1999年5月


31日(月)

金延幸子の温性に触れる。

 渋谷、クアトロで金延幸子。70年ごろ少しだけ日本で活躍した女性シンガー・ソングライターで、すぐにサンフランシスコに渡ってしまった人。日本時代にリリースされた『み空』のことは、恥ずかしながら数年前まで知らなかった。でも、聞いたとたん、それが洋楽の空気を吸った邦楽の最高峰(当時)にあったのはすぐに理解できてけっこう驚いた記憶がある。そのあと、シスコに行ったとき偶然に一緒にご飯を食べる機会があったりして、ああこういう闊達な人がああいうのを作ったのかアと思ったのだった。そんな彼女の新作『sachiko 』はかなりエスニックな行き方を見せていたりする。ぼくは『み空』の頃のうっすら路線のほうが好みではあるが、それはずっと異国に住む彼女ならではの生活/思考の蓄積が作用してのもの。その言葉にならない積み重ねが見えるから、そしてその奥には澄んだ感性を持つ可愛らしい個体が見えるから、ぼくはこれも彼女の真っ直ぐな表現なんだろうと思える。さて、もの凄く久しぶりだろう日本での彼女のライヴは、日本人によって編成された隙間の感覚を重視しようとする意図も伺える比較的アコースティックなバンドを率いてのもの。ときにギターを弾きながら楽しそうに歌う彼女を見ながら、しなやかさとある種の頑固な自意識が決して相容れないものではないことに気づかされる。曲によっては、吉田美奈子やサンディが一緒に歌う(金延のMCによれば、昔は“西のサチコ、東のミナコ”と呼ばれたそうな)。また、後半には彼女のエスニック路線に多大な影響を与えたパキスタン人パートナーのサカヴェ・アリ・ハーンも加わる。なんか、彼女をはじめいろいろな人の、いろいろな思いが重なり合った、とっても温かいもやもやが付帯していたコンサート。さすが、お客さんは年長者が多かった。


29日(土)


チーフタンズも来日してます。

 恵比寿ガーデンホールでアイリッシュ音楽の重鎮、チーフタンズ。いい入り。この2、3年、ブラジルものとアイルランドものは本当に人気がある。ぼくの回りでも、普段はそれほどコンサートに行かない人でもそっち方面は行くようにしているって人もいるしなあ。おじちゃんたち、心をこめ、淡々とこなす。なにものでもないチーフタンズ。見れて良かったと思うが、どこかすんなりと行き過ぎという感想も持つ。なぜだろ?


28日(金)

木住野佳子、果してその奥にあるものは?

 夜、日本人ジャズ・ピアニスト、木住野佳子のライヴに。原宿・クエストホール。ビル・エヴァンスあたりが好きなんだろうなという端正なプレイを聞かせる人だが、それだけに終わらない独自の<さざ波>のようなものを、奥のどこかに持っている人。それをどう広げ編み込んでいくか、ぼくはそこらへんに興味がある。ちゃんと話したことはないが、結構地は乱暴そうな人(これ、ぼくのなかでは悪い意味じゃないです)とも思う。


27日(木)

O・T・コントロール。これも百聞は一見にしかず。

 実はここ10日間ぐらい、仕事が溜まりまくっててピンチ。この<ライヴ三昧>は一筆書きだし、別に負担になってない(はず)。ちょっと仕事の受け方、間違ったなあ。許容量、完全に越えてる。いくつかは断ったんだが。こんなに原稿のプレッシャー感じたのって、ここ2〜3年なかったんではないか。シクシク。そのため日暮れ以降は机に向かわないようにしている(でなきゃライヴに行けませんって。で、必ず飲むんだから)ワタシは昼間の試写会に出るのを禁じていたのだが、この日は「恋は嵐のように」を見るために東銀座のUIP映画に向かう。そのサントラのライナー・ノーツ書くためだからしょうがねえ。そのサントラのエグゼクティヴ・プロデューサーはロビー・ロバートソン。監督(女性)はその音楽として、LA良心のパブリック・ステーションKCRWでかかるものをイメージしたという。同局のライヴ番組は『Rare on Air 』という名でコンピ盤シリーズで知られていますね。

 夜は渋谷のクアトロで米国ジョージア州アセンズをベースにするヘンテコ・バンド、オリヴィア・トレマー・コントロールのライヴに。これがダダくも肉感的な実演で、良かった。とともにレコードで見えないところが沢山出ていてビックリ。ボンゾ・ドッグ・バンドやフランク・ザッパなんて名前は、レコード聞いているだけじゃなかなか出て来にくいもの。様々な楽器を自在に持ち替え、ポップ音楽の自由、喜びをしっかりと体現。明日のインタヴューがとっても楽しみになる(思ったとおりの連中で話が弾む。ザッパ話にも花が咲きました)。


25日(火)

サンボーンは小野島大を越えた(笑)。

 青山・ブルーノート東京でデイヴィッド・サンボーン。本人、バンドとともに出てきてビックリ。すげえ痩せてて。小野島さんの比ではない。もともと背が高いほうじゃないし、絶対50キロ切っていると思う。その胸の薄さ、腰回りの細さは愕然とするぐらい。パンツなんて女モノしか履けないのではないか。で、それでプレイがしぇぼかっからいたたまれないとともに、余計な心配をしたくなるのだが、以前と変わらぬ吹き口。延々と元気に吹きまくってくれて、安心。いい音してました。元プリンスの片腕的存在もつとめるリッキー・Pやミシェル・ンデゲオチェロやトリッキー作参加でオトコを上げてる(?)ジーン・レイクら、サンボーン・ファンにはお馴染みの面子を従えてのもの。フュージョンには比較的厳しい基準を持っているワタシですが、満足でした。


24日(月)

ウィルコさんも良かったっす。

渋谷のクアトロで、ウィルコ・ジョンソン。トリオにての実演。ウィルコおじさんも良かったなあ。ピック使わない奏法でバリバリ弾いていく様にゃあ、改めて惚れ惚れ。甲高い声による歌、ちょっとした仕種などもチャーミング。得難い積み重ねを持つ“芸能”をしかと受け止める。前座はシーナ&ロケッツ。その間の休憩中にパブ・ロック・エンスーの駒形四郎さんとしばしお話。「小野島さんってそんなに痩せたの?」「うん、以前からみりゃすげえ痩せた。なんか食べ物変えただけらしいけど、前は一体何を食ってたんだって思うぐらい」「でも、松田優作ってのは....」「あ、それはないと思う」。どうやらホームページとともに、体型も話題のよう。駒形さんも今回のウィルコはより良い、と言っておりました。


22日(土)

NRBQ、最良の一夜。

 素晴らしく、素敵な夜だった。ぼくはライヴの帰り、心の中のクラッカーを目一杯打ち鳴らした。ぼくのなかにはもう数えきれないほどのクラッカーがあるんだぜ、そのけたたましかったこと! 吉祥寺・スター・パインズ・カフェでNRBQ。ちなみにグループ名は、ニュー・リズム&ブルーズ・カルテットの略、NYベースの創造的でイナセなR&Rバンドである。それにしても、いい年こいたおやじたちの実に心の籠もった、お茶目なパフォーマンスをどう書き留めたらいいのか。ああ、ああ、ああ。とにかく良かったんだよお。いい味出してたんだよお。えも言われぬ意義を感じさせてくれたんだよお。たとえばキーボードのテリー・アダムスなんてはジャズもそれなりにできる人だが、そんなの関係なし。ロックンロールという何物にも変えがたい魅力や意味をしっかりとワカっていることからくる愛着を前面に出しつつ、なんとも楽しくそれを実践しちゃっているんだもん。最強ではないかもしれないが、最良のロックンロール・バンド。彼らのことをB級とかいう人がいるけど、なんでかな。曲作りにせよ、歌にせよ、演奏にせよ、精神にせよ、超A級というしかないではないか。ただ、不幸にも大きな支持を得ていないだけ、その事実だけを持ってB級とか形容するのはあまりにも発想が貧困すぎる(敷居が低い表現という意味なのか?)。俺ら好きなことさえできれば多くのことは望まん、てな派手なシャツ着たおとーさんたち、カッコ良すぎるぞ。俺の老後のあり方をNRBQなるものに見た、な〜んてね。真っ当なロックンロールここにあり。別にぼくはライヴ見にいかなきゃそのバンドの本質は分からないとか言う人間ではないが(本質は見えやすくなると思うが)、それでもこれだけ感動的なものだと、ふだんR&Rという単語を文章に用いる人なら、彼らのライヴは最低限見に行くのがつつしみというものではないか。そうも、うっすら思った。彼らに、完全にヤラれちゃった。本年、ベスト1ライヴ最有力候補。


21日(金)

いろいろ見た。少し、考えた。

 まず昼過ぎに原宿のキー・ストーンというジャズ・クラブで、ジャズ・ヴォーカリストのダイアナ・クラールのコンヴェンション。ピアノの弾き語りでさらりと数曲。ちゃんと質を持つ人だが、あまりにさらりとやりすぎ、ではなかったか。明日はロンドンに発ち、また宣伝活動に励むとか。ところで、妙にすれた女性司会者の不毛な受け答えには口アカングリ。空虚に上滑りしまくりで辟易した。

 日が暮れて、ザ・ブームを見るために日本武道館に行く。彼らを見るのは今回が初めて。いやあ、歌がよく聞こえた。伴奏も一つ一つよく聞こえた。曲調とか賛同できない部分もあるが、それに関してはほぼパーフェクト。なんか、フロントに立つ宮沢の存在だけが突出したバンドという印象を持っていたが、バンド(サポート・メンバーなしでは、出しえないことをやっているが)である必然性をちゃっと教えてくれるような説得力あったなあ。いつも彼らを見ている人にその感想を述べたら、特別今日がいいというわけではない、みたいなこと言われた。ただ、メンバーと観客のやりとりにはついていけないなあと感じる。逆にこの日のお客さんにとっては、昨日のウィスパーズでのそれに閉口しちゃうのかも知れないが。

 その後、青山のCAYに。向かうとき、例のガイドライン法案反対のデモ行進で246 は超渋滞。マジ込み。時間的余裕あったから良かったけど、そうじゃなかったらイラついたろうなあ。<急ぎたいのに何しとんぢゃいボケぇ>的な、ことなかれな人々の負の情念が246 界隈で舞い上がりまくりだったのは間違いない。デモ隊の「戦争はイヤだぁ〜」みたいなシュプレヒコールに心の中で呼応しつつ、もっと効果的なアピールの仕方はないのかとも少し思う。うーむ。CAYであったのは、アルバム先行EPの評判がなかなかのダブ・バンド、リトル・テンポのライヴ。着くと、お店の前にはズラリと列が。おおっ。やっとこさ中に入ると同業者も数多く、彼らが注目されているのが良く判った。当然、中も激込み。まず、お友達のバンドが演奏。最初スティングみたいなヴォーカルだなあと思っていたら、どんどんライみたいな民謡臭が加味されていって、日本人ポップ系ヴォーカルとしてはかなり特殊かつ個性的な人であると感じる。リトル・テンポを見るのはLKJの前座のときいらい。ヘヴィさや刺のなかになごみや覚醒をうまく埋め込んでいる彼らの音、これからもっと支持を集めるんじゃないか。ただ、この日はちょっと演奏が荒い部分があったかな。終わったのが午前1時少し前。お店は1時までです、という案内が。ちょっとお客さんに不親切かも。でも、この日のイヴェントは1,500 円と破格に安いもので、それは称賛されるべきものだが。

 そしてまたまた移動し、新宿のリキッドルームへ。ジャイルズ・ピーターソンを呼んでの、U.F.O.の新譜発売イヴェント。あらら、会場が趣味よくディスプレイされてて、同所のDJイヴェントのなかではダントツにお洒落なお膳立て。ステージ上のDJブース回りの処理もそうだし、下のフロアにもバーを出していたのにも拍手。ただ、込みすぎ。あれだけワサワサしていると、美意識も粋もへったくれもない。ルーレット台なんかじゃまくせえだけじゃ。1時間少しいて、退散する。こうやって好き勝手やってる横でどんどん世界はヤバい方向に向かっているのかなあ、喧騒から逃れちょっと真人間的思考をしたりも。とるかく、なるべく人に迷惑かけないように好きにやるだけ。それで悪いほうに行ったら、ぼくはぼくのやり方で落とし前をつけるしかないだろ。腹それなりにくくってなきゃ、ね。てなわけで、怒濤(?)の一日。だが、まだ序の口。6月上旬まで、なんだかんだ異常なくらいライヴに行く予定が入っちゃってる。自分でもライヴによく行く人間だと思うが、こんなに入りまくってるのは初めて。たぶん、この後もないだろう。さあ、ちゃんと予定はこなすのか。


20日(木)

ウィスパーズ。やっぱり中堅以上のブラック・グループは見るべきものアリ。

 渋谷のオンエア・イーストでウィスパーズ。70年代から20年近くソーラー(Solar 、サウンド・オブ・ロサンジェルスの意) ・レーベルに在籍した、ブラコン期西海岸を代表するコーラス・グループだが(まだ売れっ子になる前のベイビーフェイスも何かと制作に協力してました)、ステージ上に立ったフロントは4人。あれれ、5人組のはずじゃ? でも双子のスコット兄弟がいれば問題ないでしょ。バック・バンド(鍵盤2、ベース、ドラムス、サックス)もそんな若い奴いなくて、なんとなく彼らのグループの年輪を感じさせる。最初はちょっと薄っぺらいと思って聞いていた。曲も必要以上にポップだなあ、とか思いつつ。だが、途中からどんどん引きこまれていきました。ちょっとした振り、ファッション、表情、MC等、米国ソウル芸能たる伝統的醍醐味がいっぱい。やっぱり、この手の年季入っているグループの来日公演は多少無理してでも顔を出すべき、絶対に見るべきものあるゾとの気持ちを新たにする。和み、温められました。自分の身体のなかにある、米国ブラック・ミュージックを愛でる“種”に水を与えらることができてニッコリ。


19日(水)

グレン・スコットは開放的なライヴに作り変えていた。

 渋谷・クアトロで英国型複合ソウル表現の新進、グレン・スコットを見る。この春にデビューしたばかりの25才のジャマイカン・ルーツの青年だが、なかなか良かったんではないでしょうか。サポートは電気スタンダップ・ベース奏者、ドラマー、生ギター奏者、ストリングス系担当キーボード奏者。そして、本人はピアノとハモンドを弾きながら歌う。アルバムだと閉じた回路を感じさせるところもあった人だが、ライヴではずっと開放的。けっこう曲によっては自在に伸ばされていたりもしてて、楽しめた。なお、ショウの前半部にはプロモーションで来日中のロン・セクスミスがいたりも。なんでも、マネイジメントが同じなのだとか。ふーん。前にヌーノ・ベッテンコート(元エクストリーム)からキャシー・デニスとは同じマネイジメントなんだと聞かされて驚いたことがあったが、そういうの日本にいると、よく判らないからなあ。それから、観客の拍手がとても温かかった。かつてのスピーチのときなんかも思ったが、それほどマニアックじゃないときの逸脱派黒人アーティストの日本公演の場合、概してそういう傾向にあるような気も。どうだろう。


18日(火)

タル・バックマンはとっても誠実な人だった。

 家からほど近い池尻大橋のチェント・コーゼで夜に、シンガー・ソングライターのタル・バックマンのマスコミ向けコンヴェンション。60年代中期から10年間強ロック界で結構活躍したカナダ人、ランディ・バックマン(ゲス・フー、バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ)の息子さん。おやじは熊みたいな人だったというイメージ(あくまでイメージ。実際はどうだったっけか?)があるが、彼は金髪の、そこそこルックス良しの青年。ピアノとギター、それぞれの弾き語りをさらりと聞かせてくれる。1曲目にやった曲は結構ビリー・ジョエルしてたなあ。あと、ランディ・エデルマンのそれを思い出したりも。ようは新しさはないけど、きちんとした資質で勝負しようとしている人と言えるかな。その芯が捩じれていないのも、ある面では武器になるはず。MCではかなり一生懸命覚えただろう日本語を延々と。誠実な人なんだろうなあ。実演後、本人に「アルバムよりいいですね」と言ったら、少しムっとして「それ、どういう意味?」と返される。あ、そういう取られ方もあるか。実直な青年、なり。


17日(月)

映画『Tonite Let's All Make Love in London』、ぼくの日常は揺れているか?

 夕刻、渋谷・シネカノン試写室で、映画『Tonite Let's All Make Love in London』。67年、英国のドキュメンタリー映画。監督のピーター・ホワイトヘッドは、ストーンズのアイルランド・ツアーの映画やビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」「ペニー・レイン」のクリップを撮った人というので、けっこう当時のロック界の中枢にに入り込んでいた人だったのだろう。で、そんな御仁が描こうとするのは、66〜67年ロンドンにおける、ロックを中心とする新しいポップ・カルチャー(カウター・カルチャー)群像。いくつかの章立てになっていて、章ごとにミック・ジャガー、ストーンズのマネイジャーだったアンドリュー・ルーグ・オールダム( 映画最後には彼が設立した会社、イミディエイトのクレジットも) 、デイヴィッド・ホックニー他らのインタヴューをフィーチャーしているが、それは今となってはなんだかなあではある。だが、それ以外の当時の風俗を伝えるようないろんなカットは興味深く見れる(ストーンズのライヴやエリック・バートン&アニマルズのスタジオ風景などもあり)。DJイヴェントなんかのBGVなんかに使われると、けっこう皆見入る類の映像かも。なお、映画のタイトルはアレン・ギンズバーグの詩から取られているそうな。前に触れた映画『ハング・ザ・DJ』もあと10年経てばもっと興味深く見れるのだろうか。そして今のこの時代、10年後に揺れてたなあと思えるといいなあ〜。渋谷シネパレスにて、6月下旬より公開。


16日(日)

スカパラ・プレンズ・オン。

東京スカ・パラダイス・オーケストラで、お台場のZEPP東京。観客はコドモが多いので驚いた。当初行く予定に入れてなかったが、12日の短いセッションが印象深かったんで行ってみました。ZEPP東京というハコもちゅんと見てみたかったし(しかし、どういう経緯でこういう名前になったんだろう? おやじはレッド・ツェッペリンを思いだしちゃうよなあ)。ところが、グズな臨海副都心モノレール" ゆりかもめ" の青梅駅に下りてから、なかなか会場までたどり着けず。ただでさえ遅れて行ったのに、大遅刻。オレが阿呆なのか、表示が不適切なのか。ちょっとココロ乱れる。肝心の同所は思ったより簡素だったかな。それに、もっと大きなハコかとぼくは勝手に思っていた。感じとしては、赤坂ブリッツの作りに似ていて、それをもう少しデカくした感じか(だいたい川崎チッタと同じぐらい?)。なお、売店はアルコールの品目を多くしてほしい。って、次いつ行くか判らないけど。......The Band Plays On 。それが端的な感想。あらら、ポール・コゾフが組んだバンドの75年作タイトルの引用ぢゃないか。ヴォーカリストは音痴気味だったが、とってもぼくは好きだった1枚。昔、よく聞いたなあ。


14日(金)

スージー・スーおばさんは固定客がいるんだなあ。

 渋谷・クアトロでクリーチャーズ。けっこう、混んでいた。なんせ、お酒買いにいくのが難儀であったから。やっぱ、固定ファン根強いのだなあ。客の年齢層、いつもよりは高めだったのは間違いない。16年ぶりの来日、確かスージーさんはそう言ってたっけか。共感できたと書くとウソになるけど、まあ身体の線ぴっちり出る恰好で気張っていたと思う。バンドは硬質な立ち上がりを持つ音のなかに素養の広がりをちゃんと投影していて、10年強前だったらけっこう感激したんじゃないかと思わせられたりも。それにしてもバカでかいバスドラというか、大太鼓持ち込んでいたんですね(ステージ横の高い所に位置)。終盤、そのタイコが大活躍。


13日(木)

コンヴェンションにもいろいろあらあな。

 レコード会社はときどき自社の商品を“特に”売ろうとして、アーティストを呼び、プレスやレコード販売関係者などを呼んで、大々的にコンヴェンションを行う。コンサートとともに、イヴェント好きのぼくはその手のやつも結構行く。ゲンブツに触れてこそ初めて見えることもあるし(それゆえ、インタヴューも非専門誌の場合はそれほど好きくない場合もぼくは結構受けるようにしている)。昼過ぎ、ポリドールのクラシック部門が開いたそれのために六本木の妙善寺に。テレビ朝日のすぐ側。あんなところに寺があったのかと思ったら、そのすぐ手前には別のお寺もあるし、地図見ると他にもいろいろと載ってるんだよなあ。六本木に多いのは中華料理屋だけじゃないんですね。“行”という名前のプロダクションのコンヴェンションなんだが、なんとお経とサンバのリズムを一緒にしちゃいましたというそれ。外国ではサンバとトランスの合体なんてのもあったが、なんでもアリですね。寺につくと本堂内でその実演ちょうど始まった時で、5人か6人のお坊さん(日蓮宗のよう)が座りお経を唱え、後ろには6人のサンバのリズム隊が。ぼくは超ゲテモノを期待して行ったのだが、そこまで笑えず。けっこうお寺側がはしゃいでいる感じがあったのは気のせいか。

 続いて、今度は英国の女性3人組ハニーズのコンヴェンションのため、同じく六本木のタトゥー東京に。カラオケで4曲歌う。それを聞いた感じでは、ダンス・ポップ系ながらしっとりめの路線を取る人達と言えるよう。3人とも身体の線が細いのは宜しいのではないでしょうか。横にいたBMR誌のファンク・エンスー丸屋とこんな会話も。「丸屋ぁ、3人のなかで誰を取る?」「エースケさんは?」「右の新しく入ったおねーちゃんかなあ?」「やっぱり人の趣味っていろいろですね」「じゃ、オマエ誰なの」「抜けた娘ですよ」「きたねえ〜」。そうしたほのぼのとした会だったということで。


12日(水)

JUSTAレコード・セッション、あまりにスピリチュアルな朝…… 。

 飲んで流れて、また飲んでェ。途中、某レコード会社の洋楽の連中と多数すれ違い面食らう。なんでも、新人歓迎会みたいなのをやってて流れる途中であったようだが。そして夜中2時すぎに(本当はすでに13日ですね)東京スカ・パラダイス・オーケストラ主宰のアナログ専門レーベルであるJUSTAレコードのイヴェントをやっている西麻布のYELLOWに。ちょうど着いたころはスカパラ曲のリミックスもやっているジョー・クラウゼルが回していたはずだが、酔っぱらってたし、上のフロアで談笑してたんであまり印象にない。なぜ、クラブ系のハコに来た場合、普段は飲まないウォッカ・トニックを注文することが多いのか。自分のことながら、謎だなあ。そして4時すぎから、そのクラウゼル(打楽器をやった)とダチのハイチ出身のジェフテ・ギオム渡来組とスカパラ選抜隊(ホーン3本、キーボード、打楽器)とのセッション。冒頭にクラウゼルが亡くなった青木さんへの追悼の言を述べてから、3曲を演奏。とくにギオムが生ギターを弾いて歌ったスピリチュアルな二つの曲における両者の絡みは聞きほれる。厳粛ながら、不思議な安らぎや希望(といっていいのかな。適切な言葉が見つからない)も宿っていて。こーゆー、スカパラもいいナ。サン・ラー・アーケストラによるスピリチュアル・ナンバーを聞いている気分になった? ああ。演奏しながらフロアを通り抜けていく、終わり方も余韻を残した。特殊な状況がどう影響したかは判断がつかぬが、いいシッセョンだったと思う。そのスカパラは予定通り16日からツアーを開始、トラでブランキー・ジェット・シティのドラマーが入るという。もともと彼、ジャズやってた人なのだそうだ。明るいなか、家に帰ってまた少し飲む。


11日(火)

ジョン・スコフィールドで(少し)GO GO。

ぼくはジャズとフュージョンの間に明確な線を引いている。そこのところはそれなりに字数を使わないとちゃんと説明はできないのだが、ようはフュージョンはジャズというべきものでは非ずというのがぼくの見解なのダ(もちろん、例外はありますよ)。ゆえに、今のクラブ系の人達がフュージョンをジャズだと言って取り上げるのは、どこか抵抗があったりもする。もっとマシな、純なジャズに着目しないかあ、と。まあ、だからこそ手を伸ばしやすいというのがあるのかもしれないが。ただ、そういう論調には、オレはある程度ジャズのことも知っているんだというつまらない自負が働いていないとは言い切れない。自戒せねば。ともあれ、そういう線引きのなか、ジョン・スコはフュージョン的な意匠を通りながらも、フュージョンであることを回避してきた数少ない奏者であるとはいえるか。それも字数を費やさないと説明不可能なのだが、乱暴に記せば、彼はフュージョンをやりたいのではなく(いや、たぶん嫌っていると思う)、今様なジャズを標榜したくて一部フュージョンと重なる部分も出てきた人と行ったほうがいいだろう。観点はズレるが、少なくても彼のフレイズ、フュージョンぽいというよりはまだロックっぽいとぼくは思う。そんなスコフィールド、約2年ぶりの来日公演は六本木スウィート・ベイジルにて。なんスコおじさん、スキンヘッドになっている。彼は昨年、メデスキー・マーティン&ウッドの完全バッキングでアルバム(『A GO GO』)を出したが、その設定に基づくライヴと言っていいのかな。体温の低そうな白人オルガン奏者とラテン系ぽい電気ベース奏者と黒人のドラムス奏者(大昔のギル・スコット・ヘロンみたい)3人のバッキング。リズム・セクションの年齢はけっこう若そう。相変わらずのスコ節連発。だが、ファンク濃度はそれほど高くなく(お得意のセカンド・ライン調はなし)、行きそうで行かないもどかしさも少し。音色のトリッキーさに頼るフレイズ作りが前よりも耳につき、ゆえに1曲だけ手にしたガット・ギターのプレイにホっとできたりも。この人、まだまだ進むべき道はあると思う。


10日(月)

『ハング・ザ・DJ』と『マイ・ネーム・イズ・ジョー』、 映画日間ですぢゃ。

 映画デー。昼下がり、渋谷のシネン・カノン試写室にて『ハング・ザ・DJ』を見る。クラブDJは今のご時世、どのように支持され、またいかに実のある場や音楽を作っているか、とゆーよーなことを語ろうとする映画といっていいか。まあ、そういうのはえてして現場ずっぽりの人ではなく、外からのぞこうとする人が作りがちなわけで、これはマルコ&マウロ・ラヴィラという28才になるカナダ人の双子の兄弟が録ったもの。ジュニア・バスケスやロジャー・サンチェスらNYハウス系DJを中心に追いつつの、ドキュメンタリー風の一作。NYだけでなく、カナダ、英国、フランス、スペインなど各所の取材を入れ(残念ながら日本のそれはなし。ラリー・レヴァンの92年の亡くなる前の日本での様子がチラリと出るのみ)、対象DJはハウスだけでなく、一部ヒップ・ホップやジャングル(どうやら、撮影はドラムンベース隆盛以前のよう)等も含むなど、意欲的というか、中途半端に広げててピンぼけふうなところも。一般に向けてくだいて見せようとしているようでそうでもないし、かといってマニアックでもないし。生々しい現場の臨場感のみをドライに伝えようとしたほうが良かったのでは....。

 そして、軽い飲みと打ち合わせ1本を間において、6時から再びシネ・カノンで『マイ・ネーム・イズ・ジョー』。ケン・ローチ監督、98年イギリス映画。グラスゴーの中年男女の愛の行方が軸、スコットランドの一都市に生きるごくフツーの人々の姿を借りて、今のビターな情景を描いたもの。途中主人公カップルが親密になってく過程でヒット曲問答あり。「スージー&ザ・バンシーズは?」/「ホンコン・ガーデン」。「スウィートは?」/「ブロックバスター」....。確か、似たようなのが『ショート・サーキット2』にもあったっけか。元アル中の主人公は失業中で、地元のサッカー・チームの監督をやっている。あらら、いかにもの設定? ストレートに筋を追いすぎ、せっかちじゃねえかてな印象も少し覚えたが、力のある作品だと思う。地方都市のそれなりの日常も教えてくれるしね。しかし、煙草吸っているシーンの多いこと。煙草が駄目なぼくはそこらへん敏感に感じちゃったなあ。貧乏なくせに高価なタバコをよくもまあ買ってるナとか思いつつ、シルク・カットを一箱買うお金があればどれだけビールを飲めるかなんてことも、ぼくはいやしく考えた。


7日(金)

ボケは来てても、オーディオ・アクティヴ。

 え〜っと、5月6日の項、まず訂正から。<時差を考えるとちょうど亡くなった頃>とありますが、それはロジャーが亡くなったのは27日の早朝だと勘違いしていたゆえの記述。本当は25日なんですってね。いやあ、お恥ずかしい。それともう一つ、ブラック・ミュージック・レヴューと書いてますが、正式日本語表記はブラック・ミュージック・リヴューです。取り引きのある雑誌の名前ぐらいちゃんと記せっちゅーに。いつものようにBMRと書けば良かったのにい(管理人注・いえいえ、私が校正ちゃんとしてれば良かったっんです、すいません)。おまけに、お昼に入った食い物屋では、なぜかお金払った気分になっちゃって支払いせずに出てきちゃうし(あまりに堂々としていたのか、お店の人も声かけてくれなんいんだもの)。いやはや、見事なボケ具合。ええ、後から気づいて支払いに戻りましたけど。

 で、そんなボケ進行中のワタシでも、オーディオ・アクティヴは感じた、痺れた、燃えた。渋谷・オン・エア・イーストにて。DJ二人組ユニット(ロンパリって名前だったっけ?)と、オーディオ・アクティヴやリトル・テンポ関係者らが組んだドライ&ヘヴィが前座。とくに、前者はジャンピン・デジタル・ノイズと言いたくなる音を放出していて、かなり楽しめた。そして、真打ちのオーディオ・アクティヴ、始まり方からしてカッコ良かったなあ。でかいステージ後方イメージ映像画面が活躍し(これはコンサートの間じゅうずっと)、後ろからのレーザー光線みたいなのがビーと何本も客席側に送られる。コレは完全にでかい会場用の設定だよなあ。ワクワクした。で、以降ひたすら、ぶっとく、混沌としたサウンドが送り出される。ちょっと形容に困る音楽の磁場のようなものを確実に作りだしてて、体ゆすってて気持ちいいこと。彼らは、今もっともドロドロさとシャープな切れ味を併せ持つバンドではないのか。そして、興味深かったのは、前よりも彼らの肉体性とか個体とかがストレートに享受できたような気がしたこと。会場の大きさや場内の照明光度の問題もあったりするのかもしれないが、前はなんか得体が知れない人達がやってるような感じ、ブラック・ボックスごしに触れているような感じがしたんだけど、今回は生身のオーディオ・アクティヴを俺はばんばん受けている、そんな感慨が沸いてきたものなあ。歌ゴコロが目一杯膨らんでいたから、ぼくはそう理解した。とかなんとか、今年のベスト5に間違いなく入る公演だったと思う。それにしても、前座も含めて3時間半立ちっぱなし、飲みっぱなし。混んでいる会場を何度もトイレに行き来しなきゃいけなくて、もう大変。でもって、さすがに終わったあとは足腰ガクガク。なのに、最後まで何の疑問も感じず見てられたのだから、いかに質の高い実演だったかが判る。終わって料理屋に入って一息つき、腰をさする。あーあ。ボケも来ているし、ポリポリ。


6日(木)

ロジャー・トラウトマンの死に思ったこと。

 お久しぶりでえ〜す。連休の間、ぜんぜんライヴ行ってなかったんで(そんなになかったしね)、ずうっとお休みさせていただきました。でも、伝言板に<ゴールデン・ウィークぐらいは佐藤英輔に代わってライヴを見るぞ>てなのが載っていたりして、全然辻褄は合ってないけど、それで問題なかったぢゃんという気分になる私なのだった。ずっと惚けてました。ハハハ。

 ところで、オハイオの知的ファンカー、ロジャー・トラウトマンの死にはちょっと驚いた(ぼく、間抜けなんで4日に知りました)。彼はラッパーじゃないし、成熟した大人。そして、何より地元デイトンの複合企業(不動産会社とかタクシー会社とか、いろいろ)を持っていて、そっちのほうでもばっちりエスタブリッシュされていた人。音楽の表舞台から離れることはあっても、殺されるなんてことは想像もつかなかった。そんな彼、カーティス・メイフィールド復帰作の部分プロデュースなんてこともやってたけど、現時点でちゃんとしたブツは91年作『ブリッジング・ザ・ギャップ』以降出していない(だが、ずっと前に新譜はあがっている。近く、追悼盤として出るのではないか)。クリクリっとした目がチャーミングな、才人。彼は同作を出したとき、プロモーションのために(だったよな?)来日、そのとき取材したときのことを思い出す。なんか凄く話が弾み、ぼくのことを気に入ってくれて、向こうから一緒に写真を撮ろうとか言いだしたり、とにかくものすごくいい印象が残っているんだよなあ。そのとき、『ブリッジング〜』はワーナー側の求めに従い、完成品の半数以上を作り直させられた、なんてことも彼は言ってたっけ。あの彼でさえ、そうなのか。「でも、いいんだ。それでも僕は満足のいくものに仕上げたから」、ロジャーは優しくそう言った。実は、4月28日の項の主役であるダイアン・リーブスの新作タイトルは、繰り返しになるが『ブリッジ』という。そのタイトルを見て、ぼくがすぐに思い出したのがロジャーの『ブリッジング〜』だった。ロジャーはそのタイトルに、古いものと新しいもの、黒人音楽と一般的ポップ、といったような離れたものを橋渡しする、という意味を込めていた。そして、ダイアンも同様の意味をアルバム・タイトルに込めている(本人から確認を取りました)。そんなこともあり、ダイアンのライヴに出掛ける前にぼくは『ブリッジング〜』を8年ぶりに聞いたりしていたのだ(!!)。時差を考えるとちょうど亡くなった頃? 情報収拾のためブラック・ミュージック・レヴューに電話すると、同誌の近々でる号でも偶然ロジャーに頁をさいているという。なんでもロジャーはかつて一緒にザップをやっていた兄のラリーに撃たれたらしい。兄も自殺したとか。親族の手によりというのは、マーヴィン・ゲイと同じ。マーヴィンが亡くなったのは、ぼくがちょうど業界に入ったばかりのときで、その頃ぼくはマーヴィンをほとんど聞いていなかった。なんか、いろいろと頭のなかで回る。ああ。

 また、2日には東京スカパラダイス・オーケストラの青木達之さんも。渋谷でよく行くバーで偶然お会いしたことがあったが、とっても礼儀正しい方だった。粋の人ともお見受けしたが....。物事の正解はひとつじゃない。そんなぼくでも信じる真理は、生まれたものは必ず死ぬ。だけどなあ。オレは、無為に生きつづける。なに、嬉しいことあるか判んねえし。