2001年11月1日(木)

 今日はトップ・ページからリンクを張っているJAVA(Japan Anti-Vivisection Association(動物実験の廃止を求める会))について。

 何人かの人から、リンクを張った意図について訊かれた。その都度説明はしているが、ただリンクを張っただけで、ここで公式な表明をしないのも、考えてみればおかしな話なので、簡単に記しておきます。

 直接的には、8月にあったライジング・サン・ロック・フェスティヴァル(エゾロック)で、同会のブースに立ち寄ったことがきっかけ。そこで掲げられていた動物実験を受けた動物たちの様子を写した写真(同会のウエブ・サイトにも載っている)を見て、あまりの悲惨さに驚き、スタッフの人に話を聞き、些少ながらカンパをして、Tシャツを購入したりした。もちろんそれまで動物実験の存在は知っていたし、たとえばコンフリクトのようなバンドがアニマル・ライト(動物の権利)を訴え、動物実験の廃止を主張していたこともよく承知している。だが理念や知識として理解し共鳴はしていても、それ以上の強い気持ちはなかったというのが正直な話だし、もちろん行動を起こすなど考えもしなかった。だがエゾロックで見た写真のあまりのむごたらしさは、すごいショックだった。それは、自分が家族同様に愛している飼い犬が、こんな残酷な実験の対象になったらどうしよう、という、きわめて私的かつ感情的な反応だったと思う。そしておそらく、ぼくと同じように動物とともに暮らしている(いた)方なら、大なり小なり同じような気持ちを持つはずだ。

 もちろん、感情に流される前に事実関係として正確に認識しなければならないことはいくつかある。これは当サイトの読者である医師の方からのメールの受け売りだが、動物実験の頻度は減っており、なかでも写真にあるような残酷な実験はおこなわれなくなっている(そういう実験は実験機関からそもそも許可されないし、論文の掲載も拒否される)。そして実験に使われる動物はラットやマウスなど齧歯類がほとんどで、犬や猫などを使う実験はほとんどおこなわれていない、そうだ。もっともこれは人間の医学の現場での話で、獣医学の現場、化粧品会社の実験室がどうなっているかは(正確なところは)よくわからない。

 医学の進歩のために必要な実験があることはぼくにだって理解できる。おそらくJAVAもそこまでかたくなではないだろう。ある人から、動物実験の結果できた薬を飲まねば病気が治らないという状況になったらどうするか、と訊かれた。おそらく飲むだろう。だが動物の命が人間の命のために存在しているなんて誰にも決められないはずだ。ぼく自身肉や魚もバリバリ食うわけで、ハードコアな動物愛護論者からは矛盾を追及されかねない生活態度なのだが、食べるために殺すのは、食物連鎖の一環として納得している(ただ単に動物がかわいそう、という考えでの中途半端な菜食主義はぼくも嫌いだ。同じ生き物なのに、植物はよくて動物はだめというのは矛盾していると思う)。だが医学実験のためならネズミぐらい殺して構わない、なんてことに簡単に納得はしたくない。もちろんそんな考えを貫き通して、必要な薬を拒否して死ぬなんて馬鹿らしいとは思うけど。うーん、なんかムジュンしているような気もするが、まぁ、大目に見てください。

 ぼくの言っていることはちゃんとした理論武装があるわけでもない、ただの感情論に過ぎないとは思う。そういう考えを敷衍していくと、ペットを飼うこと、動物園の存在、楽しみのためのフィッシングなどの是非論に繋がっていきかねないが、ぼくはそこまでの考えはない。だから「NO MORE ANIMAL TESTING」のスローガンを人に押しつけたりはしたくない。だが内外の主要な化粧品会社の多くがいまだに動物実験を繰り返している、という事実はやはり知るべきだ、とは思う。暴論を承知で書くが、化粧品なんかなくたって死ぬわけじゃない(皮膚の病気などで必要な化粧品もあるのかもしれないけど)。それは少し極端としても、動物の愛する気持ちが少しでもあるなら、たとえば毛皮のコートは着ない、というだけじゃなく、動物実験をしていないという内外64社の化粧品会社の製品に変えてみる、ぐらいのことはやってもバチはあたらないんじゃないの、という気はする。どう思いますか、女性の方々。あ、最近は男性もか。考えてみればアフターシェーブローションとか整髪料などで、オレも化粧品会社の世話になっているのだな。ヤバ。

 まぁえらそうなことを言っても、リンクを張って、こうして日記で書くことぐらいしかしてないわけで、これじゃ典型的な書斎派のヘタレですね。うーん、情けないオチだ。