2001年4月4日(水)

 音楽ライター養成講座4月期開講。継続の人に加え新規の受講生も多く、なかなかにぎやかになった。とはいえ、トータルの人数は――もう少ししないと確定しないが――ぜいぜい前期比横ばいというところか。だが池袋コミュニティカレッジの担当者によれば、それでも「音楽ライター養成講座」は安定して多くの受講生を集めているほうらしい。やはり不況の影響はここにも及んでいるようで、文芸系や教養系の講座はどれも人が集まらず、資格取得系や実用系の講座に申し込みは集中しがちだということだった。いろいろな人の話を聞いても、なかなかカルチャー・スクールの講座は長続きしないようで、足かけ6年も続いているのは珍しい部類に入るらしい。講師であるぼくからしてそんなに長続きするとは思っていなかったが、なにはともあれ支えてくれた受講生のみなさん、情報掲載に協力していただいた各誌編集部の方々に、改めて感謝。

 ところでいまは終わってしまったが、コミュニティ・カレッジの人気講座に「サッカー・ライター講座」というものがあった。以前その講座を受講していたAさん(現在うちの講座を受講している)によれば、講師であるサッカー・ライターは講義中なにかにつけトルシエ批判を繰り返していたが、あるときAさんがそのライター氏の一般講演を聞きにいったら、トルシエ批判どころか手放しで褒めちぎっていたという。Aさんはそのライター氏を信頼していただけに相当ショックを受けたそうだ。
 こわいね、この話。つうか、われわれ音楽ライターの世界でもいかにもありそうなことで、正直言って痛いです。
 えらそうな言い方になってしまうが、ぼくのライターとしてのポリシーが唯一あるとしたら、自分の書いたこと、公の場で喋ったことに責任を持つということだ。それは単に言うこと書くことに一貫性を持たせるというだけではない。当たり前の話だが、人間だから評価をまちがうこともあるし、最初嫌いだったものが好きになることもある(ぼくの場合テクノやハウスがそうだった)。自分の音楽的守備範囲や経緯から当然知っていなければおかしいアーティストやレコードを知らず、原稿を頼まれて初めて知った、ということもあるだろう。その際にほおかむりして素知らぬ顔でいたり、何年も前から注目していたと言わんばかりの知ったかぶりをするのではなく、自分の誤りや不勉強を率直に認めることが大切なんじゃないか。誤りや不勉強はプロの評論家として恥ずかしいことではあるのだが、それを覆い隠して口を拭っても最終的にライターとしての信頼に結びつくとは思えない。
 そのサッカー・ライター氏にも事情があったのだろうし、その場にいたわけでもないぼくに批判する資格などもちろんない。第一ぼく自身だって、意識しないうちに同じようなことをやらかしている可能性もある。もって他山の石とするというやつだね。