その3@オーディオのジレンマ



 優秀な録音、つまり高域から低域までスムーズにのびて、微少な音もノイズに隠されず、大きな音も歪まずきれいに入っているような録音のCDを、いい再生装置で聴けば、このうえない快感だ。気づかなかった音楽の良さを再発見することもままある。

 だが現実問題として、世の中、そうそういい録音のCDばかりではないのだ。

 たとえばラジカセで再生することを前提として作られた音楽も多い。セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』は、ラジカセで聴こうが高級オーディオで聴こうが(もちろん迫力とか音の緻密さはちがうにしても)、あまり変わりないだろう。というか「音楽自体の印象が変わってしまう」ほどの変化はない。むしろラジカセで聴くほうが生々しく聴こえるかもしれない。それは、彼らのレコードが、ラジオで聴かれることを想定して録音されているからだ。つまり、音楽に必要な周波数帯域(高域から低域までの音の高低を示すスペック)のうち、ラジオで再生可能な帯域に絞り、高いところと低いところをカットして、狭いレンジで聴かせているのである。ジャズやクラシックでこういう録音の仕方をする例はあまりない。どちらかといえばラジオのエア・プレイを狙った、つまりシングル盤主体の音楽に多い。50〜60年代のロックンロールは、おおむねそういう録音が多いと言えるだろう。もちろん録音機材の進歩の関係もある。むかしの録音はだいたいレンジが狭い。そういうレコードを、最近の超ワイド・レンジな録音のCDを再生することを前提としたような装置で聴くと、実にみすぼらしく聴こえたりすることも多い。

 最近の音楽でも、いわゆるJ−POPものなんかは、ラジカセで再生したときに派手で目立つ音にするために、高域と低域を極端に強調した、いわゆるドンシャリな音作りをしている例が多い。そういう音楽を高性能なオーディオで再生すると、実に不自然な鳴り方をする。

 巷のオーディオ雑誌やオーディオ評論家が、装置のチェックにジャズやクラシックを使う例が圧倒的に多いのは、彼らがおおむねロックのロの字もわからないジジイばかりだから、という理由のほかに、いま述べたような事情で、一部のロックやJ−POPはオーディオ趣味の対象になりにくい、ということも多少はあるのだ。

 再生装置のグレードがあがればあがるほど、ソース、つまりCDのアラをほじくりだしてしまう。そういう傾向が一面であることは否定できない。だから録音の悪いCDを楽しく聴くなら、ラジカセの方がいい。そういう考え方も、一理あるのだ。実際のところ、ぼくの再生装置もそういう問題を抱えている。最新録音のものは目の覚めるようなシャープでエネルギッシュな音で鳴るが、古い録音や劣悪な録音は、それなりの音でしか鳴らない。

 だがぼくは、録音の悪いCDを聴くことを前提として、いい録音のもの、そこそこの録音のCDでもみすぼらしい再生装置でよしとするより、そこそこの録音、いい録音のCDをより良く聴きたいと思う。CDにこめられた情報をマスキングして曖昧にしてしまうよりも、すべて余さず聴きたいと思う。

 そして、本当のことを言えば、録音の悪いCDを、高性能なオーディオで、いい音で楽しく聴くことは、決して不可能ではない。金に糸目を付けなければ、もちろんそれは可能だし、金をかけなくても、補うことはできるはずだ。それが趣味としてのオーディオの面白さなのである。