2001年11月15日(木)

 
date:11月23日(金/祝)22:00〜29:00
place:西麻布BUL・LET'S
fee:2500yen with 2drink
DJs:24no / 小林英樹 (WARSZAWA) / 小野島大
VJ:nishide & ena (urinbo*)
One Night Shop:新世界スーパーマーケット
ネットフライヤーはこれ mapはこれ

 新宿リキッドルームで、モーサムトーンベンダー。アルバムはいい出来だったし、フジロックのライヴも良かったので期待していったが、まぁまぁというところか。前半に集中してやったアップテンポの早い曲だとなかなか緊迫感があっていいのだが、後半部のミドル・テンポ以下のノイズっぽいギターがラウドに鳴る曲になると、少しダレる。1時間半のフル・コンサートをぐいぐいと引っ張っていくようなバンドとしての基礎体力がまだついていない、というところか。アップ・テンポ曲の焦燥感は、70年代終わりから80年代初頭ぐらいのパンク勃興期にライヴ・ハウスでよく見たような若いバンドたちを思わせる、ある種の新鮮で熱っぽい初期衝動が感じられて、ぼくは楽しかった。それは一種の古風さにも繋がるのだが、後半のいまふうのギター・バンド的な展開に比べると、はるかにこのバンドらしい個性が出ていたと思う。

 ニッポン放送、横浜ベイスターズを買収。このニュースを最初に聞いたときは「ニッポン放送といえばフジサンケイ・グループだからヤクルトのほうが縁が深いだろうに……」という程度の感想しか湧いてこなかったけど、よく記事を読むと、現在のニッポン放送の社長は亀淵昭信さんじゃないか! カメちゃんだよカメちゃん。いまの若い人は知らないだろうけど、かっては「オールナイト・ニッポン」の花形DJ、そして『ニューミュージックマガジン』を始めとするさまざまな雑誌やライナーノーツで健筆をふるう売れっ子音楽評論家だったのだ(ジミ・ヘンドリックスのライヴを見たことのある、数少ない日本人ジャーナリストでもある)。60年代終わりから70年代始めの英米のロックが大きく発展していった時期、情報はいまより圧倒的に少なかった。東京でもロックの輸入盤店なんか渋谷のヤマハぐらいしかなく、洋楽ロック/ポップ誌は「ミュージックライフ」と「ニューミュージック・マガジン」しかなかった。そんな時期、亀淵昭信さんの「オールナイトニッポン」と福田一郎さんの「パックインミュージック」は、音として英米のロックを聴ける、実に貴重な番組だったのだ。当時まだ20歳代だったであろう亀淵さんは「カメちゃん」の名で親しまれていた。福田さんは当時すでにオトナの人という感じだったから、中坊だったぼくはカメちゃんの番組をいつも聴いていた。当時洋楽のロックを聴いていたガキで、カメちゃんのDJを耳にしたことのない奴はおそらく皆無だろう。忘れもしないジム・モリスンの死を知ったのも、カメちゃんの「オールナイトニッポン」でだったのだよ。来日した外タレが出演するばかりか、番組のためにスタジオでセッションしたり、なんてこともあった気がする。あのころはほんとによくラジオ(もちろんAM)を聴いてたな。また亀淵さんは文章も実にポップで、実はオレもヒソカに影響受けていたりするのである。
 こんな昔話をしてるとキリがないが、うーーーん、あのカメちゃんがプロ野球球団のオーナーかぁ、と実に感慨深い。まぁ実際のオーナーはニッポン放送の会長が勤めるみたいだが、たぶん元ロック評論家が球団持つなんて世界初だろう。いやぁ、長く生きてるといろんなことがあるね。むーーーーーーーーん、なんかオレ、よくわかんないけど興奮してるぞ(笑)。野村がクビになったら横浜でも応援するか。