2001年5月14日(月)

 渋谷の喫茶店でクイックジャパン誌編集部のOさんから取材を受ける。なんでもフリッパーズ・ギター解散10周年を記念して同誌次号で特集を組むそうで、当時フリッパーズとゆかりのあった人たちのコメントを交えながらの記事構成となるらしい。とは言ってもぼくが彼らに取材したのはたかだか3〜4回に過ぎず、当然深いつきあいがあったわけでもない。ではなぜぼくが取材対象となるかと言えば、『パチパチ読本』という雑誌でぼくがやったパーフリのインタヴューが、当時パーフリのファンジンをやっていたというOさんの印象に強く残っていたから、ということのようだった。そのインタヴュー記事は、パーフリとメディアの関係性を探るというもので、ライターや雑誌の実名を具体的にあげながら、彼らの対メディア戦略の苦闘の歴史(笑)と基本姿勢を問いただした内容だった。無知なインタヴュアー(この場合の「無知」というのは、彼らが好きな洋楽関係についての知識がない、ということ)を徹底的にコケにしまくるパーフリの取材態度――それは、マニアックな洋楽村からいきなり生臭い邦楽ビジネスの最前線に放り込まれたふたりの青年の、やむをえない自己防衛でもあったわけだが――は当時業界でもかなり評判となっていて、そこに着目した記事だったのである。Oさんからお話をいただいて久々に自分の書いた記事を読み返してみたのだが、確かに面白い、そしていまの音楽誌ではなかなかできないような内容になっている。Oさんによれば、現在パーフリの音楽的功績については十分に語られ評価も定まっているが、彼らの一種メタフィクショナルなメディアへの関わり方と、その結果としての音楽ジャーナリズムのあり方への影響といった部分に関してはあまり語られていない、ということで、クイックジャパンの記事もそのあたりに力点を置いたものになるようだ。

 取材をやることは日常茶飯事であっても取材を受ける立場になることは滅多にないから事前はやや緊張したが、いざ始まってみればいろいろと懐かしい思い出話や、パーフリとは関係のない四方山話もいっぱい出て、取材というよりは雑談のノリで、とても楽しめた。結局3〜4回しか取材することはなかったけど、彼らとの会話は仕事を離れてもとても楽しかったことを思い出したりもした。それにしてもコーヒーをおかわりしながら、話すことなんと3時間半!いやはやお疲れさまでした、Oさん。風邪が治りきっておらず頭にカスミがかかった状態で、あまり気の利いたことを言えなかったのは申し訳なかった。そればかりかなんかとんでもない放言をしたような気もするが、ま、面白かったからいいか。 

 で、その席上で当然のように出たのが、小沢健二の消息について。マーヴィン・ゲイのトリビュートに参加、モータウンと契約したというニュースを聞いたのはもう1年半ぐらい前のことになるだろうか。いろいろ噂はあるようだが、どれも都市伝説めいた話ばかりで、いまひとつ信憑性がない。ぼく自身、パーフリ解散後はどこかのコンサートで1回偶然に会ったきりで、もう10年近く話してなかったりする。どこで何をやっているのやら。どなたか情報をお持ちの方はぜひご一報を(笑)。