2002年8月18日(日)

 サマソニ二日目。着いたのは2時ぐらいで、ちょうどレインディアー・セクションが始まるところ。レコードはかなり気に入ってたんだけど、ライヴは予想通り、身内のお友だちパーティー的な、ヌルくてゆる〜いノリ。いやほんと、グラスゴーの連中の辞書にはテンションという言葉も、エネルギーという言葉も、アグレッシヴという言葉もありません、という感じ。客席に向かって「元気〜〜?」と何度か呼びかけていたが、そりゃこっちのセリフだわ。とはいえ、最初は「そんなものだとはわかっちゃいたが、いくらなんでもこれはいかがなものか」と思っていたが、聴き進むうちそのヌルさが心地よくなったりして。いや、意外に楽しかったです。11人もメンバーがいるのに、全然音が分厚くならないのもいい。

 次はアヴァランチーズのDJ。踊らせるためというより、コラージュ的な面白さを追求したもの。楽しかったけど、ちょっと中途半端な感も。

 今日一番期待していたのはザ・ストリーツだったんだけど、これはガッカリ。レコードがかなり良かったんで楽しみにしてたんだけど、悪い意味でライヴ慣れしておらず、そのくせ妙に客に対してなれなれしくて、演奏に緊張感を欠いている。バンド編成なのにバンドの良さが全然見いだせず、これなら2MC+DJでじゅうぶん、と思わせるアレンジの工夫のなさも致命的。ビースティ・ボーイズ的なハチャメチャさを期待してたんだけど、悪ガキにもなれないただのガキという感じだった。そのくせ最後まできっちり見てしまうんだから、我ながら人がいいね。つうか、意外に飽きなかったってことか? アレ?

 ストリーツが終わって外に出ると、さっきまでごったがえしていた幕張メッセのフロアが、妙にすいている。みんなNOFXを見に行ったんでしょうか。前日はガンズとモンゴル800人気で盛況だったけど、それに比べるとずいぶん閑散としている。知り合いと会って雑談するうち、スージー&バンシーズが始まる。これが意外に良かった。いかにも彼ららしいダークでサイケデリックでグルーミーだが、毒を含んだ棘を隠し持ったような雰囲気は、まったく変わっていない。もともとスージー・スーは歌のうまい人じゃないし、美声というわけでもない。彼女の個人的なポテンシャルに頼るのではなく、全体のなんとはなしの雰囲気で個性を出してきたバンドである。だから、その雰囲気さえあれば、彼らの良さは十分に発揮されるわけだ。で、彼らは見事に「らしさ」を発揮していた。時代の流れと関係なく屹立する個性の偉大さ、孤立を恐れない強さというか。もちろん新しい展開があるわけじゃないが、そんなことはこっちも期待してないし、むかしの魅力がきちんと確認できればそれでよし。で、彼らの魅力は全然錆び付いていない。で、スージーさん、むかし来日したときに比べるとスリムになってるし、声もあまり衰えてない。ちょっと愛想が良くなった気はしたが、あの独特のアクションも変わらず、他人をシャットアウトするような冷たい雰囲気も変わらない。もういいトシのはずだが、いいですね、こういう女の人は。バッジー以外のメンバーが誰なのかわからなかったが、バンドの演奏もしっかりしていて、久々にぼくのニュー・ウエイヴ魂が癒されたのだった。客が少なく、有名曲になっても全然反応がないのは、仕方ないとはいえ、ちょっと残念。

 バンシーズが終わって外に出ると、場内はさらに空いている。そうするうちモリッシーが始まるが、客は全然増えない。バンシーズに比べればだいぶマシだが、それでもかってのモリッシーのカリスマ人気を思うと寂しすぎる入り。サマーソニックという場がよくないのか、モリッシー神話が終わったということなのか……。
 モリッシーは健在だった。声は衰えてないし、もう長い付き合いのバンドとのコンビネーションも悪くない。新曲の出来ももいい。あのアクションも、皮肉っぽい物言いも変わらない。だがぼくは、妙に寂しく、もの悲しい気分になった。モリッシーの熱狂的信者だったことはないが、それでも初来日の武道館公演は鮮烈に記憶に残っている。あの異様なまでの熱気、それをすべて吸収したうえでさらにすさまじいパフォーマンスを見せたモリッシー、その磁場のテンションの高さを思うと、この日のモリッシーはオーラもカリスマもはげ落ちた、「ふつうの良質なシンガー」に過ぎなかったように思えた。それを「時代の流れ」と言ってしまうのは簡単すぎる。
 かっての熱心なファンにとって、「モリッシーがいない時間」はあまりに長すぎた。彼らはそれに慣れてしまったのだ。彼らはもうモリッシーを必要としていない。そして、モリッシーとは、「必要としてくれる人たち」が多ければ多いほど、その胸一杯の思いや狂おしいまでの愛を吸収すればするほど、輝きを放つアーティストだった。そしてこの日のライヴには、そんな熱は微塵も感じ取れなかった。残酷な言い方をすれば、「必要とされないモリッシー」など、並のアーティストに過ぎない。それをぼくは痛感した。
 それに比べ、スージー&ザ・バンシーズの音楽は、誰かに心底必要とされたことなど、おそらくは一度もなかったと思う。バンシーズの音楽につねにつきまとう孤絶の影とは、たぶんそれである。だからこそ彼らの音楽は強い。
 今モリッシーはレコード契約がない状態らしい。新曲ができても、それを発表する機会もないのだ。いったい彼はどこへ行くのだろうか。

 それにしてもサマーソニック。この会場になってから初めて来たのだが、どうも違和感を拭えなかった。音楽を聴いているとき以外は、ただメシを食って酒を飲むだけ。メッセの外に出ても、無機質なビル街が立ち並び、「恐竜博」に来た親子連れがチンタラ歩いている。スタジアムも野外の風通しの良さというより、箱庭のなかに閉じこめられたような感覚がある。これじゃ解放されない。日常から飛躍することができないのだ。このドライで冷めた感触が、どうもなじめない。個人的な感慨に過ぎないとはわかっているが。