1999年12月
| 22日(水) |
| ナンバーガール |
| 渋谷・クアトロでナンバーガール、単独公演。彼らのメジャー第2弾のライヴ盤『シブヤROCKTRANSFORMED状態』と同じ会場での(約80日後となる)ギグ、なるほど構成等はそのときと変えている。ともあれ、暫くの間トレードマークだった(?)向井秀徳の不思議な“語り”もナシにして、彼らはひたすら音をブツけてくる。もしかして、ライヴ盤よりかいい? なかなか良かったっス。アンコールではザ・フーの「ソー・サッド・アバウト・アス」を披露。ところでパフォーマンスが始まる前と後の会場で流れる音楽、冒頭のテレヴィジョンは納得として、最後はJ・ガイルズ・バンド。それ、彼らが選んでいるとのこと。そっけない書き方だけど、この晩のライヴのことはUVで書きます。 |
| 19日(日) |
| カルロス・ヌニョス |
| スペインのケルト文化圏で育った、スペイン型バグ・パイプやリコーダーを飄々と操るカルロス・ニュニョスのライヴを原宿・ラフォーレミュージアムで見る。表参道を歩いて会場に行ったのだが、休日とあってすげえ込み具合。なるほど、今年は両側の木々につけられた電装は取りやめなのね(その分、渋谷界隈がなされているけど)。でもやはり、十分に東京においては気持ちのいい通りではあると思う。このところオトナ系のお店の出展が続いているらしいが、やっぱガキの街にしとくにゃもったいないかもね。 過去のチーフタンズの来日公演でゲスト出演していた彼、今回は自己グループを率いててのもの。ときにフラメンコっぽい弾き方も見せるギター奏者、ヴァイオリン奏者、ドラムス/打楽器奏者、フィドル、歌と踊りの女性などと自在の噛み合い(そして、ときに新作で係わっていたドーナル・ラニーが加わったりも)を見せながら、強い芯があればこその広い視野と清廉な人間性が編み込まれた演奏を披露していく。ぼくにはダイナミズム希薄に感じられるというか、よく分かんねえや的部分もあったが、ニコニコ見てられたのは事実。つきつめれば、なんのために音楽をするのかという部分に触れられるからだと思うが。 売店で売っていたギネスはすぐに売り切れ。休憩のときに、フラメンコ関連の専門誌「パセオ・フラメンコ」編集長の本間さんと立ち話をするが、フラメンコのほうのファンはほとんど来ていないんじゃないかなあ、とのこと。それと、ヌニョスが一応英語を喋っていたことに関して、さすが北の人間だなあと言う。スペインはいろんな文化や言語があることで知られるが、やはり地域差が相当にあるらしい。確かに、セヴィーリャ行ったときはマドリードとの違いに結構クラクラしちゃったもんなあ。そういえば、イビサ島もスペインだよなあとか思い、年末の同島は盛り上がるんたろうなあと思いはと飛ぶ。ああ、一時はフィジーで新世紀を迎えようと思っていたのになあ。うえん。平常心、東京で地味に年越しです。 |
| 18日(土) |
| アート・リンゼー |
| ぼくのアイドルの一人であるアート・リンゼーを渋谷クアトロにて。現在の重要パートナーであるキーボード奏者のアンドレス・レヴィンへは急遽欠席(変わりに、日本人奏者がついた)。また、当初予定されていたデファンクトで叩いていたドラマーも別な人に変更、でも僚友メルヴィン・ギブスが脇を固めていたし、基本的にそんなに影響はなかったのでは。 と言いつつ、それほど今回のライヴにぼくは舞い上がれなかったんだよなあ。凄く寛いでやっていたと思う。でも、なんか緊張感が足りない。なんかしゃきっとしない。一つ考えられるのは、この日入替による2回のステージ回しであったこと。ぼくは2回目を見ているのだが、やっぱ少し前に同じメンツで同傾向の演奏をやっていると、新鮮味が薄れダレるところはあったのではないか。とくに、アウトラインを定めつつ、けっこうハプニングや反応を散りばめようとする、彼のような行き方の場合は。それに痩身の彼を見ていると、そんなに体力ありそうに思えないからなあ。歌も柔らかいようで、細やかさが欠けている部分はあった。ソロ・パフォーマンスやアンヴィシャス・ラヴァーズ時代を含め10回ぐらいは彼のステージに接しているが、今までで一番冷静に見れたライヴ(お酒は控え目に、2杯だけ飲みました)。実は、去年の秋にニッティング・ファクトリーで見た彼のステージはけっこうギスギス感があってそれはそれでウームと思い、今回のフランクさを最初は好ましく思って見ていたのだが。 ま、ライヴ(の感想)なんて水ものですからね。見るほうのキブンによっても大きく左右されるだろうし、同じアーティストでも日により大きく出来が変わる場合もあるし(最近ではカタトニアのそれは東京1日目と2日目が大きく出来が違っていたらしい)。とにかく、謙虚モードに入っているぼくにとって、今回のライヴは手放しでは拍手できなかったということ。でも、これからも、彼を見れる機会があれば、全部ぼくは見に行くだろうが。やっぱり、俺はファンじゃ。そのアート、なんだかんだで年明け早々まで日本に滞在するらしい。かつてブルーとかで偶然会ったりしたことあったけど、結構彼は出没します。 |
| 16日(木) |
| ソウル・フラワー・ユニオン |
| コリの具合、変わらず。人によっては風邪なんじゃないと言われもするが。タルっ。あ〜あ、調子すぐれねえ。ムチウチってこんな感じなのかと思ったりも(もちろん、違うはず)。これでハゲになるとか、性的不能になるとかあれば素直に老いを認めるところなのだろうけど....。ともあれ、今ぼくに初めて会う人はけっこうおとなしい人なのだナ、と思うのではないか。なんか、謙虚というか消極的になっている部分もあるんだろーなーと自分で思ふ。そんなわけだから公演中ずっと立っている自信なく、渋谷・オンエア・イーストに30分遅れで行く。おお、相当な込み具合。素直に入口の近くで見る。これが普通だったら、無理してでも奥の飲み物売り場に行くところだが。 いじけ気味で見るソウル・フラワーのライヴはやはり相当良かった。けっこう鼓舞され、身体ぐいぐい動かしちゃいましたね。インディに移籍して少し前に出したライヴ盤は彼らのベスト作と言えるものになっていたが、いい聴き手もついているし、相当に彼らはいい状態にあると思う。けっこう、フロントに立つ中川敬がはしゃいでいるような感じに思えたのもその裏返しだろう。 それにしても、中川の声は本当にすごい。日本人としては、最大級の声帯を持っているのではないのか。そして、目一杯ロックを求めてきたゆえの日本人的なもの、東洋的な襞を持とうとする行き方のまっとうさに頭が下がる。それらは一緒になって、相当な個性〜臭みとなる。ぼくはそれを一部ヘヴィに感じるところもあるが、それは好みの相違に過ぎないだろう。ぜったいに、彼らの行き方は正しいとぼくは思う。そんな彼らに望むのはリズムの面白さ〜グルーヴの追求という点。これはもっと、いかようにも持っていきようがあるはず。ただ、この日のライヴはそういう点にも新たに留意した行き方も見せていた、と思える部分があったことも付記しておきたい。 部分的には毎度の如く(?) 、アイリッシュ・ミュージック界の名ブズーキ奏者/名プロデューサー、ドーナル・ラーニーが加わったりも。それにしても、不思議なおっさんだよなあ。彼は今日もアイルランド人らしく気持ちよく出来上がっていたようだ。ちょっと羨ましい。でも、飲まないということはお金を使わないことなのだナと痛感。おれ、飲み代込みのエンゲル係数かなり高いからな。ライヴに出るとき、その後の飲みのことも考えて1万5千円ぐらいはサイフに入れてないと不安だもの、カード使うにしても。まっすぐ、地味に帰宅。このまま調子悪いのが続けば、1900年代最後の月は飲むようになってから、もっとも酒量の少ない月となることだろう。 |
| 15日(水) |
| パット・メセニー |
| えーん、火曜日の朝から、首から肩にかけてがパンパン。こりまくり。こんなの初めて。飲み過ぎかなあ。後頭部重い。勤労意欲、ゼロ。で、こりゃいかんともしがたいと、友人に聞いて接骨院に行ったんだけど、御利益なし。実はプロの人に医療マッサージしてもらうのって初体験(バリとかでリラクゼーション・マッサージみたいのは受けたことがあるけど)、タハハ。 ちょっと顔を出そうと思った忘年会をパス。遅い回の青山・ブルーノート東京にパット・メセニーを見に行く。これもヤメにしたかったけど取材することになっているのでしょうがない。飲んじゃあイカン、飲んじゃあイカンと自分に言い聞かせペリエを注文する。今回は10才以上若い俊英リズム・セクションを率いてのトリオによるもの。翌年2月にリリースされる新作と同じライン・アップによるものである。 比較的ストレート・アヘッドなジャズ・ギター・トリオ表現に、なんとか新世代としての輝き〜物語性を埋め込もうとした演奏といっていいか。彼は尊敬する先達ジム・ホールとのデュオ盤を今年リリースしたが、どこかそれを受けていると感じられる部分も。彼との共演で確認できたジャズ・ギターの本懐を、おーし自分なりに先につなぐ形で提示するゾみたいな。しかし、メセニーってギターの虫だね。本当にギターを弾くのが好きでしょうがないというのは実演を見るとイヤになるぐらい伝わってくる。本編だけでたっぷり1時間半の演奏時間でした。 このあと、パスした忘年会の3次回にやっぱ顔を出す。ウーロン茶を飲みましたが。 |
| 13日(月) |
| ローター&メビウス、ソウル・ウィリアムス |
| ノイのミヒャエル・ローターとクラスターにいたデューター・メビウスによる、ジャーマン・エレクトロニク・デュオ。渋谷・オンエア・ウェストにて。オレ、プログレは中学生時代にそれなりに聞いただけで、その後は見切りを付けた人なので(カンタベリー派なんてはジャズを聞き出してから逆に少しチェックするようになった)、基本的にはプログレなんてどうでもいいやという人間ではある。でも、そんなぼくでさえ、ノイやクラスターはレコードを買ったことがあるし、この前のダモ鈴木も得るところはあったしとかいう感じで足を向けてしまった。 キーボードやオペレーション機器に向かう二人が淡々と音を重ねる。アブストラクトなやつはそれなりに興味深かった。なんか、マウス・オン・マースと繋がる部分、見えるような気がしたから。でも、明確なメロディがあるやつは所謂ニュー・エイジ・ミュージックみたいな感じでなんだかなあだったけど。なお、会場は5X14の椅子が出ていて、観客は贔屓目に見ても百人ぐらいだったろうか。 終わったあと、石川真一さんと行川和彦さんと飲み屋に行ったあと、先に抜けさせてもらって、オンエア・イーストの隣のビルにあるクラブ・ハーレムへ。11月19日の項で触れた映画「スラム」に主演しているソウル・ウィリアムスがポエトリー・リーディングをやるというので。ハーレムというハコは初めて行ったが天井が高いのでビックリ。こりゃ、それほどケムくなくていいや。 出てきたソウル・ウィリアムズは髭を伸ばし、髪形が変わっていて、全然映画とルックスが全然違う。だが、パフォームしだすと、なるほど甲高い声の聞き馴染みのあるもので、本人なのだナと確認できる。でも、5分弱しかやんないのよね。そりゃ、ねーぜ。でも、彼のあとにはオープン・マイクとなり、飛び入りで出てきた連中のやつはそれなりに、ださいのも含めて面白かった。リーディングやってる人いっぱいいるのね。影響されやすいぼくはおいらもそのうち一丁試しにやってみっかとか少し思った。たぶん、思うだけに終わると思うが。とにかく、マイク一発でコトが簡潔するのはいいやね。歳を取ると、面倒なことはおっくうになってきてのお。 |
| 12日(日) |
| ケリー・ジョー・フェルペス |
| ハコは青山・カイ。まあ、三分の二は椅子が置いてあるとはいえ、かなりの込み具合。何人かの人と会場で言葉を交わしたが、必ず出てくのが、こんなに彼って人気があるんだァいうこと(笑い)。や、失礼。 スライド奏法を駆使する、弾き語りの人。ステージ中央に座り、多くは両腿の上に置いたギターを弾きながら、淡々と曲をこなしていく。ふーん。ぼくの感想はそれだけだったなあ。確かに達者ではあるのだろう、だが、それ以上ぼくに語りかけてくるものは残念ながらなかった。歌がレコード以上に平べったいのが興をそいだし、かつてジャズをやっていたという経歴から期待させる鮮やかな即興性があまりなかったのも、ぼくはひどく残念に感じた。これなら、10日の項で触れたエリック・ビブのほうをぼくは推す。 全体的な印象はレンジの狭い、味の薄いルーツ系シンガー・ソングライターてな感じの実演。CDにおいては、クリアーに録られた奥から、妙な違和感というか、彼がいま渋味路線を追求する意味がなんとなくもあ〜と広がっていたのだが、それがゼロだったのは悲しかった。終演後、良かったという声が圧倒的だったから、ぼくの感想のほうが少数派ではあるのだろうが。ハイ、ぼくは彼の持つ魅力が判りませんでした。 それにしても、カイは少しでも混むと、本当にステージが見づらい会場である。ハコ自体はそんなに悪くないと思うけど、もともとゆったり座って見るように出来ているためにステージ高がなく、会場が細長いこともあって後ろのほうだと本当にペケなんだよなあ。フェルペスのように座って演奏する人だと余計に駄目。彼の動きをちゃんと見れる位置で見てたら感想も変わったのかなあ(しかし、この日ぐらい混んでいると、頻繁に飲み物を買ったりトイレに行くことを考えると後ろのほうにいるしかないのだよ)。そのカイの壁には出演ミューシシャンのサイン/落書きがあちこちに書き込まれているのだが、ふと見ると、" Billy Bang From New York '87" と書いてあってビックリ。バングはフリー・ジャズ系のヴァイオリニストだが、彼もここに出たことあったのかあ....と感慨に浸ってしまいましたとさ。 なお、前2回の項で公演場所をちゃんと記していないが、10日が新宿のパークタワー、11日が渋谷クアトロです。 |
| 11日(土) |
| スローン |
| 新聞でリック・ダンコ(ザ・バンド)の死を知る。本当に、ほんとうに、今年は死んじゃう人が多い。しかも、その多くは取材したことのある人達(だけでなく、もったいないぐらいの態度を示してくれた人が多かった。自慢になるから書かないけど)。しゃあねえ、生を受けた者は必ず死ぬ。真理じゃ。だから、俺は楽しく行く。 さあ、楽しく行こうということで、スローン。楽しかった。前回はなんでこんなにいい曲やるのに、汚れたギターの音を採用するのかなとか疑問も感じたのだが、今回はこれでいいんぢゃんと思う。おれ、攻撃的になってんのかな。会場は期待外れだったモグワイと同じぐらいの込み具合。でも、この日はそれほど煙が充満していない。やっぱ、バンドによって喫煙率の違いとか、あるのだろうか。メンバーはけっこうマトモなインネーションの日本語の単語を連発。あまえら、いい奴らだな。マーク・サンドマン(モーフィン)にならないように気を付けてネ。新たに開栓したのを見て、赤ワインを頼む。カウンターのお嬢さんが、普段よりなみなみとついでくれる。ありがとう、キミはいい娘だ。 |
| 10日(金) |
| パーク・タワー・ブルース・フェスティヴァル |
| 東京ガスがスポンサードし、東京ガスが所有する立派かつお洒落なビルのなかで行われるブルーズ・フェスティヴァルも今回で6回目とか。たぶん、ぼくは今回見るのが3回目なはずだから、二分の一の出席率ということになる。そっか〜。さすがに大昔ニュー・ミュージック・マガジンが主催してた野音でのブルーズ・フェスティヴァルには行ったことがないが(でも、74年増刊の「ブルースのすべて」は背伸びし、なけなしの小遣いで買ったっけ。重宝しました)、20年前にブルース・インターアクションズが毎年呼んでいたブルーズ・マンのコンサート(六本木ピットインでやることが多かった)は彼女にお金を借りてでもきっちり行っていただけに、オレなんかブルーズに冷たくなっちゃってんだなあ、ちゃらちゃらしちゃってらあとか、いろいろと感ずることしきり。 初っぱなは、なんとサム・クックがかつて在籍したことでも知られるゴスペル・グループのソウル・スターラーズ。名前だけが受け継がれているのだろうが、二人のリード・シンガーとオルガン、ギター、ドラムスという編成によるライヴは文句なし。やっぱゴスペルはいいわあと、ガキの如く初々しく頷くのみ。とにかく、歌が生理的に重い。やっぱ、シャウトはゴスペルにあり。また、バックの演奏を聞いていて、オルガン・ジャズ表現はこうしたゴスペル演奏のヴォーカル抜きの形から発しているんだナと思わずにはいられなかった。 2番目はエリック・ビブ。生ギターの弾き語りを聞かせる黒人アーティスト。彼を見て見てすぐに思い出したのが、つかつて新生オーケィから送り出されていたケブ・モ。彼と同様に実に清潔感あふれる(きれいきれいで、のっぺらぼうな)ブルーズを聞かせるということで。だが、モ以上に広がりありで途中からはブルージィなフォーキィ表現と言えるような持ち味が大々的にアピールされ、これなら存在意義があるわいと納得。そんな音楽性、彼が若い白人だったら絶対にそれなりの脚光を浴びているはずとぼくは確信した。がっばってくれい。前日、ダン・ペンを見に行った人が、うわあ彼と違い英語が綺麗で判りやすいと言っておった(笑)。なお、多くの曲では外見がスティーヴィ・レイ・ボーンに似ている白人ギタリストが横に付いてました。 3番目はボビー・ラッシュ(ヴォーカル/ハープ)。黒人芸能の伝統が受け継がれた、こてこてブルーズの実演といっていいか。彼のステージにはスクイーズしまくるギターのおっさんをはじめとする良好バンドともに、女性ダンサーが二人付くのだが、これがまさしくビッチを地で行くもので、もう下品。レオタード姿(それも何回も着替える)で、客席にお尻をつきだして目一杯グラインドさせるとか。バリバリ、野卑。楽しませてナンボ、でもその奥にはブルーズの強い生命感が溢れているものでニッコリ。まさしく、ブルーズ・フェス向けの人でありました。 そして、最後は“ギター・バトル”という名目のものだったが、バーナード・アリソンとロイ・ゲインズ、新旧の腕利きギタリスト(当然、歌も歌うよ)が同じバンドを使ってそれぞれ熱演を聞かせ、最後の1曲で共演するという構成のもの(他の日は別々にプログラムが組まれている)。バーナード・アリソンは故ルーサー・アリソン(70 年代にモータウン/ゴーディからのファンキーな感覚を持つアルバムを出して注目されたりした人)の息子さんだが、若さも嬉しいまっとうなブルーズ・マン。なにゆえに彼はR&B他のほうに流れず、しっかりブルーズの世界に足を踏み込んだか。ほんの少し考えるが、やっぱブルーズはエキサイティングなのにクールなんだもんという他愛のない答えを導き出し、ブルーズのフォーマットをしっかりと踏襲しつつ清々しい風を送らんとする主役にエールを送る。やっぱブルーズはハードボイルドでダンディでありまする。一方、奔放なギター・スタイルで知られる名手ゲインズは貫祿あったよなあ。もう密度が濃いというか、流麗なのに刺も一杯あるというか、やっぱアリソンよりも数段上じゃのうという演奏を披露。素晴らしい。 終わったときは11時を回っていた。それぞれ質のある熱演だし、実にお得な公演ではなかったか。ぼくはブルーズというスタイルを満喫した。やっぱ、和食に昆布や鰹節が不可欠なように、イタリアンにオーリブ油や大蒜が必要なように、ブルーズも豊かな音楽生活には欠かせないものなのだ、と。来年は少し、新譜も追うことにしよう。へへへ。とともに、このブルーズ・フェスがこれからも続くといいなあとも思いつつ、年齢層の高い客層に少し胸が痛んだ。ブルーズはじじい向けだけのものではない。小僧どもよ、背伸びしてブルーズを見よ。やっぱ、得難い不可解さや突き抜け感があると思うが。いろいろ行きたいものはあるだろう。でも、やっぱ生のブルーズ体験はして損はないものだと思いますぢゃ。 |
| 6日(月) |
| スライ&ロビー、他 |
| 六本木・ヴェルファーレにて“ダブ・ア・ソウル'99
”と題されたコンコートを見たんだけど、トリの出演者だったスライ&ロビーにゃビックリ。いやあやっぱコンサートは(も?)見なきゃ判らない。今年一番の掘り出しモノといえるかも、でした。 彼らの前には、スライ&ロビーやリトル・テンポらのプロデュースで作品を発表している井出麻理子とソウル~ソウルにいたシャルロットが登場、その二組はカラオケを用いてのもの。それぞれ約20分ぐらい。前者のほうはちゃんとファンもついていて和やかにステージを進めていたが、シャルロットのほうは浮いてて、やるほうにとっても見るほうにとっても実に可哀相なステージだった。 で、スライ&ロビー。流れとして、誰かシンガーでもフィーチャーしたものになるのかと思ったら、なんと全インスト、ダブで突っ走りますというものだった。うわあ。僚友ロビー・リン(キーボード)と日本で雇ったらしい日本人ギタリスト(邪魔にならず、問題なし)とともに、強靱な揺れと重力をぐいぐいと送り出す。ホンモノ、だあ。そう、どんなレゲエ・クレイズも唸ったに違いないない、怒濤のステージ。発汗。感激。ま、彼らのあまりにもデカい実績からすればそれは当然のことと言えなくはないが、こんなお膳立てによる来日ステージはこれまでなかったし、結構彼らが絡んだイヴェントはしょぼいものだったりして、まさしく望外のものだったなあ。かつてのレヴォルーショナルズのときは....とか妄想がもくもくと沸いてきたゼ。レゲエの底力、しかと受け取った。そっちのほうに興味があってご覧になれなかった方、目茶苦茶ご損をなさいましたね。 |
| 3日(金) |
| ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス |
| ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスはモントリールのダンス・カンパニーだという。と、最初から投げやりな(?)書き方しているのは、彼らのことはもちろん、アートなほうのダンスについてもぼくは何も知らないから。チラシの文句にしたがえば、<世界のバレエ・ダンス・シーンをリードする、革命的カンパニー>だという。振付家/芸術監督を務めるエドゥアール・ロックという45歳の男性が80年から率いている集団だそうだ。 出し物は、再演(その初演成就には埼玉県がけっこう援助したよう)となる「ソルト」という約90分の作品。個人の力量と凝った構成がないまぜになった、現代にある人間関係を記号化したものを解凍したようなダンス(デュオもあれば集団モノもあり)に、現代音楽ぽい生演奏(ピアノ、チェロ、電気ギターによる)とDAT使用のインダストリアルぽいやつが触媒として付けられる。その比率は6,5 とた3,5 といった感じか。また、部分的には人間の目のアップや人間の顔といった映像も使われる。....。興味深くはあったし、見て損は全然なかったが、だからどうしたのという部分も。古い<芸術>を越えようとする集団なのだろうけど、僕のような人間にはぶっちゃけ度がやっぱ低いと感じたのが、そう思わせる一因であるような気も。ボアダムズの音なんか使ったら、もっとカッコ良くなりそうだナなんてもチラリと思ったりした。 これは、見終わってから知ったのだが(というか、あまり先入観つけたくないので、情報を入れないようにしている部分もあるのだが。いいじゃん、別に原稿を書くため見るわけでもないし)、彼らはなんとフランク・ザッパの「イエロー・シャーク」で踊りを付けたことがある集団で、他にもデイヴィッド・ボウイ、ソニック・ユース、ナム・ジュン・パイク、キャロル・ロールなんかともコラヴォレーションしているのだという。へーえ。そう言えば、生演奏じゃない部分の音楽はデイツヴィッド・ラング(イーノの『ミュージック・フォー・エアポーツ』なんかにも係わっている人。需要な音効果である、雑踏のサウンドは彼によるものではないだろうか)やマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズ(プライマル・スクリームの大胆新作にも係わっていますね)の曲を使っていたようだ。ただの娯楽で行ったのが、結構自分が係わるほうの仕事にも繋がりがあったりして、あらら。渋谷・オーチャードホールにての公演。 |