2001年11月


25日(日)

フレデリック・ガリアーノ、ジュリアン・ルロ、
マジック・マリック

 フランス発のいろんな音楽を紹介しようとする、毎年恒例のイヴェント“フェスティヴァル・ハル”の一環で、フランスの今のジャズを紹介しようとする出し物。渋谷・クアトロ。
 
 まず、ジャズとアフリカの取り込みに独特の優れた才覚を持つフレデリック・ガリアーノが登場。かつて、生楽器奏者を率いた来日ライヴをやったこともある彼だが、今回は生音はなし。彼のDJ音とともに、全面的にアジャ・クヤテというアフリカ出身だろう女性シンガーをフィーチャーする。彼のレーベル“FRIKYIWA" のブツで聞けるような、巧みなオペレーション音に生の魅力全開の肉声……。ワールド・ミュージック・ブームの全盛時、マルタン・メソニエのやっていたことをもっとモダンにクラブ寄りに、変な構えもなくやると今の彼になる? 実演は約40分。ガリアーノはそのままステージに残り、30分一人でDJを続ける。一転して、4つ打ち曲ばかり流していた。しかし、挨拶の仕方とか、パっと見るぶんには誠実そうな人だなー。

 続くは、ガリアーノのかつてのライヴのメンバーに入っていたという、サックス奏者ジュリアン・ルローのグループ。サイド・マンはフルート奏者、エレピ奏者、電気ベース、ドラムス、そして時にプログラム音供給者が加わる。まっとうなジャズ感性/技量を持つ人の、クラブ的機知も吸ったジャズ。フュージョンぽい局面もなくはないが、絶対にフュージョンにならない、適切な何かを持つ。ドラムスはけっこう人力ドラムンベースみたいな叩き方をするときもある。やはり同じ帯で来日したエリック・トラファズ(10月26日)と比較にならないほど、ぼくは実のあることをやっていると感じる。

 そして最後に、アメリカ出身のフルート奏者が率いるグループ。マジック・マリック・オーケストラという名義になっているが、編成はサックス、キーボード、アコースティック・ベース(女性奏者)、ドラムスという布陣。マリックさんはフルートだけでなく、ファルセットを多用する歌も聞かせる。はやり、自分の個性をにじませたオイラの今のジャズを聞かせたいという気持ちは存分に。ぼくはルロー表現のほうが好みではあるけど、両者ともにエライ。うむ今のフランスのジャズ、けっこうやるじゃんと認識させられました。


23日(金)

ファータイル・グラウンド

 DCの隣都市バルティモアの、凛としたジャジー・ソウル・グループ。女性シンガーを前に置く、ベースレス(リーダーのキーボード奏者が巧みに弾く。巧かった)の2管付き6人組だが、アルバム同様上々のパフォーマンス。とにかく、音楽的に豊かで、強い精神性みたいなものもすごく持っているのが嬉しい。甘さがないのも特筆すべきところで、そこが大衆人気を獲得するにはネックになるかもしれないが、このまま突き進んでいってほしいナ。楽曲も作るリーダーはまだ25才とかで驚く。あと10才は年上のような成熟したディレクションを出しているもんなー。なんにせよ、サトー、かなり推しのグループであることを再確認。南青山・ブルーノート、けっこう盛り上がってました。


22日(木)

ミッシェル・ブランチ

 マーヴェリックが送り出す新進自作派シンガー、原宿・クェストホールでのショーケース・ライヴ。ギター2本とリズム・セクションを従え、初々しい彼女は生ギターを弾きながら歌う。マーヴェリックは同じ所属のアラニス・モリセットのような存在にしようとしているように思えるが、アーティストの器の大きさは比べるまでもない(ちょっとダサ目の大味な産業ロック的サウンドをあてがうという指針は共通してるけど)というのが、実演を見た感想。それなりの曲を作り、ちゃんとまっすぐに歌える、売れてもいい人と認めたうえで。来年3月にちゃんと来日公演を行うという。しかし、とっても黒い髪を持つ彼女、何系の人なのだろうか。


21日(水)

カイチャート

 二晩つづけて、アコースティック・ベーシストが主役のライヴ……。ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブのベーシストが主役のライヴ。渋谷・クアトロ。最初、当人が一人出てきて、ベース・ソロ。おお、前夜と違い、フレイズが派手、音も大きいゾ(笑)。

 で、メンバーがぞろぞろ。パーカッション奏者、管楽器奏者、オルガン、ギター、DJ(フランス人らしい)、計11人ぐらいいたっけか。歌なしのインスト表現(DJが女性の歌声をインイサートする部分はあったが)。ギター奏者とオルガン奏者はちょっと変態入っててにっこり。うまくその演奏の模様を説明できないが、私の考えるラテン・ジャズ、と言える演奏か。ウォーのラテン調ヒット曲「バエロ」を延々とやっているような局面も。ガハハ感覚で力で押しまくるような曲だと無条件にのれた。


20日(火)

チャーリー・ヘイデン&ケニー・バロン

 なかなか、地味な実演ではあったなー。ジャズ界を代表する骨太ベース奏者チャーリー・ヘイデンと、面白いことやるときは結構面白い堅実ピアニストのバロンのデュオによるパフォーマンス。南青山・東京ブルーノート。

 淡々、粛々と。音が小さいことも、そういう印象を強めたか。隣にいた4人の外国人客のうち二人はうとうと寝ていたが、もしかするとぼくが見たブルーノートでのショウのなかで、一番観客睡眠者率は高かったかもしれない。ヘイデンはベースのボディをゆさゆさという感じで左右に振りながら弦を爪弾く。今回それが、一番印象に残ったかな(苦笑)。それから、老人然とした奏法を見せるきちっとスーツ着用のケニー・バロンはダイアモンドのピアスをしていて違和感あり。あとで調べたら、バロンはまだ60才前で、いまだ書生っぽさをかろうじて持つヘイデンより年下なんだな。

 ところで、オーネット・コールマンの飛躍表現を長年に渡って支えたベーシストでもあるヘイデンには、やはり甘酸っぱい気持ちを持ってしまう。とくに、今のような時期であると。だって、なんてったって彼はリベレーション・ミュージック・オーケストラ(以下、LMO)の主なのであるから。

 時はニクソン政権にあった69年。合衆国は長引くヴェトナム戦争と溝の広がる人種差別問題で揺れていた。そんな時期にアメリカのあり方に多少のNOの意思を表出できればと、カーラ・ブレイやドン・チェリーら周辺のフリー系ジャズ・ミュージシャンを総動員して作ったヘイデンのデビュー・アルバムが『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』(インパルス)だった。

 その引き金は、ヘイデンが1930年代のスペイン市民戦争に由来する歌を聞いて興味を持ったこと。そして、彼は文献にあたるうちに、その奥にある自由を求める戦いの実態を知るとともに、自分もなんとかしなきゃという欲求にかられ、強いメッセージを発するアルバムを作ることを決心したのだった。

 スペイン市民戦争、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラ、流血事件となった68年民主党全国大会(当時反体制的な姿勢を取っていたブラス・ロック・グループのシカゴも同大会を題材に引用した)……。同作はそうしたものを主題においた組曲ふうのものに仕立てられ、そこにはオリジナルにまじえスペインやキューバの民衆音楽が引用されていたのだが、その総体は怒りと悲しみと慈しみに満ちた、まさしく血の通ったエスノ・ジャズというべきものになっていた。ようは能書き抜きで、実のあるジャズ表現になっていた。そこがポイントね。そう、何も音楽は政治的、社会的な題材と結びつかなければなならない道理はない。ましてや立派なお題目があったとしても、それが音楽的に面白みもないものならなんの意味もない。ぼくはごみ箱に捨てる。その点、『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』は強い動機と題材を引き金に、従来のジャズと一線を画すストロングな味わいをきっちり獲得していた! 

 そこでヘイデンは題材とリンクした映画音楽やフィールド・ワーク音を実際の演奏にコラージュするように重ねて、リアリティを出そうとしてもいる。今でいうところのサンプリング? と言うのはともかく、そうした手法は後のLMOのスタジオ録音作(アルバムはECM、DIWからリリース。ニクソン政権の中南米政策がやり玉に上がっていたころに出たECM盤はエルサルヴァドルの曲なんかも使われた)にも引き継がれている(さらには、彼のカルテット・ウェストというグループ表現にも)。ともあれ、LMOはメッセージとリンクした音楽中トップクラスの水準にあるというのは間違いなく言えるはずである。

 LMOの第一作には、ヘイデンの次のような文章が添えられている。ちと訳が硬くなりますが。

「このアルバムの音楽はより良い世界〜戦争や殺戮のない世界、人種差別のない世界、貧困や搾取のない世界〜を作るためのものである。また、同様に為政者が生命の尊さを認識し、破壊でなくそれを守る努力をする世界を求めるためのものである。我々は、人々の生活において創造的な考えこそが最良の力となる、そんな啓発と知恵に満ちた新しい社会を心待ちにする」

 そんな彼であったが、今回のステージは気のよいじいさん演奏/振る舞いに終始。彼は、今の現況をどう感じているだろうか。別に娯楽のためのステージ上で何かを表明する必然性はないが。……いろいろいな意味で、なんとな〜く複雑な気持ちになった夜。と言いつつ、ライヴが終わったあと、美味しい食事とともに美味しいお酒をかっくらうワタシなのであり、ご機嫌で深夜に帰宅し、ぐーぐー寝るワタシなのであるが。なお、この項に冠するヘイデンの説明は『チャーリー・ヘイデン・リヴェレーション・ミュージック・オーケストラ/ライヴ・アット・モントリオール5』(ヴァーヴ)の自分で書いたライナーを非常に参照引用した。手抜きですまん。でも、彼のことを改めて書き留めておきたくなった。

 あ、それから11月13日のところで訂正。カート・エリングはドイツ系ですが、アメリカ生まれです。いかんいかん。ま、それでも原稿の趣旨は変わらないけど。


13日(火)

映画「JAZZ SEEN/カメラが聴いたジャズ」

 1999年7月15日で紹介しているブルーノートを扱った映画(『BLUE NOTE /ハート・オブ・モダン・ジャズ』というタイトルだそう)を撮ったドイツ人監督の新作。あんとき、その映画をけなしまくっているが、今度のはそんなに悪くない。渋谷・シネカノン試写室。来春、シネ・アミューズにて公開とか。

 題材は、やはりジャズ関連。ウェストコースト・ジャズの最たる魅力を送り出した名レーベル、パシフィック・ジャズ(1952年〜)の写真をデザイン込みでやっていたことで知られるカメラマン、ウィリアム・クラストンの歩みを追う、ドキュメインタリーと言っていいのかな。

 柱となるのは、今もジャズ・フォトグラファーとして第一線にいる(カサンドラ・ウィルソンとジャッキー・テラソンの共演アルバムのジャケット写真撮影の場面も登場する)クラクストンの話を柱に、チコ・ハミルトン、ベン・ハーパー、デニス・ホッパー他ら多数の人のコメント(モナコに住む、ヘルムート・ニュートンとの対話もあり)、いろんな
映像や彼の印象的な写真(けっこう、黒人ミュージシャンも撮っているのだな。彼が撮ったオーネット・コールマンの若いときの写真がけっこうトリッキー顔てしいるので、驚いた。)を巧みに組み上げるというもの。昔のエピソードを役者を用いて再現するというイモな手法は『BLUE NOTE /ハート・オブ・モダン・ジャズ』と同様。

 やっぱ素材が今も生きていて、その人の功績がとてもあり、相当な粋の人であった(モデルだった奥さんはかっとんでるなー)……。なんでも図版ものに強いTASCHEN 社から2000年に出された彼の写真集の発売を期に作られたもののようだが、そんな彼を題材に選んだだけで、それなりの手応えは約束されるのではないか。4、5年ぐらいに渡って準備されたもののようで丁寧に作られており、古い映像もなかなか見せる。ただし、挿入音楽を担当しているのはドイツ人のティル・ブレナー、ほとんど無意味なライヴ映像の主であるカート・エリングもドイツ人。そこらへんに、セコいドイツ人ナショナリズムを少し感じたかも。
 
 しかし、昔の西海岸の様々な映像は本当に甘美。完全に白人的視点に立ってのトホホな感想だが、本当にあの頃のLA(と、その生活様式)って良かったのではとため息。あのころよりもっと便利になり、洗練されているはずの今って幸せなのか。これからもどんどん文明は発達するだろう、だが様々な綻びもまたどんどん大きくなっていくに違いない。
ああ、人間は、我々の社会は、我々の生活はどうなっていくのか。見たあと、ミョーにビターな気分になったりも。

 ふいにネッド・ドヒニー(LAの名家出身の、シンガー・ソングライター。ビヴァリー・ヒルズの近くを通るドヒニー・ドライヴはそのファミリー・ネームが冠されたもの)のかつての発言を、逃避モードに入りつつ思い出す。「60年代までのLAはほんとに良かった。でも、もう今は幻。あの頃を思い出すと、スウィート・ビターな気持ちになる」というようなことを、取材したとき目を細めて行ってたっけなー。そんな彼は増大した様々な負の要素から逃れるためビバリー・ヒルズを捨て、海岸端に引っ越してしまったわけだが。


9日(土)

“アビー・ロード”
ア・トリビュート・トゥ・ザ・ビートルズ

 名のあるミュージシャンがつるんで、ザ・ビートルズ曲をやっちゃいますよという、プロジェクト・バンド。これについて、数人と意見を交わしたが、総じて否定的。ま、あまりに後ろ向きであり、成り立ちが生理的にちゃらい(プロジェクト名もなんだかなーだな)のは判る。が、オレ、見たいって思ってしまったんだなー(なんか本欄で最近やたら音引き使ってるなー。なぜなんだー)。

 理由は以下による。

 まず、10年近く前ぐらいだったか、ポール・マッカトニー公演(東京ドームだった)の好印象があること。彼はそのときザ・ビートルズ曲をけっこうやったのだが、一緒にがなってとても楽しかったという記憶がぼくのなかに残っているのダ。

 で、ぼくの“特別銘柄”の一人であるトッド・ラングレンが入っている。作曲能力やサウンド作りの能力に関してはすでに枯渇しまっているように思える彼だが、ことシンガーとしての能力は全然衰えていない。そんな黄金の喉で珠玉のザ・ビートルズ曲が楽しめる。こりゃ、至福のとき間違いなしではないか。

 加えて、ベーシストはザ・フーのジョン・エイントウィッスルである。リンゴ・スターのバンドで日本にやってきたことがあるらしいが、ぼくはそれを見ていない。やっぱ、1度ぐらいはその勇姿を拝んでおきたかった……。奔放ベースで知られる彼はマッカトニーの凝ったラインをどう弾き直すのかというのにも興味津々であったし(結局、あまりベースの音じたい聞こえず)。話はズレるが、ジョー・ストラマーはザ・フーの大ファンだったらしい。ロジャー・ダルトリーのツアーの前座で回ったことが縁で、新作でダルトリーに歌ってもらっているのだが、それが夢のようであったと言ってたっけ。

 と、これだけ理由があれば、見に行くのは当然ではないか。って、なんか弁解ぽい? ぽりぽり。ちなみに、他のフロントに立つ出演者はハートのアン・ウィルソン、アラン・パーソンズ、元アンブロージアのデイヴィッド・パック。まあ、不思議な組み合わせではありますね。国籍も位置する場所も違うし。誰が考えたのか。他は、ギター/歌、キーボード、ドラムスを担当する3人が付く。

 会場は新宿厚生年金会館。さすがに、来ている人の年齢は高い。だだし、汚らしい外見の人はあまりいない。

 公演は「マジカル・ミステリー・ツアー」で始まったのだが、驚いたのは2曲目からの数曲。なんと、アラン・パーソンズ・プロジェクトの曲、ハートの曲、トッド・ラングレンの曲(「ハロー・イッツ・ミー」。やはり絶品)、デイヴィッド・パックの曲、そしてザ・フーの曲(「リアル・ミー」、かっとびベースを堪能。このときだけベースも良く聞こえた)を、次々にそれぞれの人をフィーチャーしながらやりだすのだ。これには戸惑った。え、なぜザ・ビートルズの曲をやらん、と。多くの人がそう感じたのではないか。でも、後になるとそれも了解。だって、他はザ・ビートルズの曲。そりゃ、それがテンコ盛りにやった後に、各人の持ち歌を出しても分が悪いというか、どっちらけではないか。なら、最初にやってしまおうってなるよな。なるほど。

 で、その後は延々、ザ・ビートルズ曲。リード・ヴォーカルはラングレン、パック(歌、うまくないねー)、ウィルソンの間で持ち回り。歌えないパーソンズはなんでいるのか、よく判らず。なんにせよ、ぼくはラングレンとエイントウィッスルばっか見ていた。ラングレンは一人だけスーツ姿。なんか、かっこいい。前に会ったときより痩せたナという感じで、その勇士だけで、ニコってなれる。やっぱ、歌はいいし。でもって、お茶目さが全開。他の人が歌っているときのいろんな仕種、けっこう見せてくれました。それはいい人ながらも、終わっちゃっているなーという事実をなんとなく感じさせるものでもあったのだが。彼は「レヴォルーション」なんていう趣味性の強い曲もやった。

日本では同じレコード会社になるそうだが、太っちょなチビなアン・ウィルソンは大時代的なアクションを含め、天童よしみをなぜか強烈に思い出させる。歌はさすがに上手く、喉一本で生きてきているのがよく分かるものでしたね。だだし、「ヘイ・ジュード」の歌詞を忘れたのはいただけない。彼女、あまりザ・ビートルズ曲に触れて育ってきていないのだろうか。彼女だけ譜面代を置いて歌詞を見ていたようだし。でも、だからこそ、自分全開のパフォーマンスをやっていたとも言えるか。

 それから、エイントウィッスル。やはり、外見のカッコ良さに惚れた。アタマがでっかく見える以外(体躯は小さくない人なのだが)、すばらしくシャープなロック初期老人。で、例のやたらかき回すような右手の奏法もまたアトラクティヴ。
   
 「ゴールデン・スランバー」〜「キャリー・ザット・ウエイ」〜「ジ・エンド」の『アビー・ロード』のB面終盤メドレーで幕。イヤな気分にはならなかったが、多大な感激もなし。でも、トッドはまた見たいとはひしひしと思ったワタシ(モータウンのカヴァーやるショウを見てみたいと強く感じる)。以上、見には行こうとは思わないもののどんなだったのか知りたい人も少なくなかったようなので、わりと丁寧にリポートしてみました(笑)。

 その後、軽く飲んだあと、藤川毅さんたちがやっている、“Lovers Rock Nite ”に顔を出す。南青山のオージャス・ラウンジ。そんな広いところじゃないけど、かなりの込み具合。しかし、こなれたヴァーズ・ロック群を聞いていると、ソウルだよなあと当たり前の感想とともに、じわーんときたりして。


7日(水)

トータス、ブロークバック

 渋谷・クアトロ。かなり混んでいる。前座で、スリル・ジョッキーに属する、ブロークバック。トータスのベース奏者、ダグラス・マッカム絡みのプロジェクトらしいが……。

「ぎょっ。なんでこんなに人いるの?」
「しかも、みんな立ってやんの」
「あ、日本人って混み合ってないとダメだって聞いたことあるぞ。電車
のなかでもモッシュやってるっていうし」
「しかし、これはひでーなー。俺、観客だったら帰るね。ぎゃはは」
「だよなー。しかも、俺たちの音楽なんて立って聞くよーなものじゃね
ーもんな」
「いや、やっぱ日本人ってスゲーは」
「ホント、只者じゃねーよな。それにしても、なんかやりずれーな」
「な」

 なんて会話がメンバー間で交わされたのではないかと。

 ちゃんとしたジャズ素養を持つプレイヤーたちによるフリー・ジャズ言語交換を中心とする彼らなりの思慮の展開。ビル・フリゼール的な手触りを用いるときもある。けっこう、いいグループ。だが、大人数を相手に演奏するような内容ではなく、また断じて立って聞くようなシロモノでもあらず。けっこう、困ったチャンになっていた人いたんではないか。だが、繰り返すがまっとう。ゆったりと座って聞くと、かなり良質なものに聞こえたとぼくは思う。

 そして、休憩を挟んでトータス。ヴァイブラフォンを用いた1曲目を聞いて、フランク・ザッパの『ホット・ラッツ』を思い出す。あと、マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』を思い出させる演奏もあったな。1時間強の演奏時間。悪くはないが(甘さがないのがよろしい)、秀でたライヴ・バンドではあらず。レコードのほうがいいナという、過去の印象と同様の感想を持つ。ふむ、かなり気に入った近作『スタンダーズ』をどーしようか……そろそろ、また“年間ベスト10”の時期になるんだよなー。あー、1年って早いよなー(と、毎度のしょーもねーおやじ感慨モードに入る。以下、略)。ところで、彼らはあんな星条旗つながりのジャケット・カヴァーにしてしまったことを、今どう感じているのだろう? 


6日(火)

ドロップキック・マーフィーズ

 アイリッシュ・ルーツの人達が沢山いるらしい、ボストンのパンク系7人組。で、メンバーにはバグ・パイプ奏者がいたりする。いや、たまにしかステージには出てこないのだが。また、ティン・ホイッスルやアコーディオンをメンバーが手にするときも。ようは勢いたっぷりのロックのなかに、潤いを注ぐかのように、ときに自分たちの“奥”にある潤いを置こうとしたりもする連中。

 女性が歌うアイリッシュ・トラッド系の曲が流れるなかバンドは登場。とにもかくにも、笑顔の、直情系猪突猛進表現を送り出す。客は若い。開演前は混んでるなーと思っていたのだが、本人たちが登場すると少なくない数が前に行っちゃうので、ビール片手に余裕を持って見ることが出来ました。そして前では当然、モッシュ&ダイブ。なんか、久しぶりに、活発なそれを見たような。なんか、見ていて、すごくニコニコしちゃったなあ。

 で、先に触れたように、節目節目でアイリッシュ〜スコティッシュの要素を引用したナンバーをやる。一瞬ポーグスを思い出させたところもあったが、基本的にもっとパンクな前傾姿勢で攻めまくるバンド。

 アンコールでは、このステージはお前たちのもんだァみたいんなことを言って、壇上を観客に開放。一体、何人がステージに上がったのか。間違いなく、初めてみる光景(ボブ・ディランが国際フォーラムのこけら落としで出演したとき、小僧どもがステージに多数上がったそれもかなり印象深かったが)。なんせ、ベーシストが3段重ねのモニター・スピーカーからステージ上の観客に向かってダイブできたぐらいだから。ステージ上における、モッシュ&ダイブは初めて見たナ。そのぐらい、ステージに観客が上がり、人口密度が高かったということです。


5日(月)

SAYA(SAITO)

 日本語表記は斉藤栄弥。ジャズ・ピアノをやりたくて92年から奨学金を得た大学があったらしいニューオリンズに住んでいる人で(現在はサンフランシスコ在住)、90年代後半の2年間はネヴィル・ブラザーズに加入していた日本人女性。ネヴィルのソニー移籍作『ヴァレンス・ストリート』にはきっちりメンバーとして入っていて、曲も1曲提供している(出たときはなんか中庸なアルバムだなと感じたが、半年後ぐらいに飲み屋で聞いて、いいレコードぢゃんってなったことアリ)。とゆー事実だけで、やはり生に触れてみたくなりますよよね。

 実に、端正な、癖のないジャズ・ピアノを弾く人。リズム・セクションは日本で調達し、トリオにて。日本在住らしいトミー・キャンベルのお茶目なドラミングにはかなり感心。彼、故ダニー・リッチモンド(チャールズ・ミンガス・グループ他)みたいにロック・バンドで叩かないかな? MCで、本来R&Bやファンクが好きなんです、なんてことを言っていたが、とてもネヴィルズに入っていたとは思えないほどの丹精さ。うーむ、1曲ぐらいネヴィルズの曲聞きたかった。って、私はダメな客? 南青山・ボディ&ソウルにて。


4日(日)

ジョン・ケール

 お台場・TLGにて。前にここに来たときに、彼の公演告知のチラシを見たんだが、その写真のカッコ良さに感銘、それでぼくは彼を見ることに決めたのだった。ようは、この夏のフジ・ロックのパティ・スミス(7月28日)を見たときの動機と同様のノリですね。あー、単純。

 元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、プロデューサーとしても確固とした実績を残している英国人のライヴは完全弾き語りにて。二部構成で、両セットとも最初アコースティック・ギターの弾き語りを数曲やり、残りはピアノを弾きながら歌う。前期セットのピアノ曲の1曲は、効果音を流しながらのもの。

 凛。きちっとした内実を持つ実演。あー、やっぱり一時代を築いて、生き残っている人は持っているものが違うと痛感させられたパフォーマンスで、妙な小細工なしに、真っ向から自分の歌を自分の伴奏で届ける。セカンド・セットは少し、かつて見せてた狂気の開陳があったが、それをやると少し子供っぽくなる。ぼくはそんなのないほうが好み。そんなことしなくても、あなたの心の嵐を感じることができますよ。

 場内は禁煙で、実演中は飲み物サーヴィスも禁止。それ、本人の要求なんだろーけど、そういう人でもあるのか。ともあれ、彼の生理的に強い弾き語り表現に触れながら、ふとエリオット・スミスのそれが頭に浮かぶ(2000年12月4日)。こういのに触れちゃうと、やっぱあんたの弾き語りは、甘ったれパフォーマンスですね。


2日(金)

ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス

 オープナーは本年作『グローバル・ア・ゴーゴー』収録のアイリシュ調のナンバー(夏にやった電話インタヴューしたら、「ケルト調のが出来るようになるのに、20年かかってしまった」)。ザ・クラッシュ曲満載の前回コンサート(2000年1月17日)から一転(と書くと、大袈裟だが)、今作のり(「『サンディニスタ』に近いかもと録音後に感じた」そう)基調の、生理的にリヴェラルな、伸長するロックンロール表現を主に披露。いい感じでした。だけど、アンコール最後のナンバーは、なんとザ・ラモーンズの「Blitzkring Bop」。まさか、公演場所が赤坂・ブリッツだったからじゃねーだろーな。ってベタな書き方してすまん。同志って感じ、持ってたのかな?

 ところで、そのステージ、やはり“出来上がって”のものだったのだろーか。というのも、翌日取材をしたら、もうビール片手におとーさん上機嫌だったから(実は、かなり機嫌の上下が激しいらしいが)。開口一番、缶ビール片手にキミはキリンとアサヒどっちが好きだ、だもんなー。その日はビールを飲んでいたようだが、普段は赤ワイン党とか。どういうのがお好みと問うと、「味なんか判らない。飲めりゃあいいんだ」。ある意味、がらっぱちなロックンローラーらしかったかも。自慢話になるが、別れ際、キミの情熱的な話の聞き方は気に入った、みたいなことを言われた。まあ、声デカいからナ。すでに電話インタヴューしていたし、それに今回は非音楽雑誌の取材だったので、あまり重箱の隅をつつくようなことを聞いていないってのは、好印象に繋がっているかも。あまり難しいこと考えず、その場のノリで対象とコミュニケートしようとしたから。普通の音楽雑誌だとやはり音楽にまつわる最低限の情報は聞き出さなくてはいけないので、そうもいかない。