2001年12月16日(日)

 WOWOWで『バトルロワイヤル』を見たあと、配給会社から貸与されたVHSで『光の雨』。期せずして、若者たちが無意味に殺し合う話を立て続けに見たわけだ。

 連合赤軍の総括リンチ殺人事件(72年)を描いた立松和平原作小説を高橋伴明監督が映画化した話題作である。昭和史最大の闇とも言われ、東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)で言うところの「大きな物語の喪失」の決定的契機となったこの事件(詳細はこちら)は、かねてから『太陽を盗んだ男』の長谷川和彦監督が映画化の企画を立てていたものの、その内容のあまりの凄惨さと微妙さゆえに実現せず現在に至っていたものだ(高橋連赤企画がスタートしたと聞いたときの長谷川の反応はこちら)。

 連合赤軍事件といってもこのサイトを見てる人の多くは生まれてなかっただろうし、たとえ知識としてそういう事件があったということを知っていても、詳しい時代背景などは、いまとなってはほとんど理解することは不可能だろう。だが、たとえば宮崎勤事件で、彼のビデオテープだらけの部屋の光景を見て、多くの同世代のオタクたちが「宮崎は自分たち自身だ」と感じたのと同様に、60年代末の政治の季節に青春を送り、学生運動などに多少なりとも関わっていた世代(つまり団塊の世代というやつである)にとっては、絶対に避けて通ることのできない「負のモニュメント」が連合赤軍事件なのである。一歩間違えば同志たちを殺し/殺されたのは自分だったかもしれないという重い十字架を、彼らは負っていたはずだ。だから高橋が「連赤事件を撮り終えないと自分の21世紀は始まらない」と言うのは当然の話なのだ。到底映画化不可能と思われていたこの題材をとにもかくにも完成→公開までこぎつけた製作者には、最大限の敬意を払いたい。

 だが、そこでただ「昔こういうことがありました」という団塊の世代のオヤジの昔話にしてしまっては、単なる自己満足・自己憐憫にすぎない。そこで映画『光の雨』は、立松和平の小説を映画化しようとするドキュメンタリーという形で展開する。連赤事件の様子は劇中劇ならぬ映画中映画という形で描かれ、監督(大杉蓮)やそのメイキング・ビデオを撮影する若い監督(萩原聖人)の連赤事件を巡る葛藤を中心に、赤軍メンバーを演じる若い俳優たち(山本太郎、裕木奈江など)のオフショットやインタビューなどが挿入され、さらにそのドキュメント部分も、あらかじめフィクションとして演じられるという、いささかこみ入った構成となっている。

 こうした構成にしたのは、もちろん萩原や裕木らの若い世代の視点を織り込むことで事件を相対化し、若い観客に理解しやすくすること、またあまりに凄惨すぎるこの事件の衝撃をワンクッション置くことで緩める意味があるはずだ。

 だが残念ながら、こうしたこみ入った構成にしたことは、結果として周縁部を迂回しているだけで本質に切り込めていないという意味で、あまりに重すぎるテーマを前にした製作者側の「逃げ」の姿勢を強く感じてしまったのである。

 というのも、自分には連赤事件を撮る資格がないと失踪した大杉蓮を引き継いで萩原聖人がメガホンを撮るというストーリーなのだが、このあたりの視点の転換が曖昧かつ中途半端で、現在の視点による相対化という狙いが活かしきれていない。そしてさらに重要なのが、革命を志しよりよい世界を作ろうという高邁な理想に燃えていたはずの純粋で生真面目な若者たちが、なぜ14名もの同志たちを虐殺するに至ったのか、という、まさに作品の最大のテーマ、その心理のメカニズムに少しも切り込めていないことにある。つまり森恒夫(劇中では倉重重太郎=山本太郎)、永田洋子(劇中では上杉和枝=裕木奈江)というふたりの独裁的リーダーが、ただ単に性格破綻したイヤなヤツ=キチガイとしてしか描かれていない。これでは連合赤軍事件は、少数のアタマのイカレた連中が扇動した、ただの猟奇殺人事件になってしまう。いや、あの時代や事件の背景を実感として知っている世代は、カラダにこびりついた記憶や知識で映画の背後にあるものを補い、森とは、永田とはすなわち自分自身なのだという怖れと痛みとある種の共感を持って見ることができるのかもしれない。だが(断言してもいいが)、現在30歳以下のふつうの人がこの映画を見ても、共感を抱くことは百%ないと思う。森も永田も、はじめは世の中の不正や歪みに憤り、世の中を変えようと本気で思った正義感あふれる若者だったはずだ。それを映画は少しも描けてない。だからどこかで彼らの歯車が狂い、狂気じみた総括=リンチに走ってしまうプロセスも、ただただ陰惨なだけで救いがない。これでは、この事件を作品にした意味がないではないか。

 ぼくは連合赤軍事件のとき、中学生だった。もちろん学生運動に参加したこともないし、連合赤軍に対する大した知識も共感もない。だが「大きな物語の喪失」を目の当たりに体験して、そうした物語を信じて行動していた、すぐ上の世代をうらやましく思うことは、正直言ってある。だがそのぼくでさえも、この映画は動かしてくれない。

 もちろん、すごい映画であることは確かだ。それは映画の完成度というよりもっぱら題材の重さに依っているのだとしても、画面から漂う異様なまでの緊張感で、いくら「映画中映画」とは言っても、2時間10分という決して短くない時間、自宅のテレビモニターの前から一歩も動くことができなかった。少しでもこの映画もしくは事件、そして当時の若者文化に関心があるなら、必見であると、まずは断言しておく。採点はむずかしいんだけど、こういう作品に6点とか7点なんて曖昧な点数は似合わないので、ここはそのテンションと志の高さに敬意を表して、謹んで(0)を進呈しておく。渋谷シネ・アミューズ、池袋新文芸坐で公開中。以降順次全国公開。

 今出てる「SIGHT」誌には宮崎駿のロング・インタヴューが載ってる。立ち読みでパラパラやった程度だけど、彼ほどの商業性を持ったヒットメイカーに、同じ素材をやらせたらどうだろうか、いやぜひやるべきだ、とふと思った。