2001年9月14日(金)

 ここのところ仕事が一段落したのでずっとテレビで米国テロ関係の番組を見ていたのだけど、だんだん腹が立ってきて、この日はテレビの音声を消して、ずっとレコードを聴きまくっていた。CDじゃなくアナログをね。SOUNDというメーカーのフォノ・イコライザーPE100SEという機種をメーカーの好意で借りているのだけど、これまでさんざん聞き込んできた愛聴のレコードが実に新鮮に聞こえる。

 なにに腹が立ったかといえば、ブッシュの演説だ。「これは正義と悪の闘いだ。オレたち正義は悪を殲滅するぜ!」式のアジテーションを聞いて、その傲慢な思い上がりに吐き気がした。アメリカは武力行使を決定したばかりかオサマ・ビンラディンをテロの首謀者と決めつけ、アフガニスタンやパキスタンにプレッシャーをかけているようだが、アメリカが正義でアラブが悪だって誰が決めたんだ? アメリカにはアメリカの正義があるだろうが、アラブはアラブの正義がある。どっちが本当の正義かなんて誰にも決められるはずがない。なぜなら正義/悪の基準なんて、時代状況や置かれる立場によっていくらでも変わってくるからだ。そしてブッシュの言う「正義」が、アメリカさえ得すればほかはどうでもいいというエゴイズム、ひいては西欧キリスト教文化以外は認めない独善性、西欧白人的価値観のみがエライとする思い上がりに基づくものであることは明らかだ。無力な一般人を無差別テロの対象にするのは「悪」だろうって? それはそうかもしれないが、「世界の警察」を僭称するアメリカがこれまで直接/間接に殺してきたアラブの(そして、ベトナムなどの)人々の数は、今回の死者の比ではないのである。

 今回の事件はアメリカの対外強硬姿勢や対中近東政策の破綻を示している。パックス・アメリカーナの時代なんてとうの昔に終わっている。グローバリズムなる、アメリカ中心の世界秩序(もっと言ってしまえば、アメリカ的な価値観やシステムをすべてに押しつけようとする一種のファシズム、文化的・経済的帝国主義)に対する、あまりにもはっきりとした拒絶が、今回のテロだったのだ。世界中どこにいってもマクドナルドとマライア・キャリーとハリウッド映画なんて、冗談じゃないぜ(誤解されると困るから言っておくが、そうしたアメリカ文化や価値観を否定してるわけじゃない。それがワールド・スタンダードだと思いこんでいるアメリカの傲慢さがいやなのだ)。