1999年11月
| 30日(火) |
| ユッスー・ンドゥール |
| 青山・ブルーノート東京。遅い回のほう。会場内は、外国人比率が高く、白人の多くはフランス、黒人はやはりアメリカンでないように見受けられた。俺、偏見でフランス人とそれほど仲良くしたいと思わない人なのだが、こういうところで見るフランス人はまあいいやね。 素晴らしい実演だったと思う。10人ぐらいのレギュラー・バンドを率いてのもので、非常にぼくは楽しんだ。強い芯と開かれた視野がよく延びる声とともに届けられる。ああ、デカい娯楽性と訴求力。もう、聞きながらどんどんにっこりうっとり。飲み物は赤ワインを一番安いデキャンタでもらっていたが、普段より間違いなく美味しく感じたぞ。おーい、とっととお代わり持ってこいよな。オレは美しく(?)酔えた。ご満悦。ネナ・チェリーとのデュエット曲「セヴン・セカンズ」なんても歌ってくれたのにはびっくり。ネナ役は女性バック・ヴォーカリストが務めたが、彼女のルックスがなかなか。レジーナ・ベルをもっと若く綺麗にしたような人で、余計に聞いてて嬉しくなった。かなり洗練されていた彼女、どこの出身の人なのだろうか。 唯一、苦言を書けば時間が短かった。1時間ぐらい。なんか、熱演しててもきっかり時間をチェックしながらやっているみたいで少し興ざめ。おそらく、演奏時間は今年ぼくがブルーノートで見たなかでは一番短かったのでは。なんだかんだで、皆さん1時間15分から30分ぐらいはやるから。 |
| 25日(木) |
| 映画『ファイトクラブ』 |
| 当分、試写会は止めとか書いといて(19日)、お誘い受けてまた見に行っちゃった。まあ、夜だったしな。デイヴッィド・フィンチャー監督の「ファイトクラブ」。東京フォーラム(A)にて。ブラッド・ピットが準主役の映画だが、売り方は彼をまず前に出すようだ。なんかビル・フリゼルのコステロ=バカラック曲集の日本盤の売り方みたい? 不眠症の会社員を主人公とし、現代的病理を刺激的に描こうとする映画なのだが途中からサイコ入ってきて、焦点がアマくなる。マスを相手にしなきゃならないハリウッド映画にしては結構描き方はアヴァンギャルド、ふーん。まあ見れる、かな。同行者はお金出していたら怒ると思う、20世紀フォクスは「スターウォーズ」に続いてまたコケるなと感想を漏らしていたが。音楽はけっこう今っぽくてハマってるぢゃんなぞと思っていたのだが、後で資料を見たら、ダスト・ブラザーズが作っていた。また、それなりの役でデブが出てくるのだが、その人はなんと元ミュージシャンのミート・ローフ・アディ。1ヵ月半ぐらい前に、彼のベスト・セラー『地獄のロック・ライダー』を扱った<クラシック・アルバム>シリーズのヴィデオで彼の顔を一杯見たはずなのに、見ている時点では全然気づかず。おれ、注意力ゼロだなあ。彼、好演ではありました。 |
| 23日(火) |
| エルヴィス・ザ・コンサートと題された公演 |
| 有楽町の都運営の東京フォーラムのホールAで、エルヴィス・ザ・コンサートと題された公演のマチネーを見にいく。残されたエルヴィス・プレスリーの映像と歌(その部分だけを現代技術で抽出している)と生演奏をシンクロさせようとする内容を持つ出し物である。 はっきり言って、ぼくはエルヴィスなんて、どーでもいいと思っている人間。ロックを聞き出し、多少は分別つくようになって漠然と思っていたのは、エルヴィスとボブ・ディランを判ってはいけないということだった。なんか、彼らを受け入れるというのは、古い世代の流儀に与するような気がしてしまって....。そういう意味では、ぼくはロック第二世代に位置するんでしょうね(今のコドモたちだと、そういうのは誰になるんだろうか。ビートルズやストーンズだという人もいるに違いない。残念だけど)。結局、ディランに関しては80年代末になってやっぱいいじゃんって思うようになったが(ザ・バンドはずっと前から死ぬほど好きだったが、ディランの項目だけは器用に抜いて愛好していたのダ。でも、そういう若気のいたり的なツっぱりみたいのは必要だったと思ってますけどネ)、未だエルヴィスはぼくのなかでは対象外のアーティストになっている。なんか、生理的にダメなんだよなあ。 だから、この公演もプレスリーの魅力に触れるというよりは、最新技術を介した新趣向の出し物をチェックしようという感じで出掛けた。で、結論から言えば、なかなか面白いものではなかったか。バカでかい舞台上には往年のバック・ミュージシャン、コーラス隊、指揮者が中心となる20人強のバンド。そして、その頭上の大きなスクリーンに映し出される、歌うエルヴィスの絵に合わせて、実際のバンドが演奏するわけなのだが、なんか他愛ないようで、これがけっこう見れちゃう。うまく歌と演奏があっているのにも驚いたし(エルヴィスが映る中央画面の左右には、リアル・タイムの音を出すバンドの映像が映し出される)、なんとなくうまく重ねて見ることができちゃうのダ。画面における往年のメンバー紹介が、そのまま生のバンドのメンバー紹介になる部分もあるし、ときにエルヴィス画面に昔の客席が映ったりもするのだが、それがなんとなく自分たちのほうの絵なのかなと錯覚しちゃうような感覚もあったもんなあ(実際の客席が映されるときもあった)。成り立ちは安っぽいかもしれないが、結構うまくオペレイトされていて、それなりの(あくまで、それなりですが)疑似体験が味わえたんだよなあ。 そして、途中からしっかりと、これはできるだけ遠くから見たほうがしっくり来る公演だと実感した。ようは、スタジアム級のコンサートを見ているノリでみると、ピッタリはまるわけね。また、さらには、コレってスタジアム級のコンサートの不毛さを暗に暴いているような出し物だとも感じた。スタジアム級コンサートにおいては余程前のほうにいないかぎり、そっくりさんが出てきても気がつくまい。ましてや、それが口パクやDATをバリバリ使用していても。多くの観客は米粒のよう人間が動いている舞台全景とともにバカでかい映写画面を見ることによって、そのアーティストの公演を見ているのダという気分になる。ほとんどそれって、疑似体験みたいなもんであり、今回のエルヴィスのそれと対して変わらないぢゃん、みたいな。音はずっとこっちのほうがいいゾ。うーむ。 それにしても、この方式、けっこう使えるかも。ダニー・ハサウェイやマーヴィン・ゲイのそれがあったら....。でも、置かれていた立場を示すかのように、黒人はけっこう残っているフィルム少ないからな。だったら、ジョン・レノンだったらどうだとか、いろいろ考えちゃった。やっぱ、そういう人達のものだったら見に行っちゃうんだろうな。とほほ。 |
| 22日(月) |
| モグワイ |
| 渋谷・クラブクアトロでモグワイ。かなり混んでいた。だけならともかく、煙草を吸う人が多かったのか、会場に入ったとたん、煙くてかなわん状態。いきなし、帰ろうかと思っちゃうぐらいに。ともあれ、出てきたメンバーはかっこ悪い、でも人は良さそう、てな人達。遠目で見た印象ですが。それで、多いときは3本のギターをもって、透明感も併せ持つドローンとした澱のようなものを溜めていくような演奏を披露。まあ、ある種のロック的な美意識を掴んでいるところはあるのかもしれないが、ぼくにはそれほど重要な音ではありませんでした。 |
| 19日(金) |
| 映画「スラム」と映画「バレット・バレエ」 |
| 昼間、試写会2つはしご。まず、京橋のメディアボックス試写室で、ポエトリー・リーディングを扱ったアメリカ映画の「スラム」。チョコレート・シティたるワシントンD.C.の出口なしの状況にいる黒人の主人公がポエトリー・リーディングをきっかけに現状やネガティヴな世界観からの"
エクソダス" の糸口を掴むという内容。黒人の置かれた状況〜それはとりもなおさず現在のラップを生んでいる状況でもある〜は脚色されているにしてもそれなりに伝わってきて、暗くなることうけあい。そっちのほうに興味を持っている人は見ても損はないと思う。昔D.C.にちらっと行ったときがあったんだけど(姉夫婦が住んでいて赤ちゃんができてセイ・ハローするため、でした)、ゲットーには行かずワシントンGO
GO の尻尾すら掴めなかったことを思い出し、余計にちょっと悲しくなった。 それから、黒人の言語感覚=韻ということにも考えは飛びますね。刑務所の独房でのラップのやり取りなんかを見るととくにそう思う。ダーティ・ダズンにせよバップ・ヴォーカルにせよ、やっぱある種の感覚でずっと繋がっているのかなあ、みたいな。主役は実際 にそっちのほうで活動しているソウル・ウィリアムズ。彼はDJクラストの新作にゲスト入りしたりもしてますね。劇中に出てくるリーディングの内容は全て彼が作ったものらしいが、その詩の内容に関してはぼくはよく判らん。あーゆうの、世間では評価されるのかね。 渋谷のシネカノン試写室に移動して、続いて海外で評価の高い塚本晋也監督の「バレット・バレエ」。制作、監督、脚本から、主演、照明までなんでもやっちゃう欲張りな人なんですね。現代東京の一断面を切り取ろうとした、モノクロのヴァイオレンス映画。筋や作風は、まあこういうのもありか。クリップ的な画面構成を思わせ部分はかなり気分ぢゃと思わせるところもあるのだが、導入部をはじめ部分的に妙に芝居くさいのが引っ掛かった。それは今っぽさと古さを併せ持つという印象も引き出す。ブランキーの中村達也も重要な役で出ているが、キャストの半分はかなり魅力的。最後に希望を持ってきているのだろうが、なんかスカっとした情感を持つ映画ではないので、見ていてまたブルーになっきて、夜にパーっと弾けようとする気分が萎えて困ってしまった。そういう部分ではパワーを持っていたのかな。あ〜あ、原稿依頼はすでに年末進行モード。また、とうぶん試写会は行かないんだろうなあ。 |
| 17日(水) |
| ジャミロクワイ |
| ひえ〜って感じあったなあ。東京ドームが超満員。しかも、追加で次の日もやるというんだから。一人勝ち。何がここまで。ジェイ・ケイ本人も、屋内では一番デカい会場でうれちい、みたいなことをMCで言っていたが。もともとスタジアム級でやるような音楽性ではないし(それは質の優劣ではない。やっぱ、デカ音でダイナミクスたっぷりの音楽をやるロック・バンドのほうがバカでかい会場には向いているでしょう)、ショウ自体もそれ級のものには対応しきれていない部分はあったのでは。ただ、ジェイ・ケイ自身は前回のように独りよがりに大好きなフェラーリの排気音出して喜んでいるみたいな部分はなく(あれ、バカバカしくてぼくはイヤじゃなかったが)、聞き手に大きく手を差し伸べたいという姿勢はちゃんと出していたかも。ただ、大人になりすぎというか、なにも「ヴァーチャル・インサニティ」が大ヒットしたお礼として、わざわざJ-waveの名前を出してアピールすることもなかろうに。あんた、大スターなら曲がいいからヒットしたんじゃい、みたいに平然と構えていなさいって。観客にアピールするとしたら、もっと言うべきことあるかも。別に青臭いアジテーションやれとは言わないけれど。そこらへん、姿勢が甘くなっていると指摘されても仕方がない? なお、彼らはいつもショウのなかにカヴァー曲を入れるのだが、今回はストーンズのディスコ曲「ミス・ユー」でした。それにしても、ドームは入るのも出るのも大変だし、席がアリーナだと売店やトイレが遠くてかなわん。わんわん。 |
| 16日(火) |
| 映画「シュリ」 |
| 1ヵ月半ぐらいぶりに映画の試写会に行く。ぼくにとって試写〜映画は日常においてオプション、仕事が立て込むと行かないようになる。そこらへん、音楽のライヴとは非常に異なる。んー、ここんとこずっとトン詰まりしてからなあ。 渋谷のシネカノン試写室。「シュリ」は韓国映画である。もしかすると、きちんと見る初めての韓国映画(衛星放送でぼうっと見たことは、1〜2回あったような気もするが)。なぜ、見る気になったかというと試写状に、「日本がボケボケしてる間に韓国がハリウッドに肩を並べた」みたいな宣伝文句がのっていたからである。なんか、軽いゴラク気分で見れるかな、と。で、実際、南北問題と普遍的な愛をからめた、良く出来たアクション娯楽映画であった。なんでやねんと思うところもあるが、基本的には映像も筋も力を持ち、きっちり見させる。全然、その手の日本映画を見ないぼくがこんなこと書くのはナンだが、確かに日本のお金がかかった映画を凌駕しているのではないかと思った。総じて感服。公開は来年1月下旬、渋谷、新宿、銀座などで。おお、ぼくが試写会で見る映画にしては公開の規模がデカいぞ。 北朝鮮の金正日はカストロの野球好きの如くハリウッド映画好きらしいけど、本場の質に十分に届いているこの映画をどう見たろうか。韓国では物凄く評判を呼び大ヒットしたというから、たぶん何らかの手を尽くし、しっかり自分専用の映画館で見ていると推測されるが....。ちっくしょう、南はこんな映画作りやがってとか嫉妬して、ヘンなことしちゃやーよ。 ところで、試写室でもっらった資料には、150 字、200 字、250 字に要約した粗筋原稿例が掲載されていたりも。ほえ。オレがレコード会社のディレクターだったら、同じようにレコード紹介の原稿例を資料に載せたりして。てててて。 |
| 12日(金) |
| マーカス・ミラー |
| そんなに期待しないでいったのだが、かなり良かったなあ。やっぱ、マーカス・ミラーは資質が高いワと再確認。場所は青山・ブルーノート東京。ハイラム・ブロック(g)やケニー・ギャレット(reeds)、ブルーノート公演を単独で打てるプレイヤーたちを従えてのライヴ、基本的には純ジャズとヒップホップ世代の間に挟まれている世代であることをしっかり認知しての、それなりに統合する意思を感じさせる音を求めようとしたもの....彼が90年代に入ってからソロ表現として鋭意押し進めている路線である。 ジャズ的な広がりと強いファンクネス、ポップ・ミュージック的なタイトさが巧みに両立された実演。いわゆるフュージョンというスタイルのなかでは結構な高みに達しているのではないのか。なにより、自分たちのミュージシャンシップを満たすんだという意思をまず感じさせつつ、それを巧妙にエンターテインメントなものに転化できている手腕に脱帽。もうずっとやっている曲が多いが、確実に注意をひく方向に変形され、マーカスは歌もリード楽器もうまくなった。そろそろ、新作つくってもいいんではないかな。 それから、プージー・ベルのドラミングの素晴らしいこと。初夏に見たギャラクティックのドラマーと彼、この二人が今年に生で聞いてベストのトラマーだ。 |
| 10日(水) |
| 山下洋輔ニューヨーク・トリオ |
| 原宿・クエストにて。10箇所近く回ってきたツアーの最後の公演とか。満席。客の年齢層は高く、先の菊地雅章と渋谷毅のライヴ(11月3日)と違って小ぎれいな恰好の人も少なくない。そんなこんなで、山下洋輔は文化人としてしっかりエスタブリッシュされているのね、と実感。そういやあ、ハイネケンの好意のようだったが、バー・カウンターではビール、赤ワイン、ソフト・ドリンクを無料でサーヴィス。各種おつまみ入った小袋も親切に置いてある。おまけに、帰りには(山下がTV-CF
に係わっているらしい)焼酎のミニ・ボトルをお土産にくれたりもする。いやあ、文化人のコンサートは豪勢でいいやねえ。なんだかんだでいやしく飲んじゃう。赤ワインなんて、すげえ不味いやつなのに。しょうがねえなあ。なんか飲みたいモードだったんだよなあ。演奏中トイレに行きづらくない会場だったらもっと飲んでたな。トホホ。 セシル・マクビー(b)とフェローン・アクラフ(ds)。山下と、フリー表現と歌心を秤にかけられる骨の太い黒人奏者からなるグループがニューヨーク・トリオである。プーさんのテザート・ムーンではないが、何か決定的な結びつきを山下は感じているのだろう、ことあるごとに彼はこの顔ぶれによるレコーディング/ライヴを行っている。ある種のレギュラー・グループと言っていいのかも。その我慢強さというか、長期的な目を持ってグループ表現を育てていこうというその指針は褒められるものだと思う。 ただ、その育もうとしているものが、ぼくには非常に判りづらい。そりゃイヤだとは思わぬが、突き抜ける何かを感じることができないのだ。別に昔の山下の幻影を追っているわけではないのだが。正直なところ、トリオ表現の合間に少しやった山下のソロ・ピアノのほうが楽しめる自分がいるんだよなあ。アクラフはドラム・ソロになると途端に音量がデカきくなるのが笑えた。かつて、彼のこと4ビート界のジョン・ボーナムみたいな書き方したことあったけなあ。 それにしても、山下洋輔の話のうまいこと。控え目なんだが、ユーモアに富んでいるし、いろんな知識も感じさせるし、好ましいひっかかりもある。こりゃ、ニュースキャスターなどやらせたら久米宏なんかより数段いいのではないか。ぼく、ニュースステーションの関係者だったら飛びつくね。ほんと、感心した。 会場で、ジャズ批評の、<こてこて教>教祖でもある原田和典くんと暫くぶりに邂逅、今日レスター・ボウイ死んだって聞いたんですけど詳細知ってます、と話しかけられる(そしたら翌日、新聞の死亡欄にしっかりと載っていた)。58歳、山下洋輔より1歳上だけ。なんかジャズの敷居の高さを低くしてくれた、最たる一人だったなあ。この原稿は翌日(11日) に書いているのだが、つらつら考えているうちに、思った以上にぼくは彼から様々な米国黒人音楽の素敵を手ほどきされているんじゃないかと思えてきた。ああ。 |
| 7日(日) |
| カタトニア |
| 外国人比率は高かったかな、と。ショウを見ると、よりケリス・マシューズ嬢のワンマン・バンドになりますね。その奔放なイメージに応えるかのごとく、曲間に白ワインのボトルを手にしてがぶ飲みする、みたいなことも。なんとなく、見ていて“ウェールズのデボラ・ハリー”みたいな感想も持つ。カタトニア命の渡辺くんは最前列で汗だくになって見てたのかなあ。詳しいリポートは、彼の“恋愛志願”にまかせる。 |
| 4日(木) |
| ベス・オートン、タワー・オブ・パワー |
| ベス・オートンは渋谷・クラブクアトロにて。いやあベスさん、スリムだったなあ。それに短髪も似合っていたし、遠目のルックスはなあかなかでした。ライヴも、実は想像していた以上に良好。ぼくは彼女の実演に、ヴォーカルが情けなく聞こえるんじゃないかという危惧を覚えていたのだ。ところが、生でもレコードで聞けるまんま、いやしなやかさはそのままに線が太くなっている部分もあって少し驚いた。とともに、ぼくは、CDを聞く場合、歌にしろ演奏にしろテクノロジーのおかげできっと底上げされているんだろうなという気持ちで聞いているようなところがあるのかもしれないと思ったりも。その点、ベス・オートンのアルバムは実に正直な録られ方がされているとも実感したわけですが。 彼女の良さがちゃんと出ていたのは、バックの好演もあったろう。全編アコースティック・ベースであり、ドラムスはブラシも曲によっては使用。自分の持ち場を弁えてのそれは、しっかりと彼女を持ち上げていたもの。いいオンナの、繊細にして胸を張った“私の歌”の開陳。なんて持ち上げようか。歌はなんとなく、若い日のリッキー・リー・ジョーンズを思い出させるところも。それから曲間の愛想の良さもマルでした。 そんなわけだから、また中座するのは辛かった。が、1時間少し見た時点で、タワー・オブ・パワーを見に同じ渋谷のオンエア・イーストに。去年の夏場にも同じ会場で彼等を見ているが、やっぱオークラド・ファンクを愛好するぼくのなかの因子が見たいってタダをこねるんだよお。やっぱ圧倒的なホーン隊の重なりであり、独自のリズム。前回よりも音も良く、短時間ながら満喫。 ところで、最近なんか好意的な論調のものが多いなあと自分で感じたりも。ここのところ、いいものが多いのは確かなんだけど。とともに、偉そうに悪いところ挙げ連ねてもしょうがねえぢゃん。所詮は人の好みだからな、という気持ちも多少はあるのかなあ。その人が気に入ってるのに他人の女房の悪口言うってのも、なんだかなあみたいな。そういうモードかも。それにもともと、このコーナーを見れば東京でどんなコンサートが開かれてて、どんな感じだったかがある程度判るようなものにしたいてな気持ちはあったのだが、決してコンサート評のページではないのだから。実際、音楽のことヅラヅラ書いてあるよりも関係のない記述のほうが面白いとかいう感想を聞いたりもするしね。よく判らないや、まあ筆が滑るまま、気の向くままにってとこですね。やっぱり。と、このセンテンス、根が真面目なワタシの部分での記述でした。 |
| 3日(水) |
| ジャングル・ブラザーズ、菊地雅章 |
| なんか最近ハシゴするの多いなあ。それって、あまりいいことだとは思わないのだが、見たいヤツが重なっているのだがしょがねえや、だよなあ。 まず新宿リキッド・ルームでジャングル・ブラザーズ。なんと最初の1時間はDJタイム。かなり予定がズレるが、まあしょうがない。世のなか、こんなもんだ。 でも、ジャングル・ブラザーズの面々は1時間遅れの定時にちゃんとステージに登場。まめなのね。で、二人はドラマーとDJを従えて、お茶目にぶっとばす。んもー、最良のエンタテイメント・ラップ。夏にイエローで見た簡素版のときより肉感的でもあるし、当然ずっといい。楽しいっ。途中で中抜けしなきゃいけないのかと思うと悲しくなり、お酒が進む。あーあ。 それにしても、ちょうど1年前にNYで彼等のショウを見たことがあったのだが、そのときと結構印象が違うのはどうしたことか。あのときは前座で出たブラック・アイド・ピーズのあまりの素晴らしさにやられた故にジャングル・ブラザーズの印象が薄くなっているっていうのはあるのだが、広がるポップネスのようなもの(それこそは新作『V.I.P.』に横溢するものであるのだが)が本当に今の彼等に新たな力を与えているよと思った。 しくしく。中抜けして、新宿・ピットインへ。菊地“プー”雅章と渋谷穀のピアノ・デュオ(来年、2月にはそのアルバムが出る)。ここで、高校時代同級生でもあったという60歳前後のおっさんたちの素晴らしさを書く気は面倒だからはさらさらないのだが、とにかく才能とある種のオイラ思想というか哲学というか、そういうのが溶け合った、実に嬉しい我と美学のあるジャズをやっているお二人であり、門外漢にもまっさきに勧めたくなるピアニストたちであるのは間違いない。 会場に入ると、なんと普通は椅子が並んでいる中央部分にバカでかいグランド・ピアノが互い違いに2台並んでいてビックリ。そのため、普段ステージになっているところも椅子が並べられ客が入っている。ちょうどファースト・セットの最後の曲....ファースト・セットはそれぞれがソロで弾いたらしいのだが、菊地雅章がソロで弾いている。やっぱ、いい。ジャングル・ブラザーズを途中で出てきた罪の意識(なんてオーヴァーだが)がすうっと消えていく。相変わらずの唸り声。唸り声というとキース・ジャレットが著名だが、菊地雅章なら許す。そう思わずにはいられない、詩的な音の並びに喘ぐ。 二部は両者一緒に。エリントン・ナンバー他。主導権は菊地、渋谷はそれに寄り添うかたちで着く。もう少し積極的に絡んでも良かったような気もするが。まあ、いろいろな意味で遙かなるジャズ....。それにしてもプーさんのハイともいえる機嫌の良さにはビックリではあった。また、ある種の人達からはやっぱ注目度高かったんでしょうね。ずっと会っていない顔見知りに何人も会ったりも。 |
| 2日(火) |
| オーズリー |
| 王道(ひねくれ)ポップ消化を感じさせる好ポッパー、オーズリーの「お願いレイディオ」という曲は少し前のぼくのお気に入り。詳細は忘れたが、あるお店に入ったとたんその曲が流れて胸キュンしゃったことあったんだよなあ。歌詞がまた曲調にぴったりでいい感じ、それもまた彼の才だと思う。 そんな彼の公演は渋谷・クラブクアトロ(なんか久しぶりに行った気分。やっぱ飲み物貧弱だし、値段が高目だよなあ。それから、開けたワインを翌日に持ち越すような場合は空気抜きの専用栓ぐらい使ってほしい)にて。単なるぼくの感想に過ぎぬが、こういう音楽が一番クアトロというハコには合っているような気がした。クアトロで見たコンサートで印象深いものをパっと思い出せる範囲で挙げると、スティーヴィ・サラスの1回目、オーズリー君もギタリストとして同行していたらしいジャドソン・スペンスの一回目、なぜか大盛り上がりだったT.M.スティーヴンスの一回目。それから、10年以上前の元ソウル・チルドレンのJ・ブラックフットのソロ公演(こんときは、トランス状態気味になり、卓やってたあんちゃんに握手を求める始末。そんなの、あんときが最初で最後) 。あ、あんまし音楽的な共通点はないか。ようは、初モノにして、その人のことを理解した人がちゃんと集まってある種のあったかい空間がぽっかり出来上がるような公演にクアトロの大きさや雰囲気はあっているような気がするんだよなあ。かつてのオーズリー表現に助力したベン・フォールズ(・ファイヴ)の最初の公演もそんな感じだったはずだ。 ちょっとラフというか、音が悪かったような気もするが、レコード気に入って見にきた人なら満足できたのではないだろうか。アンコールではザ・フー曲も颯爽と。残念だったのは、アルバム・ジャケットのように高くジャンプしてくれなかったこと(一回だけ跳んだが、30センチぐらい)。 それから、この日とは関係ないが、10月25日と28日の項の追加をちょっと。 まず、イサック・デルガードの公演で、望郷の気持ちとともに集まり、和んでいたキューバ系の人達(だと思う)を見ながら思ったことが一つ。ちゃんと自分の根っこを、ナショナリティを満たしてくれる音楽があるのはといいなあ、ということ。そして、ぼくが海外にずっと暮らしているとして、果してぼくの日本人としてのココロを満たしてくれるアーティストが何人いるだろうかとも考える。少なくても、今チャートの上位に入っているような人たちじゃ、ぼくは行かないと思う。それとも、海外生活が長くなると感じ方は変わるか(かもしれぬが)。意外に民謡とか演歌とかベタな歌謡曲とかだったほうが興味本位で行きそうな感じもするけど。ともあれ、しっかりとアイデンティティを満たしている彼等の姿を見ながらちょっと羨ましくなった。 またメイシオ・パーカーだが、その後アニー・デフランコの新作『トゥ・ザ・ティース』を聞いたらメイシオ・パーカーが3曲も入っていてビックリ(元プリンスも)。同封資料によると、この夏にメイシオはアニーのツアーの前座をやったらしいのだが、それにしても驚いたのは、ぼくが駄目ラッパーと書いたコーリー・パーカーがちゃんと1曲でフィーチャーされていること。意外にまとも、違和感はない。でも、コーリー入りのメイシオ・ライヴだけでもすでに3回見ているワタシはそれでも彼は駄目ラッパーだと思っています、ハイ。ともあれ、彼女の『トゥ・ザ・ティース』は素晴らしい出来。近作のなかでは一番気に入った。ぼくは一発で、今年のベスト10に入れることに決めました。 |