのないまま、連載が始まった。
 
 それにしてもすごい生活である。ほんとに、いつ仕事してるんだろうね。まーそう思わせるのがプロのライターである彼女のエンタテンメント精神のあらわれなのであろう。ちなみにぼくは今回はいろいろやることが多く(ほとんどがこのサイトの制作・管理だが)、初回を見たのは『リップスティック』のみ、それも2回目を見逃してしまったので、結局何も見ないで終わりそう。1回目を見た限りは、なかなかに野島伸司なタッチで、悪くなかった。広末も可愛い。


15日(木)

 佐藤英輔さんの1回目の原稿がいきなり到着。これには驚いた。酒の席で軽くお願いしただけなのに、いきなりこれだけの量の原稿をいただけるなんて、ほんとにありがたい。 

 いろいろ感想のメールをいただく。赤尾美香さんからは、連載OKの返事が。ありがたやありがたや。早速メニューに付け加え、原稿を待つ態勢に。しかしメールのやりとりだけで連載を決めていいのか?
 
 掲示板も作ってみた。


14日(水)

 ようやくホームページが形になってきた。まだまだデザイン・内容ともにお粗末で、到底満足いくものではないが、ひとまず公開してみる。心配だったftp転送も、スムーズに行き一安心。親しい方に開設のお知らせのメールを出し、意見や感想を聞くことにする。


13日(火)

 広瀬陽一さんと秋葉原のサウンドクリエイトに出かける。詳しいことは「オーディオ / ヴィジュアル」のページを参照。
 
昼の3時に店に行き、終わったのが9時過ぎ。見事にクルマはレッカー移動されていた。罰金・レッカー代と合わせ32000円也。この時期に、この出費はめちゃくちゃ痛い(>_<)。


12日(月)

 渋谷公会堂でベック。開演ぎりぎりに行ったら、いきなり前から4番目の席。これはラッキーと思うが、コンサートが始まってがっくり。PAが悪すぎ。音はこもっていてモコモコしているし、定位も悪い。演奏そのものはかなり良かったと思うが、音のせいで最後まで没入できなかった。

 終わったあと、なんか小沢健二の初期のライヴみたい、と言ったら「悪かったですね!」と岡村詩野さんに怒られる。別に詩野サンのこともベックのこともけなしたわけじゃないんだどね。

 帰りは宮子和眞・岡村詩野夫妻、佐藤英輔さんと飲み。いつものメンツである。席上でホームページの話をして、ダメモトで軽く連載のお願いをしてみる。佐藤英輔さんは快諾してくれた。ライヴ日記という形ならすぐできるとのこと。いやーありがたい。


11日(日)

 突然思い立ってホーム・ページの制作を始める。買ったままでほったらかしだった作成ソフトを引っぱり出し、説明書と首っ引きで作り出す。要領が掴めず試行錯誤が続く。

 最初はぼくの個人ページ的なものにするつもりで、犬のこととか馬のこととかコンテンツに入れていたのだが、いろいろ考えて、もっと一般のウエブ・マガジンに近いものにした方がいいと思うようになった。そういう構想は1年ほど前にもあり、かなり具体的な話もしていたのだが、結局立ち消えになったままだった。一からのリスタート、ぼく一人で制作・管理することになるが、無理のない範囲でやっていこうと思う。