2000年4月17日(月)

 陰鬱な雨もあがり、いい天気だった。渋谷で一件打ち合わせがあったのだが、いつのまにかあれこれ音楽業界(というか、音楽雑誌業界)の現状や問題点を話し合っていた。

 いま音楽誌が何誌あるのか知らないが、一番多く売れている商業誌はおそらく「ワッツイン」や「CDでーた」といったたぐいの情報誌だろう。でもそうした情報誌に載っている情報の大半は「バウンス」などのフリー・ペイパーやネット上で簡単に得られるものばかりだ。バウンスは全国あちこちにあるタワー・レコードにいけばタダで手に入るし、邦洋の主だった新譜やムーヴメントについての情報はもれなく掲載されている。情報の速さなら、もちろんネットにかなうはずがない(もちろん、商業誌では掲載をためらうようなマニアックな情報の宝庫でもある)。つまり既存の商業情報誌の未来は決して楽観的とは言えないはずだが、どうもそのあたりの危機感が音楽雑誌業界にあるとは思えない。もしぼくが音楽業界人ではないただの音楽好きなら、金を出して音楽誌を買おうとは思わないかもしれない(実際、これを読んでいる人にもそういう向きは多いだろう)。

 もちろんネットやフリーペイパーでは得られないものもある。質の高い写真やじっくりと読ませる長いテキストなどだ。そのために情報誌系ではない音楽専門誌が存在するわけだが、写真はともかく、後者のテキストに関して、満足いくような質のものがどれだけあるだろうか疑問に思う。とくにインタヴュー偏重のあまり、アーティストの都合がつかなければ記事自体が成り立たなくなってしまうような風潮はいかがなものか。インタヴュー以外の記事を作れない、作ろうとしない編集者の企画力不足や怠慢ととられても仕方ない。新作アルバムのインタヴューも結構だけど、限られた時間で、短期に集中して取材を受けていれば、どこも同じような内容になってしまうのは避けられないし、そこでどうやって自誌の特色を出していくかはその雑誌の生命線なはずだが、そうした努力をしているとは思えない雑誌が圧倒的に多い気がする。第一アーティストに取材時間を出してもらわなければ記事ができないなら、つまりアーティストの胸ひとつで雑誌の記事が左右されるなら、音楽雑誌はまっとうな音楽評論やジャーナリズムの場ではなく、いつまでたってもレコード会社のプロモーションの場でしかないだろう。もちろんそれはある程度仕方のないことではあるし、持ちつ持たれつということもある。が、にしてもその構造のなかで馴れ合い過ぎてはいないか。音楽雑誌がレコード会社の宣伝媒体になる代わり、レコード会社は音楽雑誌に広告をはじめさまざまな有形無形の援助をする。そして音楽雑誌の経営基盤はレコード会社からの広告費なしには成り立たない。そうした構造はすでに多くの音楽ファンに見抜かれている。昨今囁かれている音楽雑誌の不振は、それと無関係ではないだろう。


 まぁとりあえずフリー・ライターとしては仕事さえ途切れず入ってくれば、音楽雑誌界がどういう状態であれ知ったことではないかもしれないが(実際、そういうライターは多い)、インタヴュー記事の偏重は、「音楽についての言説は、アーティスト自身の言葉があれば充分」という風潮に繋がりかねない。音楽ライターがどんなに優れた分析・論説を展開しても、アーティストのインタヴューのなんの気なしの一言の方がエライ、ということになって、それは音楽評論を生業とする者にとっては、自己の存在意義にも関わってくる大問題なのだ。「今回のアルバムのコンセプトは何ですか」「いやぁ、ただかっこいいものを作りたかっただけ」「この曲には××の意図が感じられるんですが」「いやぁ、何も考えてないよ」――こんな会話が繰り返されるインタヴューより、ライターの精魂込めた書き原稿の方がおもしろいし、意義があるに決まってる。いや、そう信じなきゃ、評論家なんてやってられるか。