2002年11月11日(月)

 乃木坂のキューン・レコードで、ギターウルフの取材。12月4日発売のビデオ『RED IDOL』について。はっきり言ってこのビデオ、最高です。およそロック・ファンなら、全員見るべし。これを見て震えない&笑えないようなら、ロックに縁がないものと思ってください。今月はフランスのスカイドッグから『UFOロマンティクス』がヨーロッパ・リリースされるらしいが、それにあわせてのヨーロッパ・ツアーも決まっているようだ。

 さて、キューンのスタッフとも話題になったのが、ロッキング・オン・ジャパン編集長の兵庫氏が、JUDE浅井健一とそのマネージャー氏に暴行を受けたという話。いま出てるジャパンに、詳細が載っている。
 兵庫氏とは面識があるし、もちろんぼくと浅井はブランキーのデビュー前から何十回となく取材をした関係である。あまりにデリケートで、かつ不明な部分が多すぎるし、当事者から直接話を聞いたわけでもないので、断定的なことは何も言えないが、浅井をよく知る者として、一言述べておきたい。

 ジャパンの記事によると、浅井は先日発売されたジャパンのJUDEレコ評の内容が気に入らず、スペースシャワーTVでを雑誌名を挙げて非難した。それを受けて兵庫氏は浅井側に面会を求め、ひとりで事務所に出向いたところマネージャーとふたりがかりで暴行を受けた。その後文書などで謝罪を要求したものの入れられなかったので、ことの成り行きを誌面で明らかにして、読者に判断を委ねた、というのがごくおおざっぱな経緯。
 ジャパンの記事を読む限りでは、100%浅井に非がある。レコ評でちょっと批判的なことを書かれただけでライターや編集者に暴行を働くなど、言語道断である。おおげさに言えば暴力による言論の圧殺だ。ぼくは『音楽ライター養成講座』の単行本で、批判的なことを書かれて腹を立てたミュージシャンに胸ぐらを掴まれるぐらいの覚悟をしておくべき、と書いたが、それはライターは自分の書いたことに責任を持て、という話であって、実際の暴力まで肯定しているわけではない。そりゃ人間だからケンカぐらいすることもあろうが、少なくともこの場合の暴力は肯定できない。
 だが、どうして浅井がそこまでジャパンに腹を立てているのか、という理由が、記事を読む限りでは判然としない。それがわからないと、ことの本質を論じることはできないはずだ。同時多発テロ事件になぞらえるのは乱暴すぎるが、テロの悪を断罪するだけでなく、なぜアメリカがあそこまで憎まれ、テロまで受けなければならなかったのか、という理由を考えることが大事なのと同じだ。
 ぼくの浅井健一に対する印象を一言で言えば、いささか気むずかしい面はあるが、公平でリベラルな男である、というもの。つまり自分への批判に関しては寛容である、ということだ。浅井にしろ石野卓球にしろ小山田圭吾にしろ、ぼくが長い間取材をさせてもらっているアーティストは、みんなそうだ。もちろん事実誤認にもとづく批判や、根拠のない単なる悪口は論外だが、アーティストへの敬意を前提としたきちんとした批判はあってしかるべきだし、それを、受け入れるかどうかは別にしても、ひとつの意見として認めることができる懐を持ったアーティストが、前述の人たちということである。反面そういう器量を持てないアーティストも多いし、実際ぼく自身、それで関係を断ち切られてしまった経験も何度かある。
 浅井に関しても、たとえばシャーベッツというバンドの技量に関してかなり厳しい批判をしたことがあるが、それに対して浅井は「メンバーはえらく腹を立ててたけど、俺はああいうの(批判、見方、意見)もあっていいと思うんだわ」と、実に寛容だった。そういう男だと、ぼくは認識している。だから、今回の一件は、よくわからないのである。
 ジャパンの当該のレコ評を読んだが、そのレビューとしての質は別として、書いた相手をボコボコにしてしまいたいほど辛辣な批判が書かれていたとは思えなかった。「ミュージック・マガジン」のレコ評(小山守さん)でも、同じような批判があったけど、マガジン編集長がフクロにされたという話は聞かない。だから、そこに至るまでいくつかの伏線があり、浅井側はジャパンを目の敵にする彼なりの理由があって、レコ評は単なるきっかけだったと見るのが正解だろう。
 思えば昨年のフジロックのシャーベッツのステージで、浅井が名指しでジャパン批判したということもあった。ジャパンの関係者にそのとき話を聞いたが、どうやらなんらかの事情で両者の仲がこじれている(というか、浅井が腹を立てている)ということだったと記憶している。記事にも「疎遠になっていたので、関係修復を試みていた」という意味のことが書いてあるが、どうして疎遠になったのか、という詳しい事情は何もない。これで「読者の判断を求める」というのはいささか無理がある。あの記事だけだと、まるで浅井が単に粗暴なだけの単細胞のDQNとしか読めないが、そんな男ではないのは、前述した通りだ。
 司直の手に委ねず誌面で公にしたことは間違っていないと思うが、都合の悪いことは書かないというのでは、単なるペンの暴力に繋がる危険もある。ジャパンはことの詳しい経緯を明らかにし、浅井側の希望があれば、誌面を提供することが求められると思う。それが公正なジャーナリズムというものだ。

 で、そういう議論は別として、たかがアーティストに殴られたぐらいでおおげさな、と思う人もいるにちがいない。海外ではジャーナリストがアーティストに殴られるなんてよくあること、ではあるのだが、海外の例を出さずとも、日本の一部のアンダーグラウンドなハードコア系のアーティストなどとつきあいのあるジャーナリストにとって、そういう危険は日常のことのはず。殴られたことも一度や二度ではないだろうから、そういう人たちからみれば、今回のジャパンの態度は、いかにもナイーヴなものに映るのではないか。そうしたミューシャンたちが依って立つ場所が、そういうギリギリのエッジの上に成り立っているということだ。繰り返すが、だからといってそうした暴力行為を肯定したり「仕方ない」と言うつもりはまったくないし、ぼくだって殴られるのは絶対いやだ。だが単に暴力反対と叫ぶだけでは見えてこないものもあるということである。浅井はメジャーのレコード会社との契約もなく、事務所も個人事務所に近いから、彼の暴走を押さえるものが何もなく、憤怒のままに突っ走ってしまったのだろう(止めるべき立場のマネージャーまで暴行に加わったのは遺憾)。不幸な事件というしかないが、原因を当事者の口から明らかにしてほしいものだ。