2001年7月10日(火)

 今週末から来週にかけて立て続けに3本の出張の話があったのだが、そのうち2本がこの日になって流れてしまう。うち1本は韓国出張であった。ギターウルフの韓国ツアー同行という、よくわかんないけど面白そうな仕事だったのだが、例の歴史教科書問題で韓国国内はかなり不穏な情勢にあるらしく、そこにノコノコと日本人バンドが出かけていくと投石どころか暴動さえ起きかけない危険があるんだそうだ。ちょうどソウル市内の大学の近くにコンサート会場があり、大規模なデモとともに学生の暴走もありそうで危険ということで、ギターウルフの出るイベント自体が秋に延期になってしまったらしい。また釜山での別のイベントにも、この問題の余波が及んでいる。

 こういう事態に遭遇すると、ふだんは遠い出来事のように思いがちな国際問題や外交問題が身近に感じられるのはもちろんだが、われわれ日本人が考えるよりはるかに重く教科書問題=日韓関係のしこりは、韓国の人たちの心に残っているのだなと思わされる。ギターウルフのライヴに来るようなやつなんて、そんな政治的なことに関心なさそうと思うのは、われわれの歴史認識・政治意識があまりにも低すぎるという証左にほかならない。戦争体験のある老人だけでなく学生など若い人たちにも、これほどまでに強い反日感情(と言い切ってしまっていいだろう)があるのはなぜなのか、一度考えてみる意味はある。韓国大統領が強い調子で日本政府の対応を批判しているのは単に韓国国民感情をおもんばかってのことではなく、もっとも身近な隣国でありながらもっとも不幸な歴史を長い間共有することになってしまった日韓両国のねじれきった関係に起因している。そしてそのほとんどの、あるいはすべての原因が日本にあるからこそ、重要政治課題として日韓友好に力を注いできたはずの金大統領は日本政府を批判しなければならなかった、ということを理解すべきだ。「新しい歴史教科書をつくる会」なる団体が主導した歴史教科書がいかなるものなのかぼくは見ていないけれども、そうした不幸な、そして韓国側からみれば一方的に抑圧され搾取され殴られ踏みつけられ続けてきた日韓の血塗られた歴史と歪んだ関係を、修復に導くどころかさらなる亀裂を生じさせるものであり、そして今回の日本政府の対応がその動きにいわばお墨付きを与えたも同然であることは明らかなのである。

 そしてきちんとした政治理念ならまだしもきわめて情緒的な動機から無神経に「靖国神社参拝」などを口に出すような小泉ワイドショー首相が、こうした傾向をさらに促す結果になっていることもまた、確かである。昨今の馬鹿げた高支持率によって、そうした首相への健全な批判ができなくなっている。小泉は石原慎太郎(小泉が情緒的ナショナリストなら、こいつは確信犯的ナショナリストだ。こないだのヨット問題の大人げない、そして高圧的な対応をみると、それに加えきわめて独善的かつ鼻持ちならないエリート意識に凝り固まった男だとわかる)とともに着々と日本をファシズムへと導いているのである。それにしても小泉や石原が、たとえば森やナチ曽根や梶山みたいな悪代官面だったらこれほど人気が出たかどうか。疑問ではあるよね。

 、さしたる知識も大した思想信条もない音楽評論家風情がこういうデリケートな政治問題や国際問題について公の場で書く危険と軽率は十分承知してるけども、他人事のような顔をして通り過ぎることもできないんだな、性分として。いずれにしろわれわれが日本に住む日本人で、社会の一部を構成する社会人である限り、こうした問題と無関係であることなど絶対ありえない。音楽そのものは政治と無関係と決め込むこともあるいは可能かもしれないが、音楽や音楽家を支える社会構造も経済構造も政治と切り離すことなどできはしないのである。そのことには、音楽の作り手も聴き手も自覚的であるべきと思うのだが、どうだろう。ロケンロールと叫んでいれば万事解決ってわけじゃないのだ。

 それにしても2件も出張が飛んで、週末は一気にヒマになったな。韓国旅行でもするか(爆)。