「どんな打法にしろ 一夜漬けでいい結果が出るならコーチはいらん 要は信じたら それ一つにむかって あらゆる努力をすることだ」

FILE#113「巨人の星 王貞治」(画:関谷 ひさし)



週刊少年キング・緊急増刊 1977.10/30号「王者への道」読切
(画像協力:Kさん&資料協力:BOSSさん
(感謝!)

●あらすじ:
1977年、王貞治は対ヤクルト戦にてホームラン世界新記録を達成した。「とうとうやったぞ!!ここへくるまで…思えば長いようでもあり短いようでもあった…」王の脳裏には、これまでの苦闘の道程が浮かんできた。その最初のターニングポイントが、“育ての親”ともいわれるプロの強打者・荒川博との出会いだ。当時まだ中学2年生だった王の素質に眼をつけた荒川に左打ちをすすめられた結果、彼の打者としての才能が大きく花開くこととなる。次のターニングポイントが早稲田実業高校への進学だ。伝統ある早実高野球部の厳しい練習を経て、投手と打者の二刀流で活躍する。唯一の欠点であったコントーロールも監督提案のノー・ワインドアップ投法をマスターすることで克服。一躍甲子園に旋風を巻き起こす。しかし、その注目度は投手としてではなく、打者としてのものに次第に注がれてゆくようになった。高校生活最後の甲子園大会が夢と消え、自らの投手生命に限界を感じた王は以降打撃に専念することになる。そして巨人入団という新たなターニングポイント。同室となった1年先輩の長島茂雄に同じバットマンとしての刺激を受け、巨人のコーチとなった“育ての親”荒川との再会により新たな打撃フォームの模索を始める。そうして王の代名詞となる“1本足打法”の開眼を果たし見事ホームランバッターへと成長した。その後V9の原動力として活躍を続けた王だが、長島監督の就任1年目に13年守ってきたホームラン王のタイトルを明け渡してしまう。翌昭和51年、再起を誓い世界記録を目指す王は715号というべーブ・ルースの記録を破る。残る目標はハンク・アーロンのもつ755号を越えること。翌、昭和52年のシーズンは不調に苦しむも、遂に世界新記録を叩き出した。試合終了後の後楽園球場でのセレモニー。スポットライトに照らされた英雄は「皆さまととともに夢を実現できて 私は本当にしあわせ者です」と、血と汗と絶えまぬ努力で勝ち取った栄光を語った。だが756という数字は過去のものにすぎない。新たな記録へ向けて王貞治は前進を続けていく。

●BONはこう読む!:
梶原ファンとっては割と有名な話だが『巨人の星』で青雲高時代の飛雄馬が爪を割っても投げ続けたエピソードは、王の投手時代の話が元ネタである。また『新巨人の星』でコントロールに苦しむ飛雄馬にノー・ワインドアップ投法を教える場面が登場する。私が読んで印象に残ったのは、王貞治の打者としてのドラマよりも
投手としてのドラマの方だった。勝手な推測を書かせてもらえば、自らの投手生命に迷い・苦しむ王の姿に梶原氏は本作のドラマとしての魅力を感じたのではないかと。


●単行本:未刊行

●その他:
※本誌全312頁中、276頁の長編作品。
※昭和51年に梶原氏が書き下ろした小説「巨人の星 王貞治」を劇画化。