2003年9月28日(日)

 岡村靖幸@ZEPP東京。7年ぶりのちゃんとしたライヴということで、当然チケットはプラチナ・ペイパーと化していたわけだが、ぼくはいち早くチケットを確保した熱狂的な岡村ファンの友人を拝み倒して譲ってもらった。感謝。
 開場も開演も大幅に遅れ、始まったのは30分押しの午後7時半過ぎ。観客は男女半々というところか。登場した岡村ちゃんは、遠目にも去年のプリンス公演で石野卓球に紹介してもらったときよりさらに巨大化しているように見える。歌い始めれば声が満足に出ず高いパートになると苦しそう。体型から容易に想像できるようにダンスなど動きももっさりしていていかにも鈍い。こりゃつらいかなー、と思っていたら、どんどん引き込まれていった。
 バンドは7年前とほぼ同じメンバーを揃えたそうで、演奏はソツがない。言ってみれば一番心許ないのが岡村のパフォーマンスだったんだけど、それを補ってさらにお釣りがくるぐらい会場の雰囲気を良くしていたのが、観客だった。ロックのライヴに於けるアーティストと観客の関係は教祖と信者、あるいはファシスト政治家と民衆の関係になぞらえられるわけだけど、この日の岡村と観客の関係には、もっと素朴で真摯な愛情があったと思う。言ってみればダメダメでよわよわな放蕩息子の帰還を喜ぶ母親とでもいうか。会場にいるすべてが岡村のカムバックを心から喜び、歓迎し、暖かい目で見守りなんとかもり立てようとしている。そのひたむきな思いみたいなものが会場をおおっていて、ぼくのようなちょっと引いたところで眺めているような観客まで巻き込んで、素晴らしいヴァイブレーションを生んでいたのである。歌のパートになると会場中が大合唱となる。全盛期のロッド・スチュワートがイギリスでライヴをやると、本人が何もしなくても客が全部歌ってくれたらしいけど(ちょっと前のオアシスなんかもそんな感じか)、いかに岡村が愛され、必要とされているかがひしひしと伝わってくる。そしてコンサートが進むにつれ、そうした客の愛情に力を得たようにどんどん声が出るようになって、動きもキレを増していったのが感動的だった。コンサートはアーティストのパフォーマンスではなく観客が作るもの、というのをこの日ほど実感したことはない。そうした誠実で生真面目で一途なファンに支えられた岡村は、ほんとうに幸福なアーティストだと思う。
 新曲はやらなかったし、音楽的にもパフォーマンス的にもとくに新味はなし。今後の岡村の新たな可能性を予感させるようなものは正直言って見あたらなかった。言ってみれば彼はまだリハビリ途上なのだ。しかし岡村はエンタテイナー、パフォーマーとして考え得る最高の喜びを、この日得たはずだ。新作がいつになるかわからないが、気長に待つことにしよう。たっぷり2時間20分、岡村がステージ上にいたのは実質1時間45分ほど。長いブランクを考えればよく頑張ったと思うし、その甲斐あった、本当にいいライヴだった。くだんの友人の幸福そうな顔を見て、ぼくも優しく、幸せな気分になった。

 ということで、96年2月14日武道館公演のライヴ評。つまり、この年以来のライヴだったというわけだ。見も知らぬ岡村ファンの女性から、印象的な文だったとメールをいただいたことがある。改めて読み返すと、このころから岡村の本質は何も変わっていないことがわかる。